16.トニー=ダウナー中将
パプチは貧しい国だ。水道さえまともに通っていない。人々の暮らしもその日暮らしの者が多く、1日3食べられる者は裕福な方らしい。舗装された道路はあまりなく、土と砂利が混ざった道ならマシな方だ。多くの道は雨が降るとぬかるみ、足元を汚すことになる。しかし、この地は雨が少ないようで、まだマシなのかも知れない。
いや、そうも言っていられない。
雨が降らないために、人々が日常的に使う水が少なく、飲料水すら手に入りにくい。水浴びなどできず、風呂なんて以ての外だ。ここはパプチでも南の方だから、特に貧しいのだろう。北のアウロラはとても豊かな場所だと聞く。
「ダウナー様、今日の配給はパンが1つと水が1瓶づつらしいです」
上半身裸の汗と泥だらけの男はニッコリと微笑んでいる。今話していた配給を片手に、いそいそとそばに寄ってきた。
自分の配下のフランシス=ニバリである。
「数は足りるのか?下の者に優先的に配れ」
ニバリは、やれやれと呆れ顔をする。
「数はあります。閣下、食べてください。持ちませんよ!」
欲の無い上官の手に無理やり押し込んだ。トニーはしょうがないと受け取る。
「連日の重労働だ。体調を崩す者はいないか?あと、監視兵から暴行を受けた者は?」
「大丈夫ですよ。ウチの隊の担当官が変わり、まともな人のようで随分良くなりました」
ギロリ、トニーが鋭く睨む。
まともだと?相手は野蛮人だ。過酷な状況でも、心を寄せることなどあってはならない。
「アイツらは敵だ、侮るな」
ニバリは上官の意を悟り、バツが悪そうに頭をかいた。
「……もちろんで、あります。……そうです!近々、捕虜の交換があるそうですよ」
「そうか」
「仕入れた情報では、上官から返すそうです」
「はぁ?そんなわけないだろ」
大抵は一般兵士から返し、最後まで将は残されるはずだ。
「何でも、こちらの中将クラス1名とパプチの捕虜5名の交換率らしいです」
「パプチの将はどうなんだ?」
「……そこまではわかりません。ただ、トニー様は第1回目で返される可能性があります。我々はそれが嬉しいのです」
はぁ?と、トニーは大きく頭を振った。ありえない話だ。
「俺は最後だ」
「閣下!他の隊は上官が帰還の準備を既に始めています。貴方様も準備ください」
なぜだ?なぜそんなことをする?上官を残した方がパプチには有利だろう。アクア軍の情報を持つ者達だ、拷問でも何でもして敵の情報を聞き出すのはセロリーだ。真っ先に返すだと!?
「俺の隊は下位の者から帰す。お前が先に帰りたいなら、お前が帰ればいい。その順番からすると、お前が2番目だろ?」
「私は閣下が戻らないなら、帰りません!他の者達も同じ気持ちです。我々の命を救ってくださったのは、閣下ですから!」
「命を救った」という言葉に、トニーの表情が強張った。
「俺の力ではない」
「いいえ!前進の号令の中、異変を感じた閣下が咄嗟に後退を命じなければ、我々は炎に包まれていました」
ギリリ、トニーは歯ぎしりをする。
—————トニーの脳裏に、風に靡く紅い髪が浮かんだ。
バイクで丘を突っ切った少年。
我が軍の戦車が列を組んで前進する中、そいつは丸腰で突っ込んできた。銃弾を軽く交わし、驚くべきバイク操縦術で悪路と敵軍を突破した。
何かおかしい、直感的にそう感じた。長年の兵士としての勘だ。
同時に、パプチの兵士が数人突っ込んで来ていた。命知らずの民族とはいえ、何の勝算もなく行動するとは思えなかった。
急いで司令官に一時待機を提案したが、今がチャンスだと相手にすらされなかった。その不安感はつのるばかり。あの紅髪の男を始末すべきだと強く思った。
その紅髪の少年にライフルを向けた瞬間、互いに目がバッチリと合った。まだあどけない少年の顔が悲しそうに微笑んでいた……。それは哀れみか?懺悔か?踏み躙ろうとする敵にではなく、人に向ける視線だった……。
まだあどけない子供だ、それが引き金を引くのを躊躇わせた、いや、あの深緑の瞳が自分の動きを封じたのだ…。
ダメだ!戻れ!
