王妃の座を奪われたので、革命を起こしちゃいましたわ
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社交界にその名を轟かせる侯爵令嬢、エミリア・ドランデ。美貌、教養、立ち居振る舞い、どれを取っても非の打ち所がない彼女は、王国の第一王子・アサード殿下の婚約者として、誰もが羨む立場にあった。
だが、その美しい微笑みの裏には、常に鋭い棘が潜んでいた。
「この程度のマナーも知らないの? 可哀想に、庶民上がりはこれだから……」
平民出身の令嬢は、その辛辣な言葉に涙をこぼし、その場に崩れ落ちた。そんな彼女を、エミリアは涼しげな笑みで見下ろす。狙いはただ一人、王子に想いを寄せていた少女、イリーナ・クレインだった。
「エミリア様、それはやりすぎです!」
「未来の王妃たる者が、平民に侮られて黙っていられますか?」
止めようとする声にも耳を貸さず、エミリアはなおもイリーナに、鋭く冷たい言葉を浴びせ続けた。
アサード王子との婚約が決まってから、エミリアは少しずつ変わっていった。
「王妃として、強くあらねばならない」
その思いが彼女を変えたのだ。しかし、周囲にはそれが傲慢で冷酷な態度にしか見えず、やがて誰も彼女に近づかなくなった。エミリア自身も、誰にも心を開かなくなっていった。
ハーディン侯爵家の嫡男ライルは、そんな彼女を遠くから見つめていた。
父親同士が仲が良かったため、エミリアとライルは幼い頃に二人でよく遊んでいた。一緒に秘密基地を作り、本を読み合い、花壇に蝶が舞うのを眺めては無邪気に笑い合っていた。
けれども、エミリアが王妃の道を歩み始めてから、二人は別の世界に生きるようになった。
しかし──
「エミリア・ドランデ、君との婚約を破棄し、王族としての関係を断つ!」
王子の一声で、すべては終わった。
イリーナに暴言を吐いていたことが王子の耳に入り、証人も現れた。エミリアは断罪され、社交界の嘲笑の的となった。侯爵家の威光も失墜し、彼女の名声は過去のものとなる。
だが、エミリアがイリーナに向けていた感情は、単なる嫉妬ではなかった。
イリーナは王子の寵愛を得るために、エミリアを貶める噂を流し、虚偽の内容の告発文まででっち上げていた。
エミリアはその事実をすべて把握していた。けれども、確たる証拠はなかった。
だからこそ、彼女には言葉で抗う術しかなかったのだ。
──そして、ライルはそのすべてを知っていた。
◇
断罪から数ヶ月後。
ドランデ侯爵家の屋敷を訪ねたライルは、荒れ果てた庭の中に立ち尽くしていた。かつて咲き誇っていた薔薇の花々はすでに枯れ落ち、庭には陰鬱な静寂だけが漂っていた。
「来るなって、言ったはずよ」
背を向けたままのエミリアの声は、かすれていた。
「それでも来た。君のことが、ずっと心配だったから」
「なぜ? 私は『悪役令嬢』と揶揄されているのよ。王子に捨てられ、社交界の笑い者。そんな女に会っても、あなたに得はないわ」
彼女は振り返らない。
「僕は、君が笑っていた頃のことを知ってる。朝の光の中で本を読んでいた君を。花壇に蝶が舞うのを嬉しそうに見つめていた君を」
沈黙が訪れ、風が静かに枯葉を揺らした。
「君が変わってしまったのは、きっと孤独だったからじゃないか? 王子に選ばれたけれど、その隣に立つには強くなければならなかった。だから、誰にも頼れなかった」
「……弱さは、許されなかったの」
エミリアが小さく呟く。
「私は、完璧でなければならなかった。優雅で、気高く、誰にも屈しない存在で……そうでなければ、誰も私を認めてくれなかったから」
「違う」
ライルは一歩、彼女に近づいた。
「君はもう、完璧じゃなくていい。僕は、弱い君も、泣いている君も、全部好きだから……」
「……ライル」
ようやく、エミリアが振り向いた。
頬はやつれ、瞳には涙の跡があった。それでも、その姿はどこか懐かしく、かつての笑顔と重なって見えた。
「ずっと……見ていてくれたのね」
「君が誰にも言えなかった気持ち──怒りも悲しみも全部、知っている」
エミリアの肩が震えた。
