落し物2
スラムの層を出口でも入口でもなく、下に抜けると非常口が見えてきたため、その扉を開き外へ出た。鉄骨階段の踊り場で、手すり越しに見えるのは建造物の屋上。ここよりも下層、そこには強烈なビル風を作り出す層が存在した。風に吹き飛ばされてモーグの落し物のように姿を消す者が後を絶たない。プラグインで風よけを作り奈落が見える心もとない歩道橋を渡っていると、テルムがマスクを外して顔を上に向け、つい先程いたスラムの床底を眺めて言った。
「ソル、あんな目に合ったのにどうしてスラムに戻って来ちゃってたの?」
「あのスラムは燃やしてやりてぇって思うくらいにはブチ切れてるが、スラムの奴らはたくさん情報を持ってんだぜ?例えば、壊された俺の仲間の部品がどこにあるだとか、ロストサウンドやロストプラグインらしき物体を見かけただとか」
あのスラムは最大級という異名に恥じぬ大きさを誇っている。層そのものがスラムとなっているからだ。すなわち国だ。更にはスラムの中にまた別の層が存在し、そこにはロストサウンドなどの遺物が多く存在する。あの層だけでいくつもの文化が存在しているのだ。この世界にはああいった魔窟がここより底に列挙している。誰かが住んでいるとは限らないが。
何より博音学会が足を踏み入れようとしない魔窟なのだから、比較的居心地が良い。アディサリの中でも生活水準の高い者たちは特に差別意識が高く、そんな者たちの殆どが博音学会の各部署に所属する。
……ただし、いくらスラムの居心地が仄かに良いとしてもコンソルジャーの扱いは酷いものだ。
「でも随分ひどい言葉を浴びせられていたじゃない。それに、またああやって監禁されたらどうするの?」
コンソルジャーは数字的には貴重だが、だからと言って困窮した者たちが貴重品を大切に扱えるだろうか、否……自身の救済のために何もかも搾取することが殆どだろう。せめてその搾取に対してこちらも必要な物を要求する他ない。
「もうヘマはしねぇよ。ちゃんと月一で通うってことで手を打ったからさ。向こうが不可侵協定を破った際は、俺が強制終了して起動には複雑なパスワードを用意するよう組んだ」
約束を破るとスラムのアディサリは自分自身で首を絞めることになると言うわけだ。
「前ん時は喧嘩になって、もうここには治療しに来ねぇってつい言っちまったからな。感情的になったスラムのやつらに拘束されて閉じ込められた。で、どっかのバカが情報を漏らしてそのままあのゴミクズ、アディスフォリッジに渡ったってわけ」
奴らが血眼になって俺を探しているのではないか、そう思いもしたがコンソルジャーの一人や二人消えたところで他にやりようがあるだろう。何かしら金の卵があるのならとりあえず育ててみよう、やつらはそんな雰囲気だった。しかしながら観葉植物の類は随分と育成が下手なようで、やつらにお似合いなのは情報と金と金、そして金。
「口は災いの元と言っていいのか……?」
「だとしてもだけどね……やっぱり研究所がもっと先陣を切って治療に勤しまないと」
姉弟、ヒソヒソと話し合っているが全部聞こえているぞ。
プラグインを落とした地点の丁度50km真下へ来た。イコライザーに残されたという音は非常に近いが、徐々に離れていく。
見上げると巨大な階層都市に挟まれた”サイクルポイント”が存在した。これは終着点へたどり着いた物体を開始点へワープさせ、それをひたすらに繰り返すというループ空間だ。淡く発光する巨大な透明チューブをひたすら右から左に伸ばしたような斬新な見た目は、この層に訪れたことの無い者からすると観光名所になるのかもしれない。
丁度真上で宙に浮きながら横へと流れている酷く古びた看板を見た。
「まずいな、サイクルの終着点はすぐ先だ。プラグインが次この地点までたどり着くのに約50年はかかるぜ」
物体がサイクルを流れる速さはおよそ時速4km程度で歩くほどの速さ、つまりさっさと回収しなかったら徒歩での場合約50年かけてサイクルポイントの開始点へ向かわなければならない。
「どうして時間を割り出せたの?25年かもしれないよ?」
「あの看板は約50前にここから少し上の地点で消失した物だ。店主が嘆いて毎日確認していたのをよく覚えてる。そんであのサビ具合……」
そう言いながら足元に落ちていた丁度いいゴミにプラグインの効果を挿入し、投げて看板に命中させてプラグインの力で看板を押し出した。そうして押し出された看板は例の店主の店の前へ届いた。
「お前らの落し物は見つけ次第この方法で取り出す。あのイコライザー、多少の衝撃には耐えられるのか?」
「うん。大丈夫」
「よし、ならまずプラグインを見つけるぞ」
二人は頷いて走り出した。テルム目視で、モーグは刻まれた自身の音を追いかける。
「見つけた」
「あ!あれだよ!」
ほぼ同時に声が届いた。プラグインを見やると丸い円型の光の中に近付いており、もう二分ほどで取り込まれてしまう地点に浮いていた。ループ直前、何か策がないか演算を行う。
「俺の投擲力じゃあそこには届かねぇな」
「どうすれば……せめてそれを宙に留めさえ出来れば」
モーグは恨めしそうな声を出しながら手に収まっているゴミを見た。
「留め……?」
「あ」
「ああ!」
まるで頭の上に電球のスイッチでも入ったかのような閃き。思わず笑みが静かにこぼれてしまった。
「忘れてたけど、音で物は浮かせられるんだったな」
補足
レトロスペクティブ、Retrospective MIDI Record
これは某DAWに備わっている機能の1つです。愛用しています。基本的にmidiの録音を行う際、レコーディングボタンを押した上でmidiを処理して記憶するのですが、押していなくても一応裏でレコーディングをしていてくれます。
例えば、キーボードでさっと弾いてみて、うわっ今のフレーズちゃんと録音しておけばよかった…なんてことが多々ありまして、そんなときにこのRetrospective MIDI Record機能を使うとあら不思議、正規でレコーディングしたみたいになります。
モーグはこのRMRでソルの中に仮録された自分の音を追い、ソルの場所を特定しました。ちなみにこれはシンセサイザーの機能という訳では無いので、モーグもソルのタイムストレッチと同じで練習してたら使えるようになった、みたいな感じです。GPSみたいな感じですね。