そう言われたような気がした……。
その少年に進むなと命じられた気がした……。彼の手が戻れと合図したようにも見えた。混乱し、引き金を引かずにいたら————-。
バンバンバンバンバン!!!!
他から銃弾が発射され、その音で我に返った。
気がつけば、その少年は丘を飛び越え、遥か向こうの木の方へと走り去っていた……。
司令官に逆らうのはあり得ないことだ。しかし、やるべきことだと思った。これは罠であると、確信になっていた。
「……第3部隊、トニー=ダウナーが命ずる。後退せよ。今すぐ後退するのだ!」
ニバリは司令官とは反対の命令に混乱したが。すぐに部隊へ、トニーの命令を伝達した。その数分後、目の前で火に包まれる部隊を目にし、さらにその数分後に時空の歪みを感じた。全ての電子機器が機能を停止し、完全に部隊は孤立した。
援軍は待てど待てど、来なかった。代わりにやって来たのは、旧車両に乗ったパプチの大軍だった……。
後でわかったことだが、アクア軍の司令部はあっという間に逃げ出していた——————-。
「閣下!!聞いているのですか!!」
ドキリ
トニーは自分が深く考え込んでいたことに気づいた……。
紅髪の少年に助けられたかも知れない、そんな戯言をニバリに話すわけにもいかない。そもそも、あの少年こそが、カステルマ戦の実行部隊だったのだろうから……。
「ニバリ、俺はやはり最後だ。これは曲げられない」
「閣下……あなたという方は……であるなら、我が隊は下位の者から返しましょう!」
トニーは安堵のため息をついた。キツイ重労働についているのは下位の者達だ。栄養状態も良くない。早く家族の元に帰してやるべきだ。
「監視官に交渉できそうか?」
「今の担当官なら話はできそうです。前の者は我々を人とは思っていなかったので、交渉など不可能でしたが」
トニーはふむ、と頷く。他の監視官の指揮下にある他の部隊では、捕虜の扱いが酷いと聞く。であるなら、確かに我が隊のパプチの軍人は多少は話はできる相手かも知れない……。
そんな希望は無意味だろうか?先鋒隊のほとんどの命を奪った奴等だ。交わることのない敵である。
「確か、最近変わった、ウチの隊を受け持つパプチ軍の将の名前を……聞いた気がします……」
パプチの若い兵士が素晴らしいと誉めていた。だから、余計に印象に残った。前の隊では上官をボロクソに言っていたから、それが普通だと思っていた。
確か、とても変わった名前で、覚えるのが大変だと思った記憶がある……。
ニバリは眉間の間に指を当て、ぐるぐる回しながら思い出す。
トニーはその仕草を見守りながら、笑いを必死で堪える。はたから見ればふざけているようだが、本人に至っては極めて真剣だ。長い付き合いだからこそ、わかってはいるが……。
「……ラ、ラ、ラウ……」
ニバリは何かを産み落とすがごとく、何度も連呼する。そして、あ!と目を見開いた。
「ラウダ!ラウダ=グロリアだ!!そうそう、ラウダ=グロリア!!」
トニーはその響きがなぜか気になった。そして、思わず口ずさんだ……。
ラウダ=グロリア
今、自分達の命を握っている男の名前だ。
前回ではチョイ役でしか出てこなかった、トニー=ダウナーですが。
後のアクア国で大きく名を馳せる人物です。
ここで書けて個人的にはかなり嬉しいです。




