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夢幻の姫君  作者: 紘仲 哉弛
第3章 儼乎なる玉桂
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24.紅い月

 大きな満月、紅い月は夜空に輝く。縁起が悪いと忌み嫌う者もいるが、今は何故か救われる気がした。黄金の光で輝く月は、今の自分には眩しすぎる。


 大きな縁側にラウダとレオナルドは腰を下している。ウォールナッツの無垢材でできた床は硬いが落ち着きがある。とても高級な木材、希少なアウロラ産であり、滅多に市場には出回らない。質素な造りの屋敷だが、使われている資材は良いものばかりであった。

 

 母はここをとても気に入っていた。満月の夜には、この床に座り、温かいお茶を飲んだ。月見を楽しみ、灯火で本を読んでいた。時折、せつなく月を見つめる仕草が印象的だった。一体、誰を想っていたのだろう?


 今、屋敷には2人だけが残されている。


 ソリアとタントウセイは、好きに過ごして帰ろと言い残し、去っていった。


「———ラウダ、大丈夫か?」


「あ、ああ。もう、子供じゃないし」


 レオナルドは上着を脱ぎ、ラウダにかけてやる。徐々に空気が冷たくなってきていた。先程まで着ていた温もりが、上着の奥から心地よく伝わってくる。


 上着を脱ぐと、白いシャツはピッタリと体に張り付き、レオナルドの体格の良さを目立たせる。ラウダは何となくそれを直視できなかった。


「体を冷やすのは良くない。もうしばらくしたら、帰ろう」


 その優しさに何となく照れてしまい、小さく頷き返すしかできない。


 胸が騒がしく、落ち着かない。


 月明かりに浮かぶ美しい顔、レオナルドはそれに目を奪われていた。女性として着飾っているからなのか、その柔らかな横顔から目を離せない。


 いや、もっと前から目が離せなくなっていたのかも知れない。華奢な体から発せられる強さ、志の高さ。そして、奥底にある優しさ。


 それらに惹かれ、自制心をコントロールするのが、日々、困難になってきている。気がつけば、自分の目はラウダを追い求める。


「———ラウダ、このまま進むのか?」


「えっ?なに?」


 顔を上げると2人の視線が交わった。金髪碧眼の美しい男は、真っ直ぐに自分を見ていた。気を張っていないと、自分の何かが持っていかれそうな感覚になる。


「お前が進もうとする道は、望んだものなのか?」


 ヴィサスの0番の主力を継げば、国内だけでなく国外からもつけ狙われるだろう。多くの期待を背負い、多くの後悔を飲みこむ、とても平凡に静かに暮らせるとは思えない。


「———よく、わからない」


 それは正直な言葉だった。自分の意思で動かなかったことはない。カルティマの戦いもそうだ。サドが裏で動いてはいたが、駒を動かしたのは自分だ。


「自分の意思で動いている。だけど、思った方向に向かっている気はしない」


 それは本音である。自分はこの国を掌握したいとか、母の復讐を遂げるとか、そんな大それたことを考えてはいない。


「俺はただ、自分も周りの人も穏やかに暮らせればいいんだ」


 それはシンプルな願いだ。毎日同じようなことの繰り返し、ちょっと困ったことや小さな楽しみの積み重ね。人によっては退屈な人生かもしれないが、それはラウダにとっては叶えるのが難しいものだった。


「で、あるなら。この先には進むべきではないと思う」


「え?何でそんなこと言うわけ?」


 そう口に出した途端、気づいた。自分が0番の主力になることは、肯定されることだと思い込んでいたことに。いつの間にか、唯一の存在になることは絶対なことになっていた。


「———お前が心配だからだよ」


 それは躊躇いがちな言葉だった。言っていいのか、悪いのか気遣うものだった。


「——-お前はどうなんだよ……お前こそどうなんだよ?望んだ道を進んでるのかよ」


 あえて聞いてこなかったが、横に座る男もまともな生活をしているとは思えなかった。自分と同じように何かのために生き方を変えた人のように思える。


「そうだな……俺も似たようなものか」


 レオナルドはラウダを見つめる。柔らかな唇に吸い寄せられそうだった。今なら兄の気持ちがわかる気がした。目の前のこの女性(ひと)を自分の胸におさめられるなら、全てを捨ててもいいとさえ思えてくる。


 自分は、完全におかしくなっている。その自覚ができるほどの理性は残っているようだが。


「ルシート、お前のことを聞いてもいいか?」


 ラウダはレオナルドを見上げた。ジャケットから伝わる優しい温もりは目の前の男そのものだと思った。人に自分を委ねることなど想像もしたことがなかったが、この男にはいくらか委ねてもいいような気がした。


