第15話 知らない瞳
(今回はセシリア視点です)
(これは《■の■■》視点です)
――わたしは、たったひとりの家族に自分の目をあげた。
そのことに悔いはない。
テレジアが今も元気に生きていてくれるだけで、わたしは幸せだ。
でも、可愛かったテレジアが成長して綺麗なお姉さんになった姿を見ることはできないのが、ちょっと残念だと思ったり。
ほんと……わがままね、わたし。
「セシリアさん、朝ですよ~」
「あ、おはようございます。この匂い……もしかして今日の朝食はお魚かしら?」
「そうなんです。いいお魚をいただいたんですよ」
赤身魚かな、それとも白身魚?
味付けはどうなっているのかしら。
食べるまでわからないこの感覚はちょっぴり楽しい。
「あ、ハーブを乗せてあるのね? オシャレで素敵じゃない」
「えぇ、魔蝕症の患者さん向けにアレンジして……って、よくハーブがあることわかりましたね!? すごい嗅覚……」
「へ……? ……あ、あぁ……そうね。目が見えないから他の感覚が鋭くなってるのよ」
ハーブの香りは、言われてみれば確かにする。
でもその時のわたしは匂いじゃなく、なぜか、魚にハーブが乗っている光景が見えた気がした。
その違和感からしばらくして、違和感は確信に近づいていくことになる。
「天井……なんで……」
ある日の朝、わたしは混乱した。
病院の天井――見たことあるのは、10年以上も前のこと。
魔眼を潰されたテレジアと共に、シルヴァさんに連れてこられた時以来だ。
落ち着いた色合いの天井……記憶の中にあるそれを思い出しているだけなのだと、そう思いたかった。
でも、記憶を探れば探るほど、目の前の景色は今わたしが見ているものだと実感してしまう。
「な、なんで目が見えるようになって……あれ、包帯……巻かれたまま……?」
いつも巻いている包帯が、より一層、これが異常事態であることを自覚させる。
夜のうちに手術されたわけじゃない。
だってこの目に光は見えない。
でも、なぜだか目の前の景色はわかってしまう。
なに、なんなの、これ……。
「あ、今日は早起きですね。お水飲みますか?」
いつもわたしのお世話をしてくれている看護師さんの顔も、動きまでもがわかる。
「あ、の……えと……エルドルド先生は、最近手術とかなされました……?」
「え? いえ……いつも通りですね。エルドルド先生の治癒魔法は強力ですし、手術するまでもないことの方が多くて……それがどうかしたんですか?」
「あ、いえ……ちょっと気になってしまって。そ、それより今日のご飯はなにかしら?」
これ以上『いつもと違う』を繰り返したくなくて、いつもの会話に戻す。
夜のうちにエルドルド先生が治してくれたわけじゃない。
そもそも……わたしの目のドナーは見つからないという話だったはずだ。
だから、テレジアはエルドルド先生に目を生成してもらうために治療費を稼いでくれている。
エルドルド先生によれば、治癒魔法を応用して欠損部位を再生させることもできるそうだ。
それでも簡単なことではないようで、大量の魔力を消費するから高純度の魔石を用意する必要がある。
その魔石は、まだ用意できていない。
――考えすぎてしまって、少し……頭が痛む。
朝食の味もよくわからない。
「……はぁっ、はぁっ」
前は何ともなかったのに、歩いているだけで身体が疲れ果てる。
最近は魔蝕症の子ども達が元気に走り回っているのに、ただ目が無いだけのわたしが疲れている。
わたしはおかしくなっている。
テレジアに迷惑をかけてしまうかもしれない。
早く、先生のところに……行かなきゃ。
「エルドルド……せん、せ……」
ようやく診察室に辿り着いた頃には、わたしは滝のように汗をかいていた。
エルドルド先生がギョッとして駆け寄ってくる姿も、今はわかってしまう。
「セシリア!? いったいどうしたんだ……それに、一人でここまで来たのか!?」
わたしを椅子に座らせ、廊下を確認するエルドルド先生。
当然、看護師の姿はなかった。
「なんて無茶を……手すりがあるとはいえ、危ないじゃないか」
「ご、ごめん、なさい……っ、はぁっ……でも、おかしいの……わたし……っ」
「……何があった」
わたしはエルドルド先生に伝える。
周りの景色がわかること、身体が酷く疲れること。
それを伝えると、エルドルド先生はメモを取りながら眉間にシワを寄せた。
「……視覚の変質、身体機能の異常……魔蝕症なのか? いや、だが……君からは魔力を感じない」
魔蝕症は魔力によって身体を蝕まれる病。
だから普通の人より大量の、滲み出るほどの魔力を持つ。
それがわたしには無いようだった。
「とにかく痛むんだね?」
「え、えぇ……頭が割れそうで、息も……ずっと苦しいわ……」
「よし、ひとまず治癒魔法で様子を見よう。なに、ボクは名医だからね。案ずることはないさ」
エルドルド先生は優しく微笑んでくれた。
頬に触れる手があたたかい……きっとこれで、良くなる……。
――――ドクン、とわたしの心臓が跳ね上がる。
身体がとても熱い。
なぜだか力が湧いてくる。
治癒のおかげ……? さすがエルドルド先生だ。
「あ、ありがとうござ……」
お礼の言葉は途切れてしまった。
鼻から血を垂れ流すエルドルド先生が視界に映ったからだ。
なぜ血が流れているのか、エルドルド先生は訳も分からないというような混乱した表情で自身の血を眺めている。
「な、なんだ……魔力、が……消えた……? ボクが?」
彼の言っていることがわたしには理解できなかった。
「こんなミス今まで一度も……い、いやとにかく、ボクが魔力切れするほどなんて過剰治癒にも程がある! セシリア! 君、身体の方はだいじょう……ぶ……」
エルドルド先生はわたしの方を見て硬直する。
そこでわたしは、自分の包帯が解けていることにようやく気付く。
だからこそおかしい。
だって今、わたしは……エルドルド先生と、目が合っている。
「せ、先せイ……わタし、これ……っ」
おかしい。
先生の目に映るわたしの姿。
10年ぶりに見る、成長したわたし……。
ねぇ……どうして、目があるの……?
濁った泥のようなその目は、明らかに人間のそれとはかけ離れている。
ねぇ、その目は誰のものなの……?
知らない。
わたしこんな目知らない。
「た……たすけ……」
知らない自分の姿に、思わず手を伸ばす。
大丈夫よ……きっと先生なら、なんとかしてくれる。
だって魔眼を潰されたテレジアに、わたしの目を移植してもらったんだもの。
なんの痛みもなく治療してくれた、あのエルドルド先生が傍に居るんだもの。
なにも、心配することはない。
――すると、わたしの背後から触手のようなものが伸びてきて。
「え?」
それは残酷にも鋭く、無慈悲に……エルドルド先生の肩を貫いてしまった。




