3-1 あそこの下女が、突然押したのです
ヤーノックと別れて程なくして貴族街に入り、そこでアシルくんとも別れた。見上げたお屋敷は立派で、それもむべなるかな、アシルくんはオールトン侯爵様の御子息だった。
「話聞いてくれてありがとうございました、お姉さん。おかげでぐっすり眠れそうです」
私なんかにも深く頭を下げてから、アシルくんは軽やかな足取りで屋敷の裏手の方に走っていった。見えなくなる前に手も振ってくれて、ホント、いい子だよ。
そんなアシルくんとのやり取りで私の足取りも軽くなった翌朝も、皇城ではいつもどおりの戦場が待ち受けてるわけで。
「おい、こっちのスープ上がったぞ!」
「この皿を頼む! そうだ、侯爵様はそっちの料理が苦手だから間違えるなよ!」
「このかごを洗濯場に持っていってちょうだい! いい? 一瞬で無職になりたくなかったら絶対に汚しちゃダメよ!」
まだ日が昇るか昇らないかという時間から私を含めて一斉に動き出す。
皇城には皇族の方々や一時滞在しているご貴族様とその側仕えたちがいて、彼らの朝食の準備に洗濯、広大な皇城内の掃除と、貴人様たちが身だしなみを整え終えるまでにだいたいを終えてしまわねばならない。
普通はそれぞれ役割が決まっているのだけれど、私に関してはオールワークス(何でも屋)だ。料理も洗濯も掃除も、人手が足りなければそこのサポートに回されるし、これでも一応はみんなに重宝されてると思ってる。というのも――
「おーい、リナルタァ! ちょいと運ぶの手伝ってくれ!」
厨房に呼ばれていけば、運ばれてきた大量の食材が裏口に山積みになっていた。おおう、今日は特別多いな。これは大変だね。
「よいしょっと」
五箱ずつ積み上げたものを両肩にひょいっと抱える。荷車を持って来ようとして唖然としてた男の人にウインクして鼻歌まじりに歩き出す。
人並み以上の腕力。重宝されている理由はこれが大きい。皇城内の仕事って調度品を動かしたりと、力仕事は結構あるしね。
「あら、リナルタちゃん! いらっしゃい」
「おつかれさま~」
他の仕事含め、日がすっかり昇りきる頃までになんとか急ぎの仕事は終了。使用人の控室に戻ると、みんな皇族方に出した朝食の余り物をつまみつつ世間話に花を咲かせてた。
私もお相伴に預かり、野菜スティックなんかをポリポリとかじる。さすが皇族に出される食事だね。街で売られてるのとはレベルが違う。
そんな事をつらつらと考えてると、後ろの下女グループから私の名前が聞こえた。振り向けば、「はい」と肉が挟まったパンが差し出されたのでありがたくもらう。
「リナルタちゃんがいてくれて助かるって話をしてたの」
「もうお城勤めも長いんでしょ? 上級下女になってもよさそうなのに」
「私は今の仕事に満足してるからいーの」
城勤めだからお給金は悪くない。皇族の方々の居住区に比べるべくはないにしろ、皇城内に寝床もあって食事も満足に取れる。不満なんてあるはずがない。それに上級下女はなにかと貴婦人の身の回りも任されるけど、ああいった華やかな世界は、私は御免だ。
「派手なパーティに出席するご婦人やご令嬢の準備を知ってるけど、私は関わりたくないなぁ。色々と面倒くさいし、いくらお給金が良くったって私はお断り」
「えー? そうかなぁ? 私は華やかで憧れるけど」
ま、そこは価値観の違いだね。清貧が貴いとも思わないけど、人間は身の丈にあったそこそこの暮らしがちょうどいい。
「ごめん! 誰か手伝って!」
そんな話をしてると、突然ドアが勢いよく開いた。
振り向けば、上級下女のローラが同じく上級下女のミラを支えてた。ミラの顔を見ると赤く、どうやら熱があるっぽいので、とりあえず私がひょいっとかついでテーブルに寝かせると、彼女がかすれ声でつぶやいた。
「私は大丈夫……それより……まだ上階の掃除が……」
熱でぶっ倒れても仕事の心配なんて、熱心なこと。だけど、到底今の彼女には無理そうだし、見咎められて使用人全体が叱責されるのも面白くない。
