呪いが解けた王子様はもう一度呪われたいにゃー
第一王子エドゥアルトの呪いが解けた。
彼は悪い魔女から呪いをかけられて、猫の姿に変わってしまったのだ。
次期国王の座がほぼ約束された、立太子も近い第一王子。
それが言葉も喋れない可愛い子猫に変身したものだから、王宮の中枢は上を下への大騒ぎになった。
国王はただちに箝口令を敷いて、第一王子はしばらくのあいだ病気療養だと寝室に軟禁状態になった。
幸いにも、呪われた王子の秘密は、王家と限られた極一部の忠臣たち――そして婚約者の侯爵令嬢シャルロッテが知るだけだった。
エドゥアルトは第一王子として、立太子も前にすでに多くの執務や公務を抱えていた。
でも、猫の姿ではペンさえも持てない。
そこで、婚約者のシャルロッテと、彼の弟である第二王子ハインリヒが協力して、エドゥアルトの仕事を代わりに担うことになったのだった。
第一王子の代理の仕事は、小さい頃からお妃教育を受けていたシャルロッテが指揮を取った。
はじめは慣れない第二王子だったけれど、もともと要領が良かったのですぐに仕事を覚え、第一王子の代わりを頑張って務めた。
昔からやんちゃな第二王子に、第一王子の代役ができるか心配していた国王もこれには一安心。国内も特に混乱せずに、政務も滞りなく進んでいったのだった。
シャルロッテは未来の王妃としての責任感でいっぱいで、日々の政務に追われ、猫になったエドゥアルトのことを構っている余裕なんてなかった。
哀れな第一王子は、一人孤独に――ではなく、男爵令嬢ローゼが献身的に側についていた。
ローゼとエドゥアルトは王立貴族学園で出会った。二人はすぐに意気投合して、今ではとっても親密な関係になっていたのだ。
「猫ちゃん、ご機嫌いかがかにゃあ?」
「にゃー」
「うんうん、今日も元気そうね」
「にゃー!」
ローゼは、毎日王宮へ通ってエドゥアルトの相手をしていた。彼が猫の姿になっても、彼女は馬鹿にすることも失望することもなく、いつも元気な笑顔をくれた。
そんな心優しい姿に、エドゥアルトはますます惹かれていったのだった。
◆
それから三ヶ月たって、ついにエドゥアルトの呪いが解けたのだ。
「兄上、良かったですね」とハインリヒ。
「これで一安心ですわ」とシャルロッテ。
「…………」
エドゥアルトは、喜ぶ家族や婚約者、家臣たちを顧みずに、まっすぐにローゼの顔を見た。
「ローゼ。俺は君のおかげで、この三ヶ月間、とても救われた。君はまさしく俺の女神だ。これからも――」
「いやぁっ!!」
にわかに、ローゼが大声を上げる。そしてポロポロと涙を流しはじめた。
「ロ、ローゼ!?」
エドゥアルトはおろおろと彼女の顔を覗き込む。
「どうしたんだ、ローゼ?」
「猫ちゃんじゃなきゃ嫌なの! 猫ちゃん〜〜〜っ!」
ローゼはおいおいとエドゥアルトの腕の中で泣き出して、彼はどうしたものかと困り果てていた。
その様子を白けた目で見る弟と婚約者……と、家臣たち。
しばらくして、
「……分かったよ、ローゼ」エドゥアルトは、愛おしそうに彼女の瞳を見つめる。「君のためなら……俺はもう一度、猫になろう」
「本当っ!?」
ローゼのつぶらな瞳が輝く。
「はぁぁぁぁっ!?」
シャルロッテは、はしたなく叫ぶ。
「あ、兄上ぇっ!?」
ハインリヒは素っ頓狂な声を上げた。
「そういう訳だ。俺は彼女とともに、魔女のところへ行く。あとは頼んだ」
「何をおっしゃっているの!?」
「なんだ、シャルロッテ。戻るまでまたお前たちが俺の代わりを務めれば良いだろう?」
「そういう問題ではありませんわ! 王子としての――」
「まぁまぁ、シャルロッテ嬢」ハインリヒが手をかざして彼女を止める。「ここは、兄上の好きなようにやってもらおう」
「で、ですが」
「大丈夫だから。ここは僕に任せて、ね?」と、彼は片目をつぶった。
「……わ、分かりましたわ」
第二王子の有無を言わせない見えない圧に、彼女も渋々と頷く。
「あとは任せたぞ、弟よ」
「もちろんです、兄上」
こうして、王子エドゥアルトと男爵令嬢ローゼは、魔女に再び呪いをかけてもらうために、二人で旅に出たのだった。
