無罪の神
舞泉 神夜はいつものように学校が終わり家に帰ると、そのまま椅子に座って目を閉じた。
何をするわけでもない。ただ目を閉じて今日一日の事を振り返る。
正確に言うと何もしないわけではない。静かに閉じた瞳の裏で、嫌気が差すほど毎日見ているクラスメイトを惨殺するのだ。
本日の凶器はチェーンソー。本体の右端にある主電源を入れ、モーターを起動するための紐を引っ張る。
すると「ウィーン」と言うけたたましい音と共にチェーンソーが唸りを上げた。
彼の居る場所は体育館裏。チェーンソーを持ったまま自分のクラスに奇襲を掛け、驚愕するクラスメイトたちを血祭りに上げる。
ある者は首を切断され、ある者は上半身と下半身を真っ二つにされる。
逃げる者、怯える者、止めようとする者、その様子は様々だが、彼を止める事など出来るはずも無い。
これは神夜の妄想なのだから。彼が絶対神であり、彼を超える存在などあるはずもなかった。
クラスメイト全員を始末すると、教室はまさに地獄絵図だ。
血が飛び散り、臓器が無惨に転がる。飛び出された眼球があちこちに飛散し、誰のものか分からない身体の一部が血の海に浮いている。
「僕が神なんだ・・・・・」
そう呟いて目を開けると、決って彼の身体は汗まみれになっていた。
神夜が妄想の中でクラスメイトを惨殺する世界は、まさしく彼の理想の世界と言えた。
それが現実になったらどれほど良いか。どれほど歓喜するか、想像も付かない。
積もり積もった恨みは、彼を異常な行為に及ばせるに十分な殺傷力を持っていたのだった。
だが最初から異常だった訳ではない。やはりきっかけがあった。
神夜は他の男子と比べると身体が小さい方だった。背も低く、体質も痩せている。
いくら食べも太らない、女性からすれば永遠の羨望とも呼べる体質を持っていた神夜は
そんな体質が原因でイジメのターゲットになってしまった。
小学生の頃、学校へ行くと上履きが無くなっている。自分の机は廊下に出されている。
挙句の果てに学校に置きっ放しの道具箱は神夜の目の前でズタズタにされ、捨てられてしまった。
酷い時など机に花の添えられた花瓶まで置かれる事があった。
好きな女の前でズボンを脱がされ、床に置いたパンを無理矢理食わされ
体育の授業時に先生が見ていないところで殴られる事もあった。
それでも神夜は耐えた。中学生になれば隣の区域にある小学校の生徒と同じ学校に通うことになる。
そうなればきっと友達が出来るはずだと、そう信じながら小学校生活を必至で耐え忍んだ。
しかしそんな神夜の儚い願いも、音を立てて崩れ去った
壮絶なイジメに耐えぬき、小学校を卒業した神夜に待っていたのは、またしても陰湿なイジメだったのだ。
弱者は所詮弱者と言わんばかりに、それまで受けていたイジメよりもエスカレートした形で神夜を襲った。
隣の地区にある小学校と合同になることで現状の変化を期待していたのだが、それは無駄なものへと変わった。
新しい友達など出来ず、隣の地区からやって来た生徒までがイジメに参加するようになったのだ。
陰湿なイジメはいつしか暴力へと変わり、暴力は壮絶なリンチへと変わって行った。
「殺っちまえよ・・・・」
「えっ・・」
閉じていた目を開くと、まるで耳元で誰かが囁いたような声が聞こえた。
急激に体温が上がり、視界が酷く歪む。ノイズのような砂嵐が登場しては、時折神夜と同じ顔をしたもう一人の神夜がノイズの中で笑っているのが見えた。
「狂気を装えば問題ないさ・・・・武器だってあるんだぜ・・・殺っちまえよ」
「な、なんで・・・・」
「憎いんだろ?お前は神だ。名前に神って文字が入ってるじゃないか。何だって出来るんだ、皆殺しにしちまえ」
「あああ・・・ああああああ・・・」
まるで眩暈のように景色がブレる。朦朧とする意識の中で、神夜の中に眠っていた凶悪な邪神が目を覚ましつつあった。
「今まで痛かったのは俺のほうだぜ。お前はイジメを受けているとき、現実から逃げるために別の自分を作り上げたんだ」
神夜とまったく同じ顔をしたもう一人の神夜は、ノイズの中でにやりと笑い、尚も続けた。
「安心しろ。殺るのは俺だ。お前はサツに捕まったらラリってるフリをしろ。精神鑑定に持ち込めばもうこっちのもんだ」
「うわああ・・・あああ・・・」
神夜は思わず頭を抱えた。激しい痛みが脳を攻撃する。
「出来るよな?別人格の俺を作ることが出来たんだ。楽勝だろ」
「やめろ・・・やめろ・・やめろぉ!!」
神夜は錯乱状態の中、ベランダに出るとそのまま物置小屋の扉を開いた。
凄まじい狂気が神夜の心に広がった。それと同時に過去の映像がフラッシュバックされ、嫌な記憶が蘇る。
「殺したいんだろ?だったら殺っちまえば良いのさ。お前はずっと苦しめられてきた。今度はお前が連中を苦しめる番だぜ。そうでなくちゃ不公平だろ?いつも強者が勝つなんて限らない。蟻が恐竜をぶっ殺す事だってあるんだぜ。要はやり方さ。それによっては何でも可能となる」
