12-1 今日も元気に生きてみよっか
「――雨、上がったんだ」
厨房のお遣いの後、下女仲間たちから頼まれたアクセサリーやお菓子類を一通り買い終えて店を出ると、降ってた雨が止んでた。見上げたら、晴天とまではいかないけど雲間から薄日が差し込んでる。うん、雨も嫌いじゃないけどやっぱ晴れてる方が気持ちいいね。
大きく背伸びして湿った空気を肺から追い出し、水たまりが散らばった道を歩いてく。
ヤーノックの事件から一週間が経ったけど、世間が大きく揺れることはなかった。
追い詰めたのが深夜だったってぇのもあるだろうけど、たぶん被害者のほとんどが孤児だったって部分が大きいんだろうね。貧民街に比べりゃマシだけど、街の人だって生活に余裕なんてないから孤児がどうなろうと関係ない。残念だけどそれが現実ってとこだね。
「でも、助けられた子もいたし、ムダじゃなかったかな」
幸いにして助けられた子どもたちは、アルフとオールトン侯爵様の尽力で、治療のうえで帝国各地の孤児院に受け入れてもらった。でも一方で、劣悪な環境に売られたり、腐った貴族や金持ちの慰みものになってしまったりで間に合わなかった子もいた。
もうちょっと早くに気づいてればって思わないでもない。昔、路地裏で冷たくなった子を見た時と同じ様な息苦しさに苛まれもしたけど、それでも助けることができた子は確かにいて、人身売買に携わってた悪党も逮捕されたわけで。
もっとも、事件に関わっていたご貴族サマは、形式的に罰金を払って終了。「売買された子どもだとは知らなかった」というクソたわけた証言を信じる形でそれ以上の追求はなし。
ま、分かってたよ。アルフは机を叩き割らんばかりだったけど、これも悲しい現実だね。
それでも、さらなる売買を一時的にでも止めることができたわけだし、助かった子もいたって事実を大切にしたいよね。
「手からこぼれ落ちたものを嘆くより、手に残ったものを大切にする方がよっぽど有意義な生き方だもんね」
パンっと頬を叩いて気持ちを入れ替える。よし! 暗いのは今日でもうお終い! 晴れた空みたいに元気に生きてみよっか。
「おっす。こんなとこでバンザイして何してんだ?」
声を掛けられて振り向けば、口にタバコをくわえたエルヴィラが気だるそうに歩いてた。目の下にクマもできてる。相変わらずニコラにこき使われてるみたいだね。
「まーな。ノホホンとしてるくせにあの野郎、人使いだけは荒ぇからな」
「アイツの砂糖ポットに、塩でも入れちゃいなよ。にしたってずいぶんとお疲れじゃない?」
「まあここんとこマジで働き詰めだったかんな。今日も久々に休みが取れたんだ。特別ボーナスって餌がなけりゃ、とっくにクソギルド長に蹴り入れて辞めてやるとこだったぜ」
「忙しくても愚痴らないエルヴィラがそこまで言うなんて、よっぽどじゃん。何かあった?」
「あ? 知らねぇのか……って、そういやテメェここんとこギルドに顔出してなかったか」
ここしばらくはずっとヤーノックの件でばかり動いてたからね。ポーターの仕事はご無沙汰。二人に人身売買の情報提供をお願いしてから顔も出してなかったっけ、そういえば。
「まー、こっちは落ち着いたから次の休みくらいに仕事の相談しに行こって思ってたとこ。んで、どうしたの? また大物の魔獣でも現れたの?」
「大物じゃあねぇが、皇都近くで魔獣の目撃が頻発してんだよ。なんだかんだ言っても皇都だからな。近くで魔獣が一匹現れたってだけで大騒ぎになんのに、毎日のようにあちこちから依頼が舞い込んで来てんだ。おかげでこっちはてんてこ舞いだよ」
それは妙な話だね。皇都だと結構な人が魔術を日常的に使うから、魔素は溜まりにくいはずなんだけど。
「ああ。だからニコラも妙に感じててよ、その調査チームも編成しなきゃなんねぇんだ」
うーん、どっかしらに魔素溜まりができてるのかなぁ? また夜中に調べてみよっかな。
私が一人で頭をひねってるとエルヴィラが魔術で新しいタバコに火をつけて、「ところで」って言いながら耳元に顔を寄せてきた。
「巷で魔王の復活だなんだと噂が立ってるのはテメェも知ってるよな?」
「まあ何度か耳にしたことはあるよ。けどどーせ眉唾ものでしょ?」
魔王なんて、本当に近所にいたら私が気づくはずだし。だけどエルヴィラは笑い飛ばすでもなく真面目な顔のままだった。
「私だってありえねーと思ってたんだがな、最近は強ち嘘でもねーのかも、とも思ってる」
「……本気で言ってる?」
「今の状況だと警戒しとくのに越したことはねぇ。ポーターの仕事すんのならテメェも気をつけな。もしヤバそうなのを見つけたら荷物ほっぽらかして逃げろ。いいな?」
態度は不真面目でも職務に対してはエルヴィラも結構真面目だよね。ま、確かに警戒しとくのに越したことはないか。
エルヴィラとはそこで別れてまた皇城に向かってると、段々と大きな建物が見えてくる。それに伴って黒いローブを着た少年少女たちの姿が一気に増えてきた。嬉しそうに跳ねながら歩いてる子がいる一方で、道端に座り込んでうなだれてる子もいる。ああ、そっか。
「今日が入学試験の合格発表日だっけ」
アシルくんは大丈夫だったかなぁ? 学力的には問題無さそうだったし、実技試験の「コツ」も教えたけど結構緊張しいみたいだしね。ちょっち心配。
もしかしたら会えたりするかなーと思いながら学院の入口付近でキョロキョロしてみる。
「お姉さん!」
すると聞き覚えがある声がした。しかもどこか弾むような響き。振り返ればまさにアシルくんが満面の笑みでこっちに駆け寄ってきてるとこだった。お、これはもしかして……
「お姉さんっ! 僕、僕……合格しました!」
アシル様がワンコさながらに、手をブンブン振りながら駆け寄って私に抱きついてきた。おーおー、それはおめでたい。お姉さんも嬉しいよ。でもさ……下女である私に抱きついてくるのはさすがにはしゃぎ過ぎじゃない? ほら、みんな見てるよ?
