星を見に行こう
恋に勉強、部活だなんだとあるけれど、健全な男子中学生の夏休みの楽しみといえば、再放送のアニメと午後のロードショウ、それから何と言っても、アダルトビデオにつきる。
制作過程、及び資金の流通面などに種々の問題点は抱えているものの、それはどの産業も変わらない。たかだか数百円ぽっちでレンタル出来るこの映像作品は、実に魅力的かつ退廃的な娯楽であり、文化としての最盛期を迎えているであろう現在、ジャンル、内容、クオリティ、全てにおいて頭打ちになったきらいもあるけれど、それでもまだまだ可能性はある。我が国において最も自由度の高いエンターテイメントなのだから、エロのみに囚われず、地上波や配信サービスには真似の出来ない表現がきっとあるはずだ。
業界の今後の展望についてはさておき、一般的に、男子中学生がそれを鑑賞するためには、越えなくてはならない障壁が二つある。
一つはビデオの入手経路だが、これは各人所有のブツを友人同士で貸し借りしたり、あるいは理解あるスタッフのいるレンタルショップにて、親の会員証を用いて借りればよい。なので人を見る目、もしくは衆人環視の中、「未成年の方にはお貸しできません」と断られても、「そこをなんとか」と粘れるガッツさえあればクリアできる。問題は観賞場所だ。
ビデオを鑑賞するには、もちろんデッキとテレビが必要だが、どちらも大抵一家に一台しかなく、おまけに設置場所はリビングと相場が決まっている。まさかそんな一家団欒の場で、女性がアンドロメダな部分をさらけ出して「アンアン」喘いでいるビデオを、「ちょっと気になる作品があるから見てもいい?」なんて提案できるわけもなく、誰もがそこに苦心していた。ところがそんな中、我が家だけは事情が違った。
有難いことに、母と離婚した父の自宅はそう遠くなく、おまけに父は、家を空けることが多い。父の居ない日を見計らって家を訪れ、存分に性的好奇心を満たすのは、僕に与えられた特権の中でも最も上位に位置する。
今日見ようとしているのは、ほぼ旧作メインの僕にしては、珍しくリスクの高い新作だ。貸出期限は二泊三日なのに、一昨日も昨日も家には父の気配があったし、今日を逃せば高い延滞料金を取られてしまう。ただでさえ少ない飯代を削って遣り繰りしているのに、そうなっては目も当てられない。しかし幸運にも、今日は不在で、室内の様子から察するに数日は帰ってこないようだ。
テープをセットされたデッキが動き出し、静寂が支配する室内に、微かなモーター音を奏で、鼓膜から伝わる振動に胸を掻き立てられた僕は、息を飲み、意を決してリモコンの再生ボタンに手をかける。だが、間の悪いインターホンが、それを遮った。
いったい誰だ?こんな夜更けに。
父であれば鍵を使って入ってくるはずだし、時計の針は、とっくに零時を回っていた。こんな時間にやってくる来訪者なんて、きっとろくでもない奴には違いないが、心当たりがあったのを思い出し、玄関に忍び寄る。念のため右手に、台所からとってきた包丁を固く握りしめ、覗き込んだドアスコープの先には、クラスメートのキイチが立っていた。
「またお前かよ!」
空き巣や、強盗の類ではなくて安堵しつつも、うんざりして、胸の内で不満を叫ぶ。
キイチはいわゆる不良少年で、特段目的があるわけでもなく深夜徘徊し、いつもこんな感じに誰かの家へ転がり込んでいる。去年のゴールデンウィークに飲み会の場所として提供したのが間違いで、以来、家に僕が居ないとなると、ここまで探しに来るようになった。それにしても、派手な色をしたアロハシャツに、やたらと大きな、ジーンズ生地の短パン。終業式の日に金だった髪は、緑に染まっていて、ガラの悪さに一段と拍車をかけている。
ドア向こうにいるキイチは、まんじりともせずに応答を待っていたが、やがて、覗き返すようにドアスコープを一瞥すると、エレベーターの方へ引き返していった。
「ふう」
