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落し物

先日災難に見舞われたスラムより上層、あの後ソルはどこへ帰ったのだろうか。住処は存在するのだろうか、それとも転々としているのか。テルムはあの奇跡的な体験を思い返しながらモーグと研究所までの道のりを歩んでいると、ポツリと鼻頭に水滴が当たった。

「あ!降ってきちゃった」

「急いで帰ろう……っうわ!」

「モーグ!大丈夫!?」

 尻もちを着いたモーグの傍からカン、カン、カン、と次第に離れていく打音はそのまま音が途切れてしまい、奈落の底へと落ちていった。奈落とは言え、どこかの層に引っかかっている可能性はあるが、いずれ遭遇するサイクルポイントに入り込んでしまうと大変厄介である。サウンドならまだしも、プラグインならまずアディサリでは探し出せなくなってしまうだろう。

 モーグの元へ駆け寄って何も破損していないかを確かめていると、モーグが焦り混じりに奈落を見た。

「学会のプラグインが……まずい、これじゃ治療方法が減ってしまう」

 奈落を覗くテルムが「ああ」と素っ頓狂な声を出した。

「大丈夫?一般的な転び方に見えなかったのだけど」

 差し伸べられた手を掴み、ズボンの埃を払いながら立ち上がる。

「姉さん、すまない。雨音が心地よくて足の力が抜けるなんて初めてだ」

「雨音……そっか、脳が求めたんだ」

 

 某スラム

 驟雨、雨、この世界で雨と言えばスラムだ。先日博音学会の二人が迷い込んだスラムは音割れ病の治療を受けることが出来なかった者たちが自身の脳にあるノイズの巣窟の存在紛らわすために雨音を求めて集まり、そうして数十年かけて出来上がったものである。この世界で最大級のものだろう。

 末期患者の脳は、まるでこの魔窟と化しているスラムの縮図のようだと治療を行いながらふと思った。

「並べ、抜かすな暴れるな」

 随分と標高の高い団地に囲まれた小さな広場の椅子に腰掛けて、列をなすアディサリたちの音割れ病を捌く。

「早く治療してくれ!」

「うるせぇ黙って待て。指示に従わねぇならもう帰んぞ」

 そう軽度の脅し文句を連ねると患者たちは歪なマスクを更に変形させて怒り狂う。ある患者は

「コンソルジャーのくせに指示すんじゃねぇ!治すことが名誉なんじゃねえのかよ!」

 またある患者は

「お前が四年も消えてたからその間に何人も壊れちまったんだぞ!?」

 と、何もかもが俺の責任であると信じてやまない。心の中で悪態をついてすぐさま口にも出した。

「ああもう!うるっせえなクソ野郎どもめ!お前らが世話んなってるゴミクズカスどものせいで四年もあそこの集合住宅の地下に閉じ込められてたんだろうが!傍観したやつもいんだろう!連帯責任だカス!」

 いくら治安が悪いと言っても、以前はここまで酷くはなかった。学の無い者たちでも、この乱暴な態度が自身の人生をどう左右するかなんてしっかり理解していたというのに。

 背後で二人分の足音が止まった。他の患者が噂でも聞きつけてやってきたのだろうか。しかし存外静かにしている、そう思ったのだが。

「……あの」

「なんだよ、治療を受けたいんならちゃんと並べ。ほらあそこで看板持ってんだろ」

 看板を持って奇妙な笑みを浮かべている患者を指さした。あの患者はもう末期で、最悪な音のままこの世と心中するのだと悟っている。

「あの、こんにちは」

「ん……?こ、こんにちは。…………待て。あんたら……」

「休憩だ。大人しく待ってろよ」

 場内一斉にブーイングが巻き起こった。

「はぁ、恩を仇で返すなんてレベルじゃねぇな」

 挨拶をしてきたF型の隣のM型が混乱している。おぼっちゃまたちには刺激の強い光景だろう。


 広場の裏手、物置や廃品で隠れるには丁度いいような場所まで二人を連れてくると、F型は遠慮がちに話しかけてきた。

「えっと、ソル。偶然だね?ハハ……」

「偶然だって?」

 後ろめたさを隠そうとして腹の前で指を組み、視線を合わせないF型。ボイスチェンジャー、十分置きに姿を変化させるフィルタータイプのプラグインで、全く誰だか分からなかったが、先程の呑気な挨拶には覚えがあった。徹底的に学会の者であることを隠したテルムと、その隣は恐らくモーグだ。あの地下で俺を助け出すまでに、スラムで怖い目にでもあったのだろう。

 ところでここはスラムの入口でもなければ出口でもない。絡まったコードのように入り組んだ道をぬけた先の非常に背の高い集合住宅の”敷地内”にある広場だ。フェンスで境界が作られているというのに意図せず敷地内に入って「偶然」だって?面白いことを言う。