「いいよ、私がやっとく」
「あなた、下級下女でしょ? やり方分かるの?」
「うん。何度か代理でやったことあるし」
いくら皇族や上級のご貴族様たちがいらっしゃる上階だからって掃除のやり方が特別変わるわけじゃないし。もちろん気を遣うポイントは格段に増えるんだけどね。だからこそ上級下女に普段任されてるわけで。
とはいえポイントさえ抑えてしまえば難しくない。倉庫から掃除道具を取り出し、途中すれ違った侯爵様や伯爵様にいちいち頭を下げながら階段を上って上階にたどり着いた。じゃ、この階がご婦人方の社交場になる前にさっさと終わらせちゃお――
「あら~? 誰かと思ったらリナルタじゃない?」
――って思ったってぇのに後ろから声をかけられた。しかも聞き覚えのある面倒な相手。思わずため息が漏れそうになるのをグッと堪えて、私はニコニコ笑顔で振り向いた。
「ご無沙汰しております、リズベット様」
その先にいたのは、赤を貴重とした華やかなドレスを身にまとったリズベット様だった。派手な扇子で口元を隠してるけど、あからさまに勝ち誇った様子は隠しきれてないし、実際隠そうともしてないんだと思う。相変わらずだね。
フリーダとハンナという、彼女が引き上げた二人の上級下女を引き連れて、いかにもご貴族の婦人っぽく振る舞ってるけど、リズベット様は元々、私と一緒に働く下女だった。
口癖は「お金に囲まれて幸せになる!」で、今や第一皇子であるミリアン様の愛妃だ。実際に同姓でも見惚れるくらい美人だし、殿下が骨抜きにされるのも分からないじゃない。
平民だから正式な婚姻はしていないんだけど、こうして華やかで何一つ不自由のない生活を送っていて、噂によれば彼女のために殿下も相当な散財をなされてるとか。それで税金が上がるんだから、たまったもんじゃないよね。私にゃ関係ないけど。
「ここにいるってことは、やっと上級下女になったのかしら?」
「いえ、本日は代理で清掃に参りました。ふつーの下女のままです」
「あら、そうだったの? ごめんなさいねぇ。つい勘違いしちゃった」
そう言ってフリーダたちと一緒になってクスクスと笑う。とまあ、同僚時代からこんなふうに色々と突っかかられている。別に彼女に何かした記憶もないんだけどなぁ。
「私は住む場所と食事を頂ける今のお仕事に満足してますので」
絡まれるのは面倒だけどそれだけ。私としてはそれ以上思うところもないし、恭しく頭を下げると扇子の奥から舌打ちが聞こえてきた。見れば苦々しい顔で、けれどチラリとどこかに視線を向けるとすぐにニヤッとして、それから後ろのフリーダたちに耳打ちをした。
さて、今度は何を企んでるのやら。
「では、ごめんあそばせ。せいぜい私の住まうこのお城をキレイにしてちょうだい」
機嫌を損ねちゃったみたいだし、いつもどおりイジワルされるかなーと思ってたけど、予想に反してリズベット様はプイッと顔を背けただけで私の前を通り過ぎていった。
あら意外。ま、いいや。私も掃除を始めよ。そう思って彼女に背を向けた直後だ。
小さく悲鳴が上がってドサって何かが倒れる音がした。振り向くと――なぜかリズベット様が床に尻もちをついていらして、シクシク泣いていらっしゃる。はて、どういう状況?
頭の中で疑問符が数え切れないくらいになってると、そこに彼女の恋人である第一皇子ミリアン様がたいそう慌てた様子で駆け寄ってきた。
「ど、どうしたんだい、愛しいリズベット!? 大丈夫か!? ケガはしてないかい!?」
「殿下! も、申し訳ありません! 私どもがついていながらリズベット様に……」
「言い訳はいい! 状況を説明しろ!」
「は、はい! その……あそこの下女が、突然リズベット様を押し倒したのです」
……はい?
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