4-4 いい? 絶対に覗いちゃダメだからね?
「いや、これは参ったな……」
木の陰に身を寄せながらアルフは一人ため息まじりにぼやいた。
周辺の小型魔獣をすべて倒し終えた後、リナルタから離れるよう告げられた。まだ魔獣が残っているかもしれず危険だ、と反論したが、続けられた彼女の「着替え、覗きます?」というセリフには赤面するばかりで二の句を告げられなかった。
「いい? 絶対に覗いちゃダメだからね?」
なので結局こうして近くの木の裏に隠れてるわけだが、どうにも落ち着かない。一人でいるとどうにも先程眼の前に迫った彼女の顔が頭を過ってしまうのだ。
クリっとしながらも少しだけつり上がった瞳。特徴的な桃色の髪を揺らしながらいたずらに笑った顔と、わずかにかかった吐息が忘れられない。
これまで彼女より整った容姿の令嬢に幾人も言い寄られてもまったく心は動かなかった。だというのにリナルタについてだけはまったく逆で、彼女の仕草一つひとつを目で追ってしまいそうになる。
「参ったな……」
彼女の魅力は自分の語彙力も溶かしてしまうらしい。彼女を自分に惚れさせて仲間に引き込むつもりが、これでは完全に逆である。
でも、それもありかもしれない。アルフは、彼女の吐息がかかった口元を指先で触れた。
皇子という立場、そして帝国を立て直すなんてだいそれた願いを捨てて彼女と暮らすのも良いだろう、と妄想を膨らませる。だがそれを咎めるように胸がチクリと痛んだ。やはり自分は帝国という国を見捨てることはできないらしい。
相反する二つの感情を持て余してまたため息を漏らしたアルフだったが、俄に風が強まってきたのを感じて顔を上げ、そこで気づいた。
木を挟んで彼とは反対側――つまりリナルタのいる方からかすかな歌声が聞こえてきた。最初は微笑んでいたアルフだったが、声と一緒に仄かな光があふれていた。しかもそれは魔術的な光で、どうしてだろうか、肌がざわざわと粟立つ感じがした。
(彼女に何かあったんじゃ……!)
アルフは不安に駆り立てられ、居ても立ってもいられずリナルタへと走った。
茂みをかき分け、頭に葉を乗せながら首だけ何とか突き出す。そこで彼は言葉を失った。
そこに広がっていたのは幻想的な光景だった。
空中にいくつもの魔法陣が浮かび、その中でリナルタが歌い、踊りながら書き足していっている。控えめながらも美しい詠唱に耳を奪われ、軽やかに舞う彼女の姿に目を奪われる。完全にアルフは虜となっていた。
やがて彼女の動きが止まり、中心に置かれた黒い箱に周辺の空気が吸い込まれていく。やがて箱が閉じ、心なしか粘っこく感じていた辺りの空気が清々しくなった気がした。
「これにて完了っと」リナルタが振り返った。「後は――そこの覗き魔を成敗するだけだね」
心を完全に奪われていたアルフは、そこでようやく自分が何をしてしまったのかに思い至った。
リナルタと目が合う。やばい、完全に笑っていない。なんとかせねば。
得意の皇子様スマイルを浮かべてみるが、彼女の心にはまったく響いていないようだった。それどころか、ますます怒りを増幅させてしまったような気さえする。
笑顔のまま彼女がにじり寄ってくる。一歩一歩の足音が、まるで死刑の足音に聞こえた。
「まるで」ではない。事実、これは死刑の執行音なのだ。逃げねば、と本能が告げるが、先程の上級魔獣を前にした時以上の威圧感が彼を縛り付けていた。
「覗くなって――言ったでしょうがぁっ!!」
そして彼は、衝撃に意識を飛ばされた。
「お疲れさん。まさか依頼に向かったその日に討伐まで終わらせて帰ってくるなんてな」
カウンターの上に置かれた特大の魔力石を前に、エルヴィラがタバコを吹かせながら笑顔で労ってくれた。魔力石と入れ替わりに金貨のたくさん入った袋をドンと置いてくれたので中身を確認する。うん、思ってた以上の報酬だね。ありがたいありがたい。
「いやいや~、運が良かっただけだよ」
「だとしても、だ。他の傭兵どもを手配する手間考えると、私としてもありがてぇ限りだぜ。しかしまあ……リナルタの運が良かった分、隣のイケメンは運が悪かったってわけか?」
「ははは……まあそんなところです」
エルヴィラが話を振ると、アルフが喋りにくそうに苦笑いした。
私にしこたま殴られたせいでイケメン顔は見るも無惨に腫れて元の面影も無くなってる。
皇子様をボコボコにするってとんでもないことだけど、ここにいるのはあくまで「傭兵のフレッド」。何より、乙女の秘密を覗いたんだからしかたないね。これで私のことをとんだ暴力女だと思ってアプローチが減ってくれれば万々歳だけど。
「ま、勉強代だと思うんだな」
「ふぁい……」
理由はともかく私に殴られたと気づいてるんだろうけど、エルヴィラは深く追求するでもなくそう言って、アルフはガクリとうなだれた。
諸々の手続きを終えて、アルフと一緒にギルドを出る。と、建物を出たところでエルヴィラに呼び止められて、剣を投げ渡された。ああ、こないだマッサから没収した魔導剣か。
「何だい、それ?」
「こないだちょっと事件があって、その迷惑料みたいなもん」
渡してくれたってことは、無事に私の希望が叶ったみたいだね。良かった良かった。
「ちょっと見せて。これは……すごく良い剣だね」
まあね。何せかつて勇者レオンハルトが使っていた逸品だし。たぶん収集品としても相当な価値がつくと思う。別に売りはしないけど。
皇城へ戻りながらアルフは剣を眺めて「へぇ」だの「ははぁ」だのうめいてる。私は剣の良し悪しなんて分かんないけど、使う人からすれば分かるんだろうね。
皇城近くまで到着したところでアルフとは別れる。二人一緒に帰るとなんやかんやとめんどくさいことになるからね。アルフが先に城に入り、遅れて私は裏口から帰った。
「ただいま戻りました~」
そう言って中で休憩してた同僚たちに声をかけたら……私への視線が妙な感じ。
いつもだったら不在中にアルフと私の恋バナを妄想してニヤニヤしながら迎え入れてくれるのに、今の下女仲間たちはどこか不安そうで、距離を置かれてるような……
(何かあったのかな?)
私も呑気なもので、妙な空気を感じながらも特に気に留めなかった。どうせ暇だし他の人のお手伝いでもしよっかな、なんて思って休憩室から出ると、皇城を守る近衛騎士の方たちが洗濯場に来ていた。おや、珍しいこともあるもんだね。
彼らはいかにも険しい顔つきで他の下女を詰問してたんだけど、私に気づくとそれを切り上げ、そしてあっという間にグルリと私を取り囲んでしまった。なに? なんなのさ?
「リナルタだな?」
「そうですけど……? 何か御用ですか?」
「ああ、そうだ。貴様を――逮捕する」
……はい?
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