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音間-孤独の人

 歩いていたら不可逆構造空間が出現するだなんて、運がいい。決まった場所に生成されないそれは未知の物質の宝庫だった。記録を残し、すぐに姉さんに連絡をとり監督を要請した。姉さんはすぐにこちらへ来てくれるようだが、少し上の空だったのが心配だ。

 姉さんが来るまでこの場所を監視していると、M型がこちらに気付いて慌てた様子で走って来た。

「不可逆構造空間!反応があると思ったら、ここに出てたのか……あなたは……」

 彼はこちらを上から下まで素早く見て突如態度を変え出した。嫌味を込めてなんとか俺をこの場から離れさせようと必死になっている。気持ちは分からなくもない。学会は不可逆構造空間そのものの調査よりも未知の物質に重きを置いている。空間そのものの保全、生体の調査といった行動の後、慎重に物質を取り扱うイリバーシブルとは馬が合わない。もっと大切に扱え、ということだ。そうしたいのは山々だがこちらも組織であった。さらに俺が感染者ときた。幾分か症状が落ち着いていても、マスクの形状は日々安定を失いつつあるから、きっと俺が感染者だと気付くはずだ。間違いなく偏見が盛り込まれているだろうけど、保全がとなれば不安になってしまうのだろう。

 すると彼は「学会が」という意見から「感染者は」とシフトチェンジしてしまった。「感染者のあなたにここを汚されては困る」そんなことを言われてしまっては俺はもう何もできなくなってしまう。マニュアル通りに対応しているが、感染者というだけで話が全く通じない。まるで、こちらが絶対悪だというかのようだ。常識が違っていて、全く別の言語を発する大多数から否定されているような異常さ。冷や汗をかきはじめた頃、姉さんがやって来た。姉さんも冷静に対応しているが、相手は依然として態度を変えない。

 俺のせいで事が悪化する。このまま平行線で終わってしまえば彼は学会にクレームを入れるのだろう。そうなると、感染者はより境遇が悪くなる。どうすればいいのだろう。


 ――全く別の風が吹いた。


 唯一どの組織にも属さない存在が来たのだ。なぜか、姉さんに対するものと同じような安心感が芽生えた。

 彼は俺が感じた異常さを直接イリバーシブルの社員に味わわせていた。焦燥しきった彼は能動的とは言えないが俺に謝罪をしてこの出来事は幕を下ろした。

 ふと気付いた。ソルは、こんな景色の中でずっと生きてきたのだと。コンソルジャーだから助けなくてもいい、コンソルジャーだから侮辱したっていい。どんなに酷い扱いをしたっていい。その後のことは、彼だけの問題だから、放っておいてもいいのだと。そんな環境が当たり前の世界になっていたのではないか。

 俺は一般的とされる「家庭」では育っていなかった。それは姉さんも同じだ。父はずっと俺と姉さんを何か別のフィルターを挟んで見ていた。父からの愛というものはよく分からない。けれど、過酷な環境で育っているわけでもなかった。生易しいと言えばいいだろうか。

 コンソルジャーがどんな扱いを受けて来たか、もちろん自分がアディサリだから体験はできなかった。ただその空間の外側から「人としてダメなこと」であると理解していて、誰かに呼びかけるわけでもなく手を出さなかった。俺も大概受動的だった。これを人は、傍観と呼ぶのだろう。

 俺はもう生易しい空間から外れた。既に新たな環境が俺を侵食していることに気付いた時、酷く波形が乱れた。普通に話して、普通に外に出ることができて、普通に生活するということがもう叶わない。ソルはきっと随分幼い頃からこの事実に気付いていて、その事実に曝されて来たのだろう。

 ……そんな世界を傍観していただと?俺は自分に対する怒りで震えた。

 ただ、ソルは優しかった。自分では気付いていないだろうけれども。彼は俺の怒りを察して、けれど何も言わなかった。「やっと気付いたか」とか「今まで黙って見ていたくせに」だとか、そんな言葉をかける権利があるというのに、彼はそれをしなかった。

 

 俺は彼の本質に気付いた。

 本当は優しくて、攻撃されている人を放っておけないが、そんな己の心を悟られたくなくて、借りも貸しも作りたくはないことを深層に沈め、そして。


 孤独だった。

ソル、本当は気の合う誰かと関わるのが好きなんですよね。

もうそんなかつての仲間の殆どが破壊されましたが。

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