◆
第一王子が消えた王宮は――特に変わりはなかった。
エドゥアルトが猫になってから、もう三ヶ月以上がたつ。王子職の政務体制はすっかり第二王子が中心になっていて、そこになんの問題もなかったのだ。
あんなに頼りなかった次男の成長に、国王も喜ばしく思った。
反対に、無責任な長男には憤りを覚えていた……。
ハインリヒは、これまで以上に精力的に仕事をこなして、目覚ましい活躍を遂げていた。
快活で身分に関わらず意見に耳を傾ける彼のもとには、自然と貴族たちが集まって来て、それはだんだんと派閥のようなものになっていった。
根が真面目で責任感の強いシャルロッテは、いつも頑張っているハインリヒの姿に心打たれた。弟のように可愛がっていた彼は、やがて彼女にとって一番頼りになる男性となった。
そして、ハインリヒにとって、彼女は初恋の女性だった。
そんな二人が結ばれるのに、時間はかからなかった。
◆
「悪い魔女にはなかなか会えないな……」
一方、エドゥアルトとローゼの旅は難航していた。
王宮から離れて早一ヶ月、彼らは魔女が住むと言われている山の上へと向かっていた。
その麓には海のように深い森が広がっていて、右へ行っても緑、左へ行っても緑しかなくて、コンパスも効かず、どうしようかと途方に暮れていた。
二人はやっと辿り着いた小さな滝の側に腰を下ろして休憩を取る。跳ねてくる冷たい水が、火照った肌をくすぐって心地よかった。
「すまない、ローゼ。君が望む猫の姿になるのは、まだまだ先のようだ」と、エドゥアルトは肩をすくめる。
すると、ローゼ男爵令嬢はおもむろに立ち上がって、ぎゅっと彼を抱きしめた。
「ううん、もういいの」彼女はふっと柔らかく微笑む。「あたしのために、頑張ってくれてありがとう――エドにゃん」
「ロっ……」彼の頬がみるみる上気した。「ローゼにゃん……!」
「あたしは、この旅で本当に大切なものを見つけたの。それは、あなたよ、エドにゃん」
「俺も……俺も、君が好きだ、ローゼにゃん! 大好きだっ!」
エドゥアルトはきつく彼女を抱き返した。
身体の隅々までみなぎる、ありったけの愛情を込めて。
「あたしも、あなたが大好き……! わがまま言ってごめんなさい。あたし、本当はエドにゃんとずっと一緒にいたかっただけなの……」
ローゼは初めてエドゥアルトと出会ったときから、一目で恋に落ちた。
その愛は彼が猫になっても変わらなかった。他の人間が獣になった彼と取り合わなくなったときも、彼女だけは彼を見捨てなかった。
何故なら……心の底から彼のことを愛していたからだ。
同じ気持ちを、エドゥアルトも密かに抱いていた。
猫になって人語が話せなくなった途端に冷淡な態度になった婚約者、失望を隠せない父王、戸惑う家臣たち……。彼らの糸が絡まったような複雑な視線に絶えきれず、逃げるように自室にこもった。
しかし、ローゼだけはこんな自分に辛抱強く付き合ってくれた。彼女だけは信じてくれたのだ。
そんな女性を愛せずにはいられようか。
「愛してる、ローゼにゃん……」
「あたしも愛してるわ、エドにゃん……」
自然と二人の顔が近付いて、やがて唇が重なった。
◆
「――と、いうわけだ。戻ったぞ。二人ともご苦労だったな」
愛し合う二人の旅は終わって、再び王宮へと舞い戻る。
懐かしいそこは、今日も政務で慌ただしい日常を送っていた。
「は?」
「どの面下げて戻って来ましたの?」
そんな二人を、弟と婚約者は氷のような冷ややかな視線で出迎えた。側に控えている家臣たちも、どことなく他人行儀で、重々しい雰囲気だった。
エドゥアルトはそんな不穏な空気を気にも留めずに、
「俺は今日から第一王子として、再び使命を全うしよう。――この、未来の王太子妃ローゼとともにっ!」
ローゼの腰を抱いて、彼女の華奢な身体を引き寄せて密着させた。
「シャルロッテ……悪いが君とは婚約破棄だっ!!」
そして得意満面に、強く言い放つ。
「………………」
「………………」
「………………」
冷えた沈黙。
