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ドルトムント侯爵の娘、クララは憂鬱そうに馬車の外を眺めた。婚約者が迎えに来なかった。これで二人の婚約は見直しされるだろうし、彼自身の進退にも影響があるだろう。何しろ二人の婚約は王太子殿下が決めたことだ。
二年ほど前、ドルトムント領とクレーフェルト領に流れる河川が氾濫した。その後、大規模な治水事業が計画された。
それにより、クレーフェルト侯爵の二女ガリアナがドルトムント侯爵の長男ルイスに嫁ぎ、ドルトムント侯爵の長女クララがクレーフェルト侯爵の長男エミルに嫁ぎ、数代に渡って結束を固め、治水事業を成功させようとそれぞれの当主が誓った。
クララの兄ルイスは既に結婚しており、二子を授かっていたが、妻のグネルは離縁ではなく妾として残る事を選択した。
緊張感漂う家だったが、お互い尊重し少しずつ歩み寄り次第と緊張感も薄れていった。ガリアナは現在懐妊中で、本来ならば、自分の健康に気を使うべき時なのに弟のしでかしに倒れてしまった。
「ガリアナお義姉様、どうなるのかしら?」
「兄上が見捨てる事ないと思うけど」
クララの二番目の兄ヘリサーは答えた。
「君はもう自分の事だけに集中しなさい」
「そうだけど……」
ドルトムントとクレーフェルトの家には、今回の騒動が収まりそうにないと諦めてから、使用人をそれぞれ送り込み、いざという時に備えて記録を取っている。お互いの傷が最小限になるように。
事の発端は、定期的に開催される学園での園遊会だった。気候の良い秋に開催され、クララはエミルと一緒に参加した。エスコートはあってもなくても良い、とされ、近隣の男子寄宿学校の成績優秀者も招待されていた。
とある子爵令嬢がエミルを気に入ったらしい、あの方と親しくなりたいわ、と話していたのを人伝に聞いた。
そのような事はよくある話で、クララは微笑ましく思っていた。
クララの将来は決められている。誰かに憧れる事も許されない。許されている彼女が羨ましいとは思わないが、自由な今だけでも楽しんで貰えばと思っていた。節度さえ守ってもらえばよい。この学園の生徒だ。政略結婚の意味も、王太子殿下が決められた婚約だと理解している筈。
それから行事がある度にその子爵令嬢は果敢にエミルに話しかけ、次第にエミルの通う寄宿学校の行事にクララが誘われる事がなくなった。
同時に手紙や贈り物のやり取りがなくなった。
お喋りに興じるのは構わないが、行事の際クララに同伴も求めず、その子爵令嬢リーナを同伴させるのはおかしい。そこでクララは家に連絡した。
ドルトムント侯爵家の家政を取り仕切っているゲッシャー伯爵の三女リラが、一連の出来事を詳細に記録していたから、それも添えた。
クララの父、ドルトムント侯爵はクレーフェルト侯爵にエミルの行動の改善を求めた。事の次第を知ったクレーフェルト侯爵は激怒し、エミルを呼び出し、叱りつけた。
娘を持つ父親ならば理解してくれるだろうと思っていたクララはほっとした。もし放置されたらどうしようとも思っていたからだ。
実の父親だけでなく、将来の義理の父親も味方な事に安心したが、エミル達は妨害される恋に燃え上がった。
リーナが行動を起こし始めてもうすぐ一年。
既にリーナの生家ロートゲン子爵家には、ロートゲン家の主家レムシャイト侯爵から注意がされている。その書面の写しがドルトムント、クレーフェルトの両家に送られてきており、レムシャイト侯爵から謝罪もされた。
それら全てを聞かされているのに、二人は行動を改めない。
そして今夜。
既に王太子殿下の許可は取ってあり、エミルが迎えに来ない事が確定したから、今頃は婚約解消の手続きに入っているだろう。
しかし、卒業パーティーに二人は揃ってやってくるのを見なければならない。欠席するなど、ドルトムント侯爵家に者として許されない。婚約者に愛されなかった女としてパーティーに参加するのは憂鬱な事。愛がなくてもそうなのだから、もし好きになっていたら、どれだけ傷つく事か、どれだけ惨めになる事か。