「なんで俺の居場所が分かったんだよ」

 ええと、など言い淀むテルムを庇うようにモーグが話し始めた。

「すまない。偶然じゃない。姉さんは今俺のために嘘をついた。君を探さないといけなくなったのも、君を探し出せたのも、原因は俺で……その、俺の音が」

 こっちはこっちで言い淀む。

 まるで残像でも追ってきたかのような正確な位置の特定、あの素っ頓狂な挨拶同様覚えがあった。

「は〜、四年ぶりの治療ですっかり忘れてたよ。レトロスペクティブか。たまに使えるやつがいるんだよな」

 モーグを治療した際に音を流し込んでもらったのだが、その音の情報がこの体内に残っていたようだ。モーグはレトロスペクティブという、自らの音を振り返る裏技を使ってこの場所を突き止めたのだろう。

「関わりたくないと言っていたのにすまない」

「ほんとだよ、何しに来たんだよ」

 腕を組んでそう言うとテルムが先程の遠慮がちな態度をやめて改まった。

「ソル、突然ごめんなさい。これは学会からの依頼でもなんでもなくて、私たちからの依頼なんだけど」

「依頼……?」

 嫌な予感がする。そうマスクに表れていたのだろうか、二人とも黙り込む。もうどっちでもいいから早く話せと顎をしゃくった。

 沈黙を破ったのはモーグだった。

「それが、実は……」

 

 ――

 

 雨音を聴いて腰を抜かしてしまった際に、プラグインを落っことしたと。

「笑うだろ」

「は?なんでだよ、それは立派な初期症状だ。この前の治療の後、ノイズは治ってるのに脳に何か張り付いているような感じがしただろう。残響って言うんだ。そいつがずっと悪さしてて雨音に安心しきっちまったんだ。学会所属なら知ってるだろ?」

 そう言うとモーグは少々面食らった。患者の症状を嘲笑するとでも思ったのだろうか。モーグ自身がそういった態度を取っているとは言い切れない。この感じ、むしろ可能性は低い。自ずと他の学会員の感染者に対する感情が読み取れる。

 博音学会は非常に長い歴史を持つ組織だ。人数も片手で数えられる程度の頃はコンソルジャーともいい関係を築いていたと伝わっているのだが、組織が大きくなればなるほど管理が行き届かず諸々杜撰になって行った。患者に対する反応も同じく。組織なんてそんなものだ。

「無くすと本当にまずいんだ。だから意を決して頼みに来た」

「アディサリの使える数少ないプラグインって訳か……間接的に学会の依頼じゃねぇか」

「学会からの依頼じゃない。本当はダメだけど報告もしていないから経費で落とせない」

 モーグが報告を渋ったのには理由があるだろう。例えば感染者による人的ミスの割合だとか、報告をしてのしかかる負の側面が強い。先日の謝罪の件でこのM型の人格は概ね把握済みだ。

「どんなプラグインなんだ?」

 テルムが少し俯きながら頼み込む。

「患者の治療に欠かせなくて。高性能なイコライザーよ。お願いソル……」

 なぜだろう、いたたまれない。この前に引き続き好意的なアディサリに対して「アディサリだから」と拒絶ばかりしていては自分が差別主義者になってしまう。

「折れてやるよ」

「ソル!ありがとう!」

「そのイコライザーのシェイプを簡易に説明してくれ」

 イコライザーは音域を削り、底上げし、親和性を深めるために使用されることが多い。1本の線で曲線を作り、特定のかたち(シェイプ)を完成させる。

「助かる……。イコライザーは直近で1600Hzを削っている。ロストサウンドを記録したまま落としてしまった」

 わざわざ削ったということは、1600Hzが増幅されているロストサウンドであり、増幅前の自然な状態を知りたかったからだろう。その音域を妙に増幅させているロストサウンドが数多く転がっている、そんな層が確認されている。おそらくその辺りで研究素材を集めていたと言ったところか。

 コンソールを見て特定の音域に絞り、落し物の位置を粗方絞った。ロストサウンドの記録が救いになっている。

 「ははっ、ところであんたらってほんと、情動的に報告を怠った時点で研究者には向いてねぇな」

 「……」

 そう言うと二人とも少し落ち込んでしまった。

 「えっ……褒め言葉なんだけど」

 こうして再び治療途中の喧騒の渦中へ赴き、罵詈雑言の嵐を数十分聴き終え三人で目的地へと向かった。

サイクルポイント

 某DAWにある機能です。ここからここまで、とロケーター範囲を設定し、サイクルボタンを押すと設定した範囲をループ再生してくれます。

 

 フィルタータイプのプラグイン

 10分置きに姿を変化させるフィルタータイプのプラグインとありましたが、stepfilterのことを指しています。

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