15-1 帰るのは早いんじゃない?
城の裏門で、見張りの兵士があくびを噛み殺した。
昼間は使用人や出入りの商会が頻繁に利用するためにそれなりに忙しいが、深夜ともなれば特にすることもない。皇族が住まう城ゆえに不届き者が忍び込まぬよう見張りが重要であることは理解しているが、退屈なものは退屈。彼は堪えきれず、大きなあくびをした。
そんな彼の近くで、静かに動く影があった。
存在感なく暗闇に溶け込み、物陰からジッと兵士の様子を伺っていた。だが気づかれる様子はないと確信を得ると、その影は手早く縄付きの手鉤を掛けて城壁を乗り越えた。
足音を殺して素早く使用人用の勝手口に取り付く。鍵穴をピッキングしてドアを開ける。明かりもない真っ暗な通路が迎え入れるままに奥へ進み、扉に張り付いて耳をすませた。
この先の区画は夜間であっても兵士が巡回している。彼はしばらくジッと耳をそばだて、けれども一向に足音は響いてこない。近くに兵がいないことを確信して、彼はドアを開け――ずに、その側の階段を上っていった。
階段の先は使用人たちの居住区画だ。歩けば足元の床板がギィギィと鳴くのが使用人たちの不満なのだが、彼が歩くと不思議とそういった軋み音もしなかった。
やがて彼はとある部屋の前で立ち止まった。穴に細い棒を入れてカチャカチャと動かせば、簡単に鍵が開く音がした。ノブを回し、静かにドアを開ける。
中ではリナルタが寝息を立てていた。物音を一切立てず近づく彼に気づく様子はない。
腰からナイフを取り出す。手慣れた様子でクルクル回して逆手に握り、ベッド脇に立つ。
見下ろす。寝間着から覗く細い首筋に狙い定める。そして――思い切り刃を突き立てた。
ズブリと刃が肉の中に沈む。刃を引き抜けば一気に赤いものが吹き出す。突き刺す。引き抜く。突き刺す。引き抜く。白かった首筋は真っ赤に染まって、寝息は途絶えていた。
(任務、完了)
彼は心の中でつぶやき、成功を確信して踵を返す。そのまま扉のノブに手を掛けた。
その時。
「――お兄さんお兄さん、帰るのはまだ早いんじゃない?」
聞こえるはずのない声。彼は弾かれたように振り返り、目を大きく見開いた。
なぜならばそこには、血で真っ赤に染まったリナルタが平然と立っていたのだから。
いやー、参ったね。完全に油断してたよ。
「帰るにしてもさ、私のパジャマとシーツくらいちゃんと弁償してよね」
両方とも私の血で真っ赤っ赤。肌も血でヌルヌルベトベト。あー、もう最悪。ま、油断してのんきに寝てた私が悪いんだけどさ。
「お兄さん、暗殺ギルドの人でしょ? そっちに弁償を請求すればオーケー?」
油断してたとしても私はそれなりに物音には敏感だ。ナイフでぶっ刺されるまでまったく気づかせないなんて、どう考えても素人じゃあないよね。となると、暗殺ギルドの可能性が高いわけで。ほら、黙ってないで返事くらいしてくれもいいんじゃないかな?
「あ、もしかして私が生きてるのに驚いてる?」
にこにこしながら、血がベットリとついた首元を手で拭う。めった刺しにされてぐしゃぐしゃになったはずの私の首にはもう傷一つない。それを見たお兄さんが、さらに動揺して息を飲む音が聞こえてきた。これくらいで死ねたら私も楽なんだけどね。
「で? お兄さんは誰のお願いで私を殺そうとしたのかな?」
これでも私は品行方正に生きてるつもり。そりゃ人間生きてりゃ誰でも恨みの一つくらいは買うだろうけど、こんな暗殺者ギルドに依頼してまで殺したいほど憎まれることは、個人としてはしてないはず。そう信じたい。
となると、だ。無言のお兄さんに向けて苦笑いを浮かべた。
「ま、だいたい想像はつくけどね」
この間アルフの暗殺に失敗したから、今度は私の方を排除しに来たんだろうね。だけど。
「それって悪手なんだよねぇ」
動揺を押し隠してナイフを構えるお兄さんに向かって一歩踏み出す。こないだは死に逃げされちゃったけど、今回はそうはいかないよ? だからさ。
「ほら、おいでよ。私の心臓はここだよ? 殺害に失敗したままなんて、お兄さんたちの沽券に関わるんじゃない?」
トントンって私の胸を叩いてあげると、かすかにお兄さんの雰囲気が変わった。そのまますぅっと目の前でお兄さんの姿が消える。隠密魔術かな? 詠唱の声が聞こえなかったから無詠唱だろうけど、それができるなんて相当な腕前だ。
だけどね。
「がっ……!?」
「隠れても無駄なんだよね」
隠密魔術で姿は見えなくても、人間サイズの魔素が動いてるからどこにいるかはまる見え。なもんで私の方から一瞬で距離を詰め、土手っ腹に拳を叩き込んであげた。
ガクッと魔素の塊が私の腕の上でくの字に曲がって、消えてたお兄さんの体が現れる。
とりあえずその体を床に転がしといて……さてどうしよう? このお兄さんの記憶を魔法で探ってみても、得られるのはせいぜいギルドからの指示情報くらい。私を殺したい奴のことを知ってるのは……そうだね、たぶん暗殺ギルドのマスターかな?
だとしたら……うん、こうするのが手っ取り早いだろうか。
方針を決めて、手早く戦闘服に着替える。そして血まみれベッドシーツでお兄さんをぐるぐる巻きにして肩に担いだ。
「――直接、荷物を送り返しに行ってあげよう」
私の部屋をめちゃくちゃにしてくれた責任は取ってもらわないといけないよね?
そうつぶやいて、私は窓の外へと飛び出した。
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