リビングへ戻り、ソファに座って一息つく。
何の用か知らないが、どうせしょうもない話に決まっている。気を取り直して、今度こそお楽しみを満喫すべくリモコンに手をかけるが、次はベランダの方から何やら物音が聞こえたので、様子を見に外へ出ることにした。
ガラス戸を開け放ち、生ぬるい夜の空気と、虫の鳴き声に頬を撫でつけられながら確認するが、特に変わった様子はない。粗大ゴミとして捨てる予定が、ずっとそのままになっている四人掛けのソファが一つあるのと、釣り道具が散乱しているだけだ。だが物音は止まず、むしろ大きくなる一方で、音の出所を探るべく、駐車場へ目をやりかけてようやく気付く。
「おい・・・」
「・・・」
「おい・・・」
「・・・」
「オイコラテメー、何やってんだよ!」
「?・・・なんだー、やっぱりいるんじゃん。いるなら早く出て来いよ」
「出て来いよじゃないだろ、何やってるんだよそんな所で」
物音の正体は、やはりキイチだった。
「お前、ここ七階だぞ?」
「知ってるよ。731号室、石井部隊と同じ数字だからよく覚えているよ」
「いや、そうじゃなくって・・・」
命綱もつけず、器用に雨樋を伝って登ってきたキイチを問い詰めるが、案の定、全く話にならない。こんな奴に常識を諭したって無駄なのだからと、諦めて用件を尋ねてみれば、ニカッと微笑み、シンナーで溶けた歯が顔を出す。
「星、見に行こうぜ、星」
「星?」
「お前、知らないのかよ。今夜一時に、なんとか流星群ってのが地球の近くに来るらしくって、流れ星がいっぱい見れるって、テレビで言ってたぞ」
「それがどうしたんだよ」
「それがどうしたって・・・お前これを逃すと、次は三十三年後だぞ、三十三年。三十三年後の今日が晴れてるとは限らないし、第一その時、俺たちはいくつだよ。ええと、今年十四になるんだから・・・六十五か⁉」
「四十七だよ馬鹿野郎。どんな年の取り方したら、三十三年で五十一歳も老けるんだ」
「おおー、さすが珠算検定七級」
「よせよ、恥ずかしいだろ」
「なんだよ、満更でもないくせに。まあそれはいいとして、現実的に考えてよ、四十七歳にもなって、夜空なんて見上げられると思うか?」
ふいにそんなことを言われ、つい首を動かしてみるが、別にその年齢になってもそれくらいの事は出来そうだが。
「違う、違う、そういう意味じゃなくって、大の大人が、夜空を見上げて星なんか見るか?」
考えてみればたしかに、星に興味のある大人なんて、あまり思い当らない。天文学者か天気予報、あるいは途方に暮れて立ち尽くしでもしない限り、そんな暇はないのかもしれない。
だが、それでも答えは同じだ。
「嫌だよ、行かねーよ」
「え、正気かよお前⁉︎今の話、ちゃんと聞いてたか?」
「聞いてたけどよ、でも、だからって行くわけないだろう。男二人で天体観測やって、何が楽しいんだ。それに第一、俺はお前の事が嫌いなんだから」
「何でだよ。いいから早く行こうぜ、早くしないと、通り過ぎちゃうかもしれないし」
僕の意見なんてまるで意に介さず、キイチは催促し続ける。
「誰か他の奴を誘えよ、何て言ったっけ?ホラ、あの耳のデカい、ロバみたいな顔をしたノッポとか、友達ならいっぱいいるだろう」
「いやいや、流石にこんな時間から、いきなり遊べる奴なんていないでしょう」
「だったら何で俺なんだよ」
「だってお前、いつも暇だろ」
失敬な。元から顔に出やすい性質ではあるが、特に隠す必要もないので怒りをあらわにしてみせるけれど、キイチは気にも留めず、平然としている。
「だったら一人で行けばいいだろう」
「お前な、一人で行ってどうするんだよ。こうゆうのは誰かと行くから良いんだよ」
無駄だと分かっていても、つい付き合ってしまうのが人情というものだろう。このままでは埒が明かないので、靴を引っ掴んでキイチを部屋へ入れ、そのまま玄関へ向かって押し出していく。しかしその拍子に、床に転がっていたリモコンを踏んづけ、件のビデオが、誤って再生される。