 レオナルドは頷くと、ホントを語る覚悟を決めた。


「————-本当の俺は、レオナルド=ロイド。スノウ人だ」


 様子を伺うように、そっとラウダへ手を伸ばした。拒絶されるかと思ったが、自分の手を優しく握り返してくれた。


 それがさらに勇気をくれる。


「傭兵として入ってきているが、本当はスノウ国の機関の者だ。この国の情勢を調査するために来た」


 ラウダはそれには驚かない。諜報員であろうことは既に予想していた。


「スノウ国では上流階級に属し、幼い頃から不自由な思いはしたことない。俺がこんな生活をしているのは、家族を守りたいからだ」


 本来なら個人的な話は御法度だ。身分を明かすことは規律に反する。わかってはいるが、目の前の女には嘘は言いたくない。


「俺の兄は天才だ。それ故にその頭脳を欲しがる奴らがいる。アクアに……狙われている」


 手が僅かに震えた。兄を亡くしかけた瞬間を思い出したからだ。


 震える指をラウダは強く握った。力になれるかはわからないが、少しでも痛みを和らげてあげたかった。


「影で動く輩には、真正面からでは敵わないと思い知った。だから、俺は裏で生きることにしたんだ」


 その選択に、後悔はない。しかし、本当の意味で、失ったものをわかっていなかった。今なら、良くわかるが……。


「そうだったのか……」


 ラウダは気まずそうに目を逸らした。この男には心の傷などないと思い込んでいた。恵まれた、眩しい世界で生きる者だと。


 その場所から暗闇へ移ることを選ぶとしたなら、それだけの出来事と覚悟があったということだろう。ラウダにはレオナルドの闇が少し見えた気がした。


「俺よりも、お前の方が苦しい道だ。茨の道を歩くようなものだ。だから心配なんだ」


 女としての人生を捨て、男として、この国に身を捧げる。それも、表舞台で……。


「子供の頃、どうして俺ばかりがこんな目に遭うのかと恨んだことがあった。だけど、レオナルド、これは定めなのだと思う」


「定め?」


「ああ、既に用意されている道のようなものだ」


 ラウダは薄っすらと微笑む。小さな選択はできるが、大きな選択は既に定まっている。非力な人間は神の定めた道を辿るだけだろう。


 その清々しいほどの割り切りに、レオナルドの奥歯がガリッと音をたてた。もう、黙っていることはできそうもない。


「———-ラウダ、俺と……一緒に行かないか?」


「え!?」


 思わぬことを言われ、頭が真っ白になった。


 どうしてそういう流れになるんだろう?この男は自分が主力になる道を(なら)す役割の者だと思っていた……。


「お前がその定めというヤツに逆らうと言うなら、俺の手を取れ。どんな状況になっても、一緒に(あら)がうから……お前の手は決して離さないから」


 ラウダは呆気にとられ、口をポカンと開けた。それは、この男の人生も変える。わかって言っているのだろか?


「なぜ?そこまで言ってくれるんだ?」


 レオナルドが自分のために生き方を変えることは、望むことではない。自分のためにこの男を不幸にはしたくなし、苦しめたくない。自分の厄介事に巻き込みたくない。


「……何故だろうな?俺もこんな気持ちになることはないと思っていた」


 レオナルド自身も自分の言動に驚いている。諜報員が対象者に惚れるなどあってはならない。なぜ、こんなにも胸が締め付けられるのか?頭ではダメだとわかっている。しかし、行動は真反対だ。


「恋しいというのは……こんな気持ちなのかも知れないな……」


 ポツリと溢した言葉。ぶっきらぼうで、甘い言葉ですらない。しかし、本音であった。


 その言葉を拾ってしまったラウダは、感情が昂り、気がつけば涙が頬を伝っていた。抑えていた熱いものが体の中から溢れ出てくる。


 それは許されない感情だ。抑えるべきものだ。


「……レオナルド……困ったな……そんなことを言われたら、お前について行きたくなるだろ……」


 ラウダは涙を堪えきれずに小さく肩を震わせた。その様子を見て、レオナルドには小さな確信が芽生えた。それを確かめる意味でも、そっとラウダを抱き寄せた。


 抵抗されることもなく、大人しく身を委ねる様子にその確信はさらに強くなる。全身に悦びが広がるのを感じる。


「……ラウダ……好きだ。お前もそうなのか?」


 ラウダはレオナルドの胸の中で小さく頷いた。小さな声、そうだと聞こえた。


 レオナルドは強く抱きしめる。この女を手放したくない、そう強く思った。この国の人々がの女を奪おうとしても、自分は胸に抱き遠くに逃げることも容易に思えた。


 目の前には紅い月がぼんやりと浮かんでいる。


 ラウダの気持ちは、まだ定まっていないだろう。しかし、手に入れたものを手放す気にはなれない。今すぐにでもこの地を離れ、自分の国に連れ帰りたい。はやる気持ちは抑えきれない。


 この時を逃したら、ラウダを奪われるかもしれない。


 勘のいいレオナルドはわかっている。時を逃すと取り返しがつかないのだ。


 時の定めは流れを変えても、元に戻そうと蠢き始める。そして、邪魔者を排除し、もとの流れに戻すのだ。


 胸は高鳴るが、頭は冷静に動き始める。選択肢は既に決まっている。


「ラウダ、結婚しよう」


 ぼんやりとした月明かりを跳ね除けるように、金髪碧眼の男は清々しい笑みを浮かべた。


「え!?どういう……うっ……」


 驚き、問おうとする口をレオナルドの柔らかな唇が塞ぐ。とても強引だが、嫌な感じは全くしない。思考能力を完全に失わせるには十分な甘さ。


 髪を優しく撫ぜると、その体を強く抱きしめた。





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