11.パジオン帝
サン国は、神に選ばれた皇帝が治める国だ。現皇帝はパジオン帝、エスパラーダ家の三男。
代々の皇帝は領主の中から選ばれる。その領主は伝説の七剣士の血を受け継ぐものだったが、時の流れとともにその血筋は途切れ、新興家が治めるようになった。唯一残っている旧家は、エスパーダ家、ブランダ家、ランザ家の御三家のみ。
皇帝になるべきものにはアザのような印が浮かぶらしい。そう、一つのアザだけで国の統治者を決めてしまうのだ。では、偽者が出てきたらどうなるのかというと。神の怒りに触れ、死んでしまうと言われている。実際に亡くなった者を見たことはないが……。
レオナルドは玉座に座る皇帝の前で、膝をつき、頭を垂れている。傍にはマリオも同じ体勢で控えていた。
サン国入りした2人は、まず、皇帝に謁見するために宮廷にやってきた。ロナウド=ロイドが、サン国を訪問するためにやって来たという形を整えるためだ。スノウ国だけでなく、アクア国もその動きに目を光らせている。
「お前達はよい、退がれ」
パジオン帝は赤い髪をクシャッとかき上げると、側近達を追い払う。数人は怪訝そうな顔をする。もちろん、友好的な者がほとんどだが。数人はある噂を信じているのだ。
この外国人の学者がパジオンの男娼だという話だ。
その者達はレオナルドに蔑むような視線を向けて去った。そのなかの1人は、マラモへ妃の兄であった。そうとは知らず、レオナルドは本能的に冷ややかな視線を返した。
(アイツらロナウドに恨みでもあるのかよ?)
謁見の場に、パジオン帝とレオナルド、マリオの3人になるのを確認すると、帝は再び口を開いた。
「それにしても、双子とは不思議なものだ。ロナウドにそっくりだな?本人そのものだ」
「恐れ入ります……初めまして、弟のレオナルド=ロイドです」
頭をさらに下げる。
「もうよい、直れ。ロナウドからの手紙でそなたのことはわかっておる」
「お力をお貸しいただけると伺っております。ありがとうございます」
レオナルドは上げていた頭を再び下げた。
「愛しい人と結ばれるための旅らしいな。君には成就してもらいたいものだ……」
威厳のある皇帝の表情が一瞬崩れた。
「………ワシは叶えることができなかった夢だ。ロナウドも私と同じ気持ちだろう……失ったものの大きさを知るからな……君は必ず掴み離さぬことだ」
パジオン帝は、ロナウドが失った愛のことも知っているのだろう。冷徹と言われる評判とは大きく違うと、レオナルドは思った。
目の前にいる皇帝は、心根が熱く優しげな人である。
「マリオ=シンシリダ、お前も久しいなぁ。すっかり、スノウ国民か。残念なことよ」
帝はマリオにも話しかける。マリオは顔を上げると控えめに微笑んだ。時が時なら、パジオン帝と肩を並べて話し合える者であった。スノウ国に逃れ、王族に支えているが。元々はこの国の名家の出だった。
「帝がお元気そうで何よりです。しかし、帝は急かしすぎるところがあるから、心配ですよ」
外交でよくやり取りする仲、皇帝にこんな口をきくのは、ロナウドとこの男くらいかもしれない。
「ロナウドからも手紙で釘を刺されたよ。急激な変化は軋轢を生むから、状況を見ながらコントロールしろとな」
「帝の御身が心配なのでしょう」
カッ!と帝は豪快に笑う。外国にいてもこの国の内情がよくわかっている、その頼もしさが嬉しいのだ。帝が寵愛する学者の聡明さは止まるところを知らない。
「心得た」
パジオンは己の命など惜しくはない。愛する者と共に、とうに捨てた命だ。それよりも、その女と交わした約束を叶えられずに死ぬことを恐れている。時間が限られているように感じ、止まることができない。
「お前達の旅券と身分は用意させた。我が国のものとして、パプチに向かうといい」
「恐れ入ります。ご迷惑をお掛けしないように注意します」
レオナルドの言葉に、パジオンは軽く手を払った。そんな心遣いは要らない、と言う態度である。
「パプチに統治者が現れたなら、我が国はパプチを一国として認め、国交を正式に開こうと考えておる」
「帝!そんなに易々とおっしゃって!反対勢力がどう動くかわかりませんよ」
マリオは周りを伺いながら、帝を戒める。
アクアの耳に入ったら、パジオンが狙われるのは必須。国内の抵抗勢力と手を組めば、寝首を取られるなどあり得る話なのだ。
「構わんさ、返り討ちにしてくれるわ。マリオ、お前は心配症だな?」
「パプチに興味を示されるのは何故ですか?長きに渡り、中立の立場を保たれていたのに」
そんな言葉がレオナルドの口をついて出てきた。
しまった!と口を覆う。
「いいのだ。そう思うのは普通だろう」
帝は宙に目をやると、右手で顎に触った。
「パプチははじまりの国とされている。我が国の神の書には、あの国は神聖な場所とされ、我らの全てはあの地から始まったと記されている」
「はじまりの国?ですか?」
レオナルドの質問に帝はゆっくりと頷く。
「あの地に住む者達と対話し、互いに認め合うことが我々には必要なのだ。野蛮な国の侵略を許してはならないのだ」
その意味は、サン国はアクアに対することも臆さないということを示している。それはかなりの危険を含んでいる。特に、スピーディな政治を行う帝には、かなり敵が多かったりする。絶対権力を持つ帝を止めようとする者が現れかねない。
止めるとは、つまり、命を奪うとイコールである。
「無茶なことはおやめ下さい。兄も反対すると思います」
レオナルドの言葉にパジオンは大きく頭を振る。
「ロナウドはそんなことを言わないと思うぞ」
「はい?」
当然、無茶な動きを止めるだろう。兄のことはよくわかっているつもりだ。
「彼はそんなことは言わない。君の兄だからな」
「どういうことですか?」
レオナルドには全くわからなかった。少なくとも、賛成はしないとは思う。
「君はどうするつもりなのだ?」
「なにをですか?」
「愛する女と母国と家族。全部を取れない時、君はどうするのか?女を捨て、国を取るのか?家族を捨て、女の手を引けるか?」
それは極論ではないかと、レオナルドは思った。しかし、真意を突かれたような気もした。
「あの国を認めなければ、いずれ我が国も認められなくなるだろう。アクアの侵攻を許してはならないのだ。物事が遠く離れたところにあると思えても、身近なことを表していることもある」
レオナルドはその覇気に身震いした。自分の意識がまだまだ未熟なのを感じる。
目の前の帝は、自分よりも今の状況をよく分析し、リスクもわかっている。その上でリスクを全部引き受け、本当の意味でこの国を守ろうとしているのだ。
「レオナルドよ、欲をかくでないぞ。その手で掴めるものには限りがある。必ず優先順序をつけるのだぞ?そこを見誤るでない」
帝の低くて太い声が響く。
パジオン帝には、この先、この若くて美しい男が苦しむことになる課題が既に見えている。
圧倒的な経験値。歩んできた茨の道。それらがこの男にも広がるのが見えた。
「お前達に渡したものは好きに使うが良い。必要なものがあれば持っていくがよい。早々に、かの地に向かうことだ。時間は待ってはくれぬ」
パジオン帝の静かな声が響く。その視線がマリオに向けられると、止められ、ジッと視線で訴えた。
(アクアが怪しい動きを始めた。しっかり働くのだぞ?)
(もちろんであります)
マリオは心の中で深々と頭を下げた。