「わ、私は……間違っていたのかもしれない。それでも、あの子が王子に近づくのだけは、どうしても避けたかった……。あの子が……たとえ正妃にならなくとも……王子のそばにいるだけで、いずれ王政は崩壊してしまう──そう思ったの」
「ああ。君のやり方は間違っていた……。でも、君がこの国を守るために必死だったこと、その気持ちは本物だった。僕は、そんな君を誇りに思うよ」
「……馬鹿ね、あなたは」
彼女の瞳から、ぽろりと涙がこぼれた。
「こんな私でも、好きだって言ってくれるの?」
「好きだ。今までも、これからも、ずっと……ずっと、愛している」
ライルは彼女の手を取った。
細くて冷たく、それでも確かに彼の手を握り返してくる温もりがあった。
◇
それから数年後。
ハーディン家の協力もあり、ドランデ侯爵家は再建された。そして、エミリアも再び社交界に姿を見せるようになった。だが、かつてのような気位の高さはそこにはなく、穏やかな微笑みをたたえ、少し不器用ながらも、周囲と向き合おうとしていた。傍らには、静かに見守る父と、寄り添う兄の姿があった。
その頃、アサード王子とイリーナ・クレインの結婚は、王国中を沸かせていた。政略ではなく、愛によって結ばれた新時代の象徴。人々はそう信じていた。
だが、その夢は幻想だった。
アサードの即位と同時に王妃となったイリーナは、かつての無垢な笑顔をすっかり失い、自分の欲望に忠実な女王へと豹変した。豪奢な衣装と宝飾品を際限なく求め、宮廷の装飾品を自らの趣味で塗り替え、文化事業と称して多額の予算を私的に浪費した。
「これは国の美観のためよ。貧しい者たちも、私の美しさを見て幸せになれるでしょう?」
そう言っては、王家の財源に手をつけることを正当化した。
一方で、アサードは彼女を溺愛していたため、機嫌を損ねまいと何一つ意見しなかった。彼は、王の責務よりも、イリーナのご機嫌取りに終始したのだ。
「イリーナが笑っていてくれるなら、それでいい」
それが、王としての彼の唯一の信念だった。
その歪な関係がもたらしたのは、王政の停滞と混乱だった。
法案は棚ざらしにされ、外交文書は開封すらされない。税収は王妃の遊興に消え、民への救済策は空文のまま放置された。
最初は小さな不満だった。だが、次第にそれは王都全体を覆い、やがて地方の民にまで波及した。
「働いても働いても、王妃の宝石代で税が消える」
「村に医者を呼ぶ予算がない? 王宮の宴に金を出すくせに?」
そして、民の怒りはやがて貴族たちの不満とも重なり始める。
彼らは知っていた。今の王政は、もはや機能していないことを。
そして、何より──王妃・イリーナの支配がこのまま続けば、王国の存続すら危ういということを。
◇
「……ライル様。もはや、黙ってはおれません」
ハーディン侯爵家の私邸に集まった貴族たちは、苦渋に満ちた表情でそう告げた。
ライル・ハーディンは、王政に不満を抱く貴族たちと共に、国を正すための密談を重ねていた。その輪の中には、かつて王妃候補として名を馳せたエミリア・ドランデの姿もあった。
ライルは静かに、しかし鋭く問い返す。
「覚悟はありますか? これは謀反です。成功すれば国を救えるが、失敗すれば、一族もろとも断罪されることになります」
重苦しい沈黙が広間を包む。だが、誰一人として視線を逸らす者はいなかった。
彼らはすでに、限界を超えていたのだ。
民を守る者として、未来を切り拓く覚悟を固めていた。
「ライル様……もはやこの国に、『王』という存在は必要ないのかもしれません」
「……同感です」
その夜、静かに、だが確実に改革の火蓋が切られた。
中心に立ったのはライルだった。彼のもとには、志と見識を兼ね備えた貴族だけでなく、軍人、そして行政官たちも集ってきた。彼らはそれぞれの立場から、王政の腐敗を徹底的に洗い出していった。
イリーナ王妃による公金の私的流用、外交文書の放置、軍備縮小命令による国防の脆弱化──あらゆる失政の証拠が、次々と白日の下に晒されていく。
そして、ついに──その時は訪れる。
◇
その日、王都に異変が走った。