「お?お・・・お、おお」
別にAVくらい、見ようとしているのがバレたって構わないけれど、異変に気付いた僕も振り返り、キイチと同じ嘆息を漏らす。
僕がレンタルしたのは、今売り出し中の新人女優が出ているデビュー作で、インタビューから始まる極めてオーソドックスな内容のはずだった。しかしどういうわけだろう、画面には大量の○○に塗れた複数の男女が、あまつさえ互いの○○を肴にそれらを飲み下しているのは。
慌ててデッキに飛びつき、停止ボタンを押してタイトルを確認するが、そこには「ブラジリアンハードコアスタイル くそったれ!vol.9」と、全く見覚えのないタイトルがサインペンで殴り書きされていた。どういった経緯があったのかは知れないが、どうも借りる時にパッケージと中身が入れ替わっていたらしい。なんにせよあのビデオ屋、なんちゅう品を扱っておるのだ。しかも長期に渡ってシリーズ化されているなんて。
「意外でもないけど、お前、こんなのが趣味だったんだな」
えらくガタイの良いラテン女がひねり出す○○を、満面の笑みで食すタフガイを見ながら、キイチが深刻な声でそう呟き、ハッと我に返る。
「いや、ちょっと待て!誤解だから、これは違うんだって!」
「いいからいいから、気にするなって。誰にも言わないから。それじゃあ、忙しいみたいだから帰るけど、金輪際お前とは遊べないかもな」
「だから待てって、人の話はちゃんと聞けって!」
「心配するなよ、ちゃんと心得てるから。じゃあ元気でな」
「ああ、もう分かったよ、行くよ。行くからちゃんと説明させてくれ」
あいつには不名誉な性癖があるなどと、方々で吹き込まれては敵わないので、急いで身支度をしてキイチの後を追う。
てっきり、展望台なり高台へ連れて行かれるのだと思っていたら、見晴らしが良いとはいえ辿り着いたのは、すぐ近所にある団地の広場だった。
数年前に建てられたこの団地は、僕らの地元にしてはえらく新鋭的な外観をしており、「無機質で人の存在を感じさせない」というコンセプトに基づくデザインは、国内はおろか、わざわざ海外からも視察に訪れるくらいだ。僕らを遠くに取り囲む建屋には、少なくとも五百以上の人間が暮らしているはずなのに、しかし時間帯のせいも相まってか、その佇まいはひどく空しい。
「・・・なあ。まだあんなことを根に持ってんのかよ」
キイチが言及しているのは、父の家で飲み会をやった際、僕の意中の相手を呼び出した件についてだ。
ただそれだけならば、「余計なマネしやがって」と思いつつも、あるいは内心、喜べたのかもしれないが、「せっかくだから」と目の前で男女のまぐわいを見せつけ、それだけならまだしも、僕を除く、その場にいた男全員でくんずほぐれつし始めた日には、怒りどころか殺意の芽生える方が当然であろう。
「ぶっ殺してやる!」
その時の光景が脳裏によみがえった僕は、急激に怒りが沸点に達し、キイチへ殴りかかる。だが、喧嘩慣れしている不良少年と、発育不良のオタクとでは、てんで相手にならない。
「だから、悪かったって言ってるじゃん、なんでそんなに怒るんだよ。絶対に喜ぶと思ったのに、実際、お前だって楽しんでただろう」
全力で放つ、必殺のパンチが何度も空を切り、ゼエゼエとみっともなく、肩で息をする。そうだ、その通りだ。キイチがあの子を呼んだのは、なにも嫌がらせや自分の為ではなく、場所貸しした事に対する、僕への礼のつもりで、それに何より、あの子だって十分楽しんでいた。本当は、僕もそれに加わりたかったのだが、土壇場で正気を保てない、臆病な自分を認められないから、こうして八つ当たりしている。
「駄目だ、絶対に許すもんか。ただ、もう疲れたし、お前を殴ったって何かが変わるわけでもないから、もうやらない」
足がもつれ、ひっくり返った流れで空を見上げるが、予想通り、期待に適う星空が広がっているわけもなく、いつも通りの、重たい暗闇があるだけだ。