物置小屋の扉を開け、中を見つめたままの神夜の脳裏には、今まで封じ込められていた記憶までもが姿を現した。
「あいつらは確か・・・僕の財布からお金を抜き取った・・・はあはああ・・・僕の知らないところで僕の家族を馬鹿にしてた・・」
そして神夜の手に一本の鉈が握られると、あふれ出した憎悪は加速を増し、神夜を取り囲む。
「お前はまだ未成年だ。法がお前を守ってくれる。例え皆殺しにしても責任能力が無いと判断されりゃ、お前は無罪だ」
「僕は無罪・・・僕は無罪・・・そうさ、僕は何にも悪い事なんかしていない」
「そうだ、その調子だ」
「そうだよ・・・あああ・・・僕が何したって言うんだ・・・ああ・・ああああ・・僕は悪くないんだ」
「ひゃひゃひゃ!お前最高だぜ。お前は無罪!お前は無罪!」
「僕は神!僕は神!」
「お前は無罪」
「僕は神」
「お前は無罪」
「僕は神」
「オマエハムザイ・・」
「ボクハカミ・・」
「アハ、アハハハハ・・・ハハハ!!そうさ、僕は神。だから何をしても無罪なんだ!!」
「さて、今日はあのヤローどうやってイジメてやろうか」
「そろそろボコボコにしてやろうぜ」
「もう止めなよ、あんたたち」
「とか言って目が笑ってるじゃねぇか」
「アハハ、なんだバレた?」
「当たり前だぜ」
「今日もストレス発散しなきゃな」
「アソコひん剥いて辛子でも塗ってやるか」
「ギャハハハ!最高!」
「そうだ、やる前に墓でも作って置いてやろうぜ」
お前たちの墓をか?・・・
「えっ?ぎゃあああああっ!!」
「なっ!ぐがあああああっ!!」
「て、てめぇ!何しやが・・・があああああ!!」
「きゃああああ!!なに?なんなのよ!!ごえあああああっ!!」
それは時間にすると数秒。ホームルーム開始のチャイムが鳴り終る頃には、教室は地獄絵図と化していた。
夥しい血の海。切断された肉片の数々。抉り出された眼球と内臓。
壁に飛び散った血は天井にまで達し、黒板は真っ赤に染まった。
事件の第一発見者はこのクラスを担当する教師だった。彼が教室に入ったときには、既に二十八人中二十七人の教え子は誰一人生きていなかった。
ただ一人生き残ったのは最後の一人である神夜ただ一人。教師が最後に見たものは、その神夜が血と贓物の海の中で不気味な笑みを浮かべている姿だった。
最高裁が行なわれる前、精神鑑定は二度に渡って試された。だがいずれの結果も「責任能力の欠如」と言う診断が出た。
それによってまとめられた弁護士側の意見は以下のようなものとなった。
「被告人は犯行当時、責任能力が著しく欠落しており、精神状態が極めて不安定だったと見られる。その原因は被害者たちから長年に渡った受け続けたイジメが原因であるもので、被告人の精神に精神分裂病の疑いが見られている。精神鑑定当時のやり取りを録音したテープがあります。それをお聞きください」
弁護士がそう言うと、テープレコーダーの再生ボタンを押した。
「君の名前は?」
「僕に名前はありません。でも僕は強いので神と言う名前を授かってます」
「ほう、君が神であると?」
「僕がそう言ったんじゃありません。彼が言ったんです」
「その彼と言うのは?」
「神衣ですよ」
「カムイ?」
「はい。僕のたった一人の友達なんです。可愛いでしょ?」
「私にはその神衣が見えないんだが」
「そうですか、じゃあ貴方も弱者ですね」
「私が・・ですか?」
「はい。だって僕は強者だから」
「君が強者だから私が弱者であると?」
「いいえ、違います。僕以外は皆弱者なんです。弱者の頭には鉈が似合うんですよ」
「鉈とは君が犯行に使った凶器だよね」
「違います。狂気です」
「もう一度聞くが、君の名前は?」
「覚えてません」
以上です。と言う言葉と共に弁護士は停止ボタンを押した。
「鑑定当時、被告人の目は尋常ではなく、とても正常だったとは考え難い。それは鑑定に立ち会った検察官も存じ上げているはずです。物的証拠、並びに精神鑑定の結果から、刑事責任を問える精神状態ではないと判断し、被告人の無罪を主張します」
その瞬間、裁判に立ち会っていた被害者の遺族の間から不満の声が上がった。
「大成功だぜ・・・」
椅子に座った神夜は目を閉じると、その瞳の裏で不適に微笑んだ。
そして神夜の中に眠る「第二の神夜」と硬い握手を交わした。
「静粛に・・・」
裁判長が遺族の家族に向かって言った。
「判決を言い渡す。全ての物的証拠、並びに精神鑑定の結果から判断するに、被告人に犯行当時、責任能力が著しく欠如していた事実は否定出来ない。
過去の集団イジメの事実も明らかになっている事から、許される犯行ではないが、更正の余地があると判断する。よって、被告人に無罪を言い渡す」
この瞬間、神夜の中で眠っていた別の人格は、主人格を乗っ取った。
「未完成な年頃・・・ククク・・・裁く事も出来ない・・・」
「更正が目的なら、殺す事も出ない・・・」
日本の法律を嘲笑うような不敵な笑みは、裁判所を出るまで浮かんでいた。
END