25.甘くない話
レオナルドは急いでいた。コンサス家を後にすると、車を手配し、街の教会へと向かう。その間、ラウダの手を片時も離さない。
「どこに行くつもり?」
ラウダは不安げな表情を浮かべていた。戦闘や戦略には詳しいが、そちら側の知識は全くない。教会は祈るところぐらいしか思いつかなかった。宗教に全く興味がない者からしたら当たり前のことだ。
「教会で結婚しよう」
「え?」
教会は結婚するところなのか?いや、それより結婚するのか?
レオナルドの勢いに押され、引きずられている感がハンパない。これはマズイのではないかと頭が冷静になってきていた。
「インフィニタとスノウ国は条約があって、婚姻は簡単にできるんだ。教会の証明書があれば、各国の手続きは事後処理に過ぎない。優先度が高いんだ」
そうなんだ……。
教会にそんな強い力があったは知らなかった、と素直に驚いた。自分は物事を知っている方だと思っていたが。無知さ具合に、グッタリとした気持ちになった。
「レオナルド、今日はもう遅いし……明日、考えてから動かないか?」
結婚とは特別な手続きだと思っていた。長いやり取りや手続きの末行われるものだと。今のように買い物にでも行く感覚のものではないだろう。
「ダメだよ。明日になったら、もう叶わなくなる」
「そんなことは、ないだろう?ピーノやウンブラ、ガリにも相談しないと……じーちゃんの了解も貰ってないし……お前の家族もいるだろ?」
無知とはいえ、結婚が本人達だけの問題で済まないことは知っている。自分の親を知ればわかることだ。
「————お前は俺と誓約することが嫌なのか?」
「そんなことは言ってないだろ?急ぎ過ぎていると言ってるだけだ」
レオナルドはラウダの手首を強く掴む。
「急いでるんだ!周りの者が知れば、邪魔が入る」
間違いなく反対され、祝福などありえない。主力の伴侶は厳選される。それもラウダは特殊だ。結婚が許されるかどうかもわからない。それも相手が他国の諜報員なら絶望的だ。
それに、レオナルドには帰国命令が出されている。このまま留まることも許されていない。
「レオナルド、落ち着いて。これは正しくない」
「俺には証が必要なんだ。お前と一緒にいることができる証が」
そんなに大切なことなのだろうか?母は父とその証を持ったが、本当の夫婦生活や家族生活など持てなかった。
いや……確かにそれ故に離れることが許されなかったとも言えなくもないが……。それは幸せなことではなかった。
ラウダは真剣に悩んでいた。
横に座る男は、自分とって、他の男とは全く違うことはわかる。しかし、一生を誓ってもいいのだろうか。自分は全てを捨て、この男と生きていく覚悟は持てていない。
「俺達、これを逃したら……二度と会えなくなるかも知れないぞ」
「そんな……」
それは純粋に嫌だと思った。
確かに、レオナルドとの繋がりは簡単に切れるものだ。家族でもなければ側近でもない。むしろ、他国の諜報員という阻まれる者だ。
「頼む、俺の手を振り解かないでくれ」
レオナルドのその言葉は哀願に近い。
「お前の願いを尊重するから、そめて側にいる証が欲しいんだ」
その必死さは真意をよく表している。レオナルドは直感でわかっているのだ。この人が自分の唯一の女性になり、今はその境目だということを。
「……口を出す立場じゃないが……その男が言うことは間違ってはないと思うぞ……」
基本、客の話には聞き耳を立たず。いないものとして存在するが。車の運転手は口を出してしまった。
え?
ラウダとレオナルドは顔を見合わせる。冷静になってみれば、かなり恥ずかしいやり取りを他人に聞かれていた……。
運転手歴34年。そるなりに人の人生を見てきた。もちろん、自分もそれなりの経験をしてきたつもりだ。そんな第三者だから見えることもある。
多分、この2人は今が縁を結ぶ時なのだ。
「縁にはタイミングってあるんだぞ。それを逃すと、もう叶わなくなる。あんたらの場合、なんか複雑そうだから……特にそうだと思うぞ」
運転手は言い合えると、小さな声でボソリと言った。
「参考までに……失礼したよ」
運転手は黙ると、ハンドルをしっかりと握る。このたまたま乗せた2人の今後が気になり出した。向かう先は最も権威のある教会だ。過去には何組かを運んだこともある。
問題は到着してから、この車を2人で降りるかどうか。
降りないパターンも何度か経験している。人生の大きな選択だ。直前で翻意することもある。その選択が正しいことも、間違っていることもあるだろう。ただ一つ言えることは、この瞬間には戻れないということたわけだ。
見た感じ、かなり若い2人。若気の至りとなるか、思い出になるか、運命の選択となるか。不確実な選択だろう。
立派な建物が視界に入ってきた。インフィニタで1番大きな教会。役所が少なく、その機能も各地でバラツキがある中、教会がその役割の一部を負担している。運命の悪戯か、その仕組みを敷いたのはヴィサスの主力である。
キ———ッ
年代物の車は音を立てて停車する。教会の時間外の入り口の前まで車をつけた。
「ラウダ?」
レオナルドの問いに、まだ悩んでいる。
『心のままに……』
耳元に聞き覚えるある声が聞こえた気がした……。
ラウダは思わず後ろを振り返った。もちろん、クルマのシート以外なにもなかったが……。懐かしい声な気がした。
母に背中を押してもらいたかったのだろうか?
声と共に、白檀のお香の香りが鼻についた。そんな気もした。母の好きだった香りだ……。
「心のままに……」
ラウダは呟くと、胸に手を当てた。心に従えば、答えは既に決まっている。
そっとレオナルドへと手を伸ばした。
その手はガッツリと握られた。
「ラウダ!行こう!!」
レオナルドに手を引かれ、ラウダは車から這い出す。
この選択が正しいかはわからないが、正しくしなければならないと思った。
「運転手!証人を頼まれてくれないか?」
レオナルドの願いに、運転手は2つ返事で応じた。なぜかその男も笑みを浮かべている。
レオナルド=ロイド 22才
ラウダ=グロリア 17才
若すぎる選択だった。