シャルロッテもハインリヒも家臣たちも、呆れたようにエドゥアルトを見ていた。
「……あー、兄上?」
しばらくしてハインリヒが口火を切る。
「言うな、弟よ。俺は真実の愛を見つけたのだ。彼女だけは、なんとしても譲れないのだ」
「あぁ、それは別に良いのですよ」
「おぉ! お前も俺とローゼの仲を祝福してくれるのだな?」
「はい、兄上」弟はにやりと弧を描いて笑って「だって、兄上はもう自由の身ですから。男爵令嬢と恋に落ちようが婚姻しようが破滅しようが構いません」
「はめっ……!?」
思いがけない発言に、エドゥアルトは目を白黒させる。
今のは自分の聞き間違いだろうか。穏やかでない単語が耳に飛び込んで来たような……。
弟は涼しい顔で続ける。
「そうです、兄上。あなたの無責任な行動は、王宮を混乱に陥れました。そもそも、魔女から呪いをかけられた理由も、彼女が猫の姿でベンチで昼寝をしていたところ、あなたと男爵令嬢が逢引をするために無理矢理追い払ったからだそうじゃないですか。
可哀想に……あの魔女は病気を患っていたため、日光浴が欠かせなかったのです。猫の姿に扮することで全身をくまなく太陽が浴びられると、毎日の日課にしていたそうですよ。眠っている彼女をあなたが突然驚かすものだから、びっくりして噴水に落ちてしまって病状が悪化した、と訴えていました。自業自得ですよ、兄上」
「いやっ、それは、あの猫が……」
エドゥアルトの顔がみるみる青ざめる。そう言えば、そんなこともあった。
あの日、自分はローゼとゆっくり話がしたくて王宮の裏庭の目立たない場所に向かったのだ。そこに野良猫が図々しくも居座っていたから「しっしっ!」と追い払ったのだが――……。
「駄目ですよ、兄上。動物には優しくしないと」
「っ……!」
「あとは私が説明する」
そのとき、背後の扉から重々しい声が聞こえてきた。
振り返ると、国王がとても険しい顔をしながらこちらへ向かって来ていたのだ。
◆
「ち、父上……!」
その場の全員が頭を下げる。白けた空気が一気に峻厳に変化した。
国王は「面を上げよ」と合図をしてから、おもむろに話を始める。
「残念だ、エドゥアルトよ」父王は悲しげに首を横に振る。「お前には失望したよ」
「で、ですが父上――」
「百歩譲って魔女から呪いをかけられたことは仕方ないとしよう……猫ちゃんをいじめるのは許せないが……。しかし、お前は人間の姿に戻ってからも、第一王子としての責務を放棄した。このことは由々しき事態である。
――よって、エドゥアルトは王位継承権を剥奪の上、国の最北にあるサイーバ領へ左遷とする。……親としてのせめてもの情けで、お前には男爵位を与えよう。今後は男爵として領地を治めるように」
「なっ……! なんだってぇっ!?」
絶句するエドゥアルト。あまりの衝撃で全身が麻痺したように動けなかった。一瞬で頭が真っ白になる。
王位継承権を剥奪……男爵位……更に草以外なにもない辺境に…………。
「良かったですね、兄上!」ハインリヒは明るい声音で言う。「男爵位だったら、そこの男爵令嬢との婚姻もなんの問題もありませんよ。真実の愛を貫けて何よりです!」
「そうですわ、エドゥアルト――男爵様? それに、わたくしたちも真実の愛を見つけましたのよ」とシャルロッテ。「わたくしはハインリヒ様と婚約をしましたの」
ハインリヒはおもむろにシャルロッテの手を取って口付けをする。そして二人は熱い視線を交わした。
唖然としてその様子を見るエドゥアルト。
ハインリヒは勝ち誇ったように嘲笑を浮かべて、
「そもそも、既に兄上と彼女の婚約は破棄されていたのですよ。もちろん、兄上の有責で」
「これからは男爵として頑張ってくださいませ、辺境で」
「ふっ……ふざけるなっ!!」
エドゥアルトは顔を真っ赤にさせながら叫ぶ。怒りで震えが止まらなかった。
「まだ、なにか?」と、シャルロッテは不快そうに首を傾げる。
「ふざけるなと言っているのだっ! 俺から地位も名誉も財産も取ったら……顔しか残らないじゃないか!」
エドゥアルトは令嬢たちから「黄金の貴公子」と陰で呼ばれていた。