「よっこらせ」
胡坐をかいたキイチが隣に座り、煙草に火を点ける。どうしてそんな物を吸うのか、二、三口吸って吐き出した煙が雲と交じり、向けられた吸い口を僕が手で払うと、おもむろに尋ねられる。
「なあ、お前って、将来の夢とかないの」
「は?なんだそりゃ、真剣十代喋り場か、ここは」
「茶化すなよ。それで、どうなんだよ」
「無いよそんなもん。たとえあったとしても、お前にだけは絶対に教えないから」
「なんだよそりゃ、いいじゃんか別に」
「だったらお前はどうなんだよ」
どうせラーメン屋になるとか、そんな所だろう。不良と呼ばれる人種を心底馬鹿にしている僕は、適当に聞いたはずが、キイチの答えが意外だったのに驚く。
「俺か。俺はな、いつか妹と弟を、ディズニーランドに連れていくんだ」
「ディズニー?」
「ああ。ほら、うちもそんなに良い家庭環境じゃないからさ、俺は良いけど、あいつらには楽しい思い出も作ってあげたくてさ」
「うちも」という言葉は少し引っかかるが、キイチの家が複雑な事情を抱えているのは知っている。再婚してすぐに母親が亡くなったので、今は義理の父親と妹、それから種違いの弟と四人で暮らしているはずだ。
「へー、そっかー、まあ叶うんじゃない」
「おお、お前もそう思うか⁉」
F1レーサーだとか、宇宙飛行士になるわけでもなし、ディズニーランドくらい、少し頑張れば行けるだろうに。大げさな奴だ。夢と呼ぶには、あまりにも現実的で些細な望みは、僕からすれば、少し先の予定にしか思えなかった。
「それにしても、なかなか出ないもんだな、流れ星ってのは」
予定時刻を過ぎて、かれこれ5分以上は暗闇に目を凝らし続けているが、一向に星は瞬かない。クビキリギスの鳴き声と、汗で纏わりつくシャツの不快さだけが、間延びした時間の中を埋め尽くしている。
「まあ規模のデカい話だし、それだけ誤差もあるんじゃないか」
「規模がデカい?なんの話だ」
「星ってのは、だいぶ離れた所にあるだろう。だから、今この瞬間に輝いて見えても、その光自体は、何年も前の物だったりするわけだ。そう考えると、ほんの少しの誤差が人間にとっては・・・」
「お、いま流れたな」
「ホントだ」
「あ、また」
結局、その日に観測できた流れ星は、その2つきりだったし、流星群なんて言う割には、大したことはなかった。僕もキイチも、無駄な時間を過ごしただけで、「これだったら、何か特別な日でなくても、天気さえよければ、もっと見れるんじゃないか」って話しになり、仕切り直すことにした。だが、その約束は終ぞ果たされず、季節は静かに移り行く。
始業式の日、あっという間の夏休みが明けても、まだ浮足立ったままの生徒たちは、キイチの話題で持ちきりだった。
「素行不良の少年が、口論の末に逆上し、父親の腹部を包丁で刺す」
ありきたりな事件だが、小さな田舎町にとっては充分センセーショナルで、地域では有名だったのも手伝い、「まあアイツならやりかねないよな」と、噂は瞬く間に広まった。誰もかれもが、ある事ない事を囁きあい、こういった場合にしか得られない、被虐的な欲求を満たしている。
たしかに、キイチのやったことは過ちであり、罪だ。しかし、だったら妹に客を取らせていた義父は、どうやって止めればよかったのだろうか。認めたくはないが、いくら考えても、他の選択肢が浮かばない僕もまた、あいつと同類なのかもしれない。
キイチの事は変わらず嫌いだし、あんな奴がどうなったって構わない。きっと、全てあいつが悪いと言うのも理解できる。ただ、あいつが願った、他愛もない夢が叶わない世界なんて間違っているし、どうあっても許すわけにはいかない。
三十三年後のあの日、星は輝いているだろうか。少なくとも、夜空だけは見上げていたい。
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