王城の門が軍によって封鎖され、行政機関はすでに新たな命令系統に従って動き出していた。民への通達は前日までに完了していた──「これは略奪ではない。王政から新たな体制への平和的な移行である」と。
その中心にいたのは、エミリア・ドランデだった。
かつて、王妃候補の筆頭と謳われ、そして王子に裏切られ、社交界の晒し者となった侯爵令嬢。
しかし今、彼女は再び表舞台に現れた。
だが、それは復讐のためではなかった。
革命決行の数日前。
「……本当に君が、前に立つのか?」
ライル・ハーディンが尋ねたその言葉は、真剣なものだった。
「エミリア。君はもう十分に耐えてきた。今さら、『処刑人』の役まで引き受ける必要はない」
だが、エミリアは静かに首を振った。
「いいえ。私がやります。誰かが、やらなければならないのです。国のために、そして……私自身のためにも……」
その瞳には、痛みと決意があった。
「あの時……イリーナが何をしていたか、私はずっと分かっていた。でも証拠がなかったから、何もできなかった。だからこそ、今、証拠が揃ったこの時に──私が、彼女を断罪しなければならない」
「民にとっては、王妃になれなかった女が王妃を引きずり下ろすように見えるかもしれない……。それでも?」
「ええ。それで構わないのです。たとえ私が『復讐に燃えた女』と思われようとも、あの二人のような者が再びこの国を支配する未来だけは、許せない」
それが、エミリアの覚悟だった。
◇
王城の広間。
王妃イリーナは椅子にふんぞり返って、鼻で笑っていた。
「まあ、エミリア様。お久しぶりですわね。王妃である私に何の用ですの? 私はあなた方に構っているほど、暇じゃありませんのよ」
その傲慢さに、周囲の貴族たちすら眉をひそめる。
だが、エミリアは微笑んだだけだった。
「……あなたのような王妃など、誰も求めてはいませんでした」
そう言って、彼女は証拠文書を次々と読み上げていく。税金の私的流用、軍備削減命令の裏事情、外交文書の放棄、王家資産の転用──その全てに、イリーナの署名と命令書があった。
「な、なぜ、そんな物を! ま、待って、エミリア様……私の……私のせいじゃない! 私一人の責任じゃ……!」
「そうですね」
エミリアは一歩前に出て、アサードを見た。
「だからこそ、王であるあなたにも国家を壊した責任があります」
アサードの顔から血の気が引いた。
「エミリア……君は……復讐か? それとも、俺に捨てられた腹いせか?」
「復讐……? 腹いせ……? そんなちっぽけなもののために、ここに来たわけではありません。私は、過去にけじめをつけるため、ここに立ちました」
その言葉は、重かった。まるで自分自身をも裁くかのように。
「これが、私の答えです。侮辱に耐え、名誉を汚され、沈黙した日々の……最後の答え」
王宮の広間に響いた沈黙。
やがて、エミリアが下した処罰──それは、アサードとイリーナの「王位剥奪と国外追放」であった。
イリーナは崩れ落ち、泣き叫び、アサード王に縋った。
「ねえ、アサード! あなた王様でしょ!? 私を……私を助けてよ……!」
だが、アサードはもう何も言わなかった。彼も自分の過ちに気づいたのだろう。
イリーナと共に罪を背負うこと、それだけが彼に残された最後の矜持だった。
◇
王政は廃止され、「フォルディナ公国」が誕生した。アサードとイリーナを除く王族たちは、革命に協力した功績を認められ、新たに貴族としての爵位を授けられた。
貴族による統治と議会制度が導入され、民衆も行政に参画する道が徐々に整えられていった。
執政官となったライルと並び、エミリアも国政の中枢に立ち続けた。
「私は誤解されてもいい。悪女と思われても構わない。けれど、この国をまた、同じ過ちに染めてはならないのです」
そう語った彼女の背中に、多くの民と若き貴族たちは誇りを感じていた。
かつて王妃になれなかった女は、いまや『公国の象徴』となったのだ。
彼女が払った覚悟は、きっといつか、歴史が証明するだろう。
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