長身白皙、黄金の瞳と絹のようなさらりとした金髪は、見る者を虜にするほどの完璧な美しさだった。己の桁外れの美貌を彼自身も自覚していたのだ。
「はあぁぁぁぁっ!?」激昂したシャルロッテが思わず品のない声を上げる。「なにを思い違いをしていらっしゃいますの? あなたなんか、ハインリヒ様の太陽のような美しさに比べたら、日陰の苔みたいな容貌ですわ!」
「なんだとっ!? シャルロッテ、お前、昔は『エドゥアルド様のお顔は国一番の美しさですわ♡』って頬を赤く染めていたじゃないか!」
「はぁ〜ん? そんなこと、ありましたかしら?」
「何度もあったぞ! お前、俺の顔が大好きだといつも言っていただろうが!」
「馬鹿な王子は顔しか褒めるところがなかったのよ!」
「はい、認めましたー! 侯爵令嬢は第一王子の顔が良いって認めましたー!」
「なっ……! ハインリヒ様のほうが何千倍も顔が良いわよっ!!」
「もう止めてっ!!」
そのとき、ローゼ男爵令嬢の悲痛な叫び声が、醜く言い争う二人の間を引き裂いた。
◆
「もう止めて! これ以上あたしのために争わないでっ! エドにゃんっ!!」
ローゼはエドゥアルトに懇願するように、ぎゅっと抱き着く。
「ロ、ローゼにゃん……!」
「にゃん、ですって!?」とシャルロッテ。
「うわぁ……」とハインリヒ。
ローゼは外野の冷めた空気なんてお構いなしに、すぐさまエドゥアルトとの二人だけの世界を構築する。
「あのね、エドにゃん。あたしは、エドにゃんの身分や財産なんて、なんでもいいの。大事なのは、これからも、ずぅーーーっと、エドにゃんと二人でいられることだよ?」
「そう……だったな」エドゥアルトはふっと息を吐く。「俺も……愛する君と一緒にいられれば、それでいいんだ……」
「たしかに、辺境の地で生活するのは大変かもしれないわ。でも、エドにゃんと二人なら……そこは世界の中心だよ?」
「その通りだ。俺とローゼにゃんが立つその場所に……世界は存在する。俺たちの周囲を黄金の太陽が巡って、銀色の月は静かに付き従うのだ」
「これから二人で頑張るにゃー!」
「そうだにゃー!」
「にゃー!」
「にゃー!」
――バコーン!
そのとき、シャルロッテのこれまでの恨み辛みのこもった渾身の回し蹴りが、エドゥアルトの側頭部に炸裂した。
「きゃあっ! エドにゃんっ!」
どさりと倒れるエドゥアルト。
そして、
「さっさと失せにゃあぁぁぁぁぁぁぁ…………」
彼の頭上に、シャルロッテの地獄の底がひび割れるような恐ろしい声が響いた。
「シャルロッテ、語尾、語尾」とハインリヒ。「……にゃー」
「くっ……」エドゥアルトは重い頭をさすりながら立ち上がる。「覚えてろよ、シャルロッテ! 絶対にサイーバ領を王都より繁栄させてやるっ!」
「思い立ったら吉日だにゃー! 早速、辺境へ向かうにゃー!」
「よしっ! すぐに出立だにゃー、ローゼにゃん!」
「兄上〜! 達者でにゃー!」
◆
こうして、第二王子ハインリヒが新たに王太子となって、侯爵令嬢シャルロッテと婚姻を結び、元・第一王子エドゥアルトは男爵となり、妻ローゼを伴い辺境の地の領主となった。
後に国王となったハインリヒは善政を敷き、その生涯を王妃シャルロッテとともに、国のために捧げたのだった。
辺境サイーバ領は王都には遠く及ばないが、まぁまぁ発展した。
そしていつからか、領地では語尾に「にゃー」と付けるのが方言として定着していったのだったにゃー。
読んでくださってありがとうございました!
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作者の励みになります!
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ただいま「ゴーストと呼ばれた地味な令嬢は逆行して悪女となって派手に返り咲く〜クロエは振り子を二度揺らす〜」という話を連載中です!
是非是非、こちらも読んでください!! よろしくお願いいたします!!
(第一章は主人公が虐げられる話がメインなので閲覧注意です!)