「え? あ、そ、そのすみません! ご婦人に抱きつくなんて、失礼でしたよね……?」
アシル様が顔を真っ赤にして見つめてくる。目はうるうるで、シュンってしおれた尻尾が見えた気がした。おおう、美少年のこれは……危険だね。アルフだったらしばき倒して脳天かち割ってやってるとこだけど、アシル様なら許しちゃう。
「ん、んぅん……いえ、私は構いません。それよりも、合格おめでとうございます」
「ありがとうございます! これも、お姉さんのおかげです。首席でしたし、これで父上に胸を張って報告できます!」
……ん? 私の聞き間違いじゃなかったら「首席」って聞こえたんだけど? マジ?
「実技は、まさか私が教えた内容だけだったんですか?」
「いえ、他にも基礎的な魔術の試験もありました」
おかしいな。確かに私が教えた項目だけでも合格くらいはともかく、さすがに首席合格は無理っぽいんだけど……
「お姉さんが教えてくれた練習をしてたら、急に他の魔術も使えるようになったんです!」
ほうほう。なら、やっぱ魔力が術式へ上手く伝わってなかったのが原因だったのかな?
「魔術を発動直前で止めること、できますか?」
「はい、大丈夫です。ちょっとやってみますね」
成果を見せるのが嬉しいのか、アシルくんがニコニコしながら魔術を途中まで行使してくれたのでそれをじっと観察する。
ふむ……確かに魔力の流れがきちんと肉体から魔法陣に繋がってる。この間はこれが途中でフッと途切れてたんだけどね。理論面では申し分無さそうだったから、ここが改善されたことで一気に実力が開花したってことかもね。
(それよりも、こっちの方が気になるんですけどぉ……)
視線を動かしてジッと目を凝らしてみると、アシルくんの体の中で妙に膨大な魔力が渦巻いてた。前は中までマジマジと見ちゃいなかったけど、こんなんじゃなかった気がする。
(本来はこんなに魔力があったってこと? それとも、何か術式でも掛けられてる……?)
いやいや、こんな量、普通の人間が蓄えられるレベルじゃないし。一応レオンハルトって例外はいるけど、あれは例外中の例外だし。
「どう、です? 何か、わか…り……ま、す……?」
一人で首をひねってると、アシル様の息遣いがおかしいことに気づいた。顔を見ればさっきとは違う意味で真っ赤になってて、体も急にフラフラし始めてた。
「あ、れ……? おかし、いな……? なんだ、か……」
「アシル様!?」
そしてそのまま私へと倒れ込んでしまった。額を触ってみる。うわ、すごい熱じゃん!
こうしちゃいられない。アシルくんを抱えあげて街中を疾走する。オールトン邸に到着し、驚く使用人たちにアシルくんを渡すと、そのままお屋敷の中で私は待機させてもらう。待ってたからって何かできるわけじゃないんだけどさ、やっぱり気になるからね。
運び込んでから三十分くらい経ったかな? 中から侍従長らしき方がようやく出てきた。
「おや、貴女は……確か、アシル様を運んできて頂いた方でしたか」
「はい、皇城下女のリナルタと申します。アシル様のご様子はいかがでしょう?」
「今は落ち着いたご様子です。きっと、この度の朗報を知って溜まっておられたご疲労が出たのでしょう。数日安静になされば回復するとのことです」
そっか、なら良かった。私がホッとしてると、侍従長様が深々と頭を下げてきた。おおう、なんだい、いったい?
「貴女のおかげで魔術が使えるようになったとアシル様からも伺っております。この度もアシル様を助けて頂き、オールトン家に仕える者として、僭越ながら感謝申し上げます」
「私は少し知っていることをアシル様にお伝えしただけですし、今日も偶然通りがかっただけですので。合格したのはすべてアシル様の努力の賜物です」
「だとしても、です」侍従長様が微笑んだ。「ご当主様のご期待に沿えられず、アシル様はずっとお悩みでした。ですがここ最近は実力が花開き、頻繁に貴女への感謝を口にしておられました。その変化が、アシル様を見守って参りました我々としては大変嬉しいのです」
たいしたことはしてないんだけど、それでもそう言ってくれるのなら嬉しいね。私自身は魔術を使えないけど、一通りの心得はある。元気になって、会う機会があったらもうちょっと色々と教えてあげよっかな。侯爵様が嫌がらなければ、だけど。
だから早く元気になりなよ、少年。ドアの向こうでゆっくり寝てるアシル様に小さくそう呼びかけると、侍従長様に頭を下げて私はオールトン邸を後にした。
お読み頂き、誠にありがとうございました!
本作を「面白い」「続きが気になる」などと感じて頂けましたらブックマークと、下部の「☆☆☆☆☆」よりご評価頂ければ励みになります!
リアクションだけでもぜひ!
どうぞ宜しくお願い致します<(_ _)>




