23.雲煙過眼
アシオス=コンサス
ラウダの腹違いの兄。エクセンとグアバの息子。
月邸
それは今は亡きコンサスの正妻、グロリアの住まいだ。スノウ国への留学から帰国した時に用意された邸宅である。
グロリアは3歳の時に嫁ぎ、エクセンの父の下で育てられた。ほとんどは侍女達が世話をしたが、エクセンの妹であるソリアもよく面倒をみた。
ソリアは独自に手配し、ヴィサス族の女を側仕えにした。コンサス族に染めることに反対してのことだった。おかげで、グロリアはヴィサスの姫君として成長することができた。
ソリアはウルティマーテの友の1人であった。
幼い頃は特に邪魔にもならなかったが。初潮を迎えた頃、エクセンはその存在を疎ましく思い始めた。恋愛遍歴を重ねた後、グアバにどっぷりとハマり、幼い妻は面倒な存在だった。
それはグロリアに大きな機会を作った。スノウ国への留学が持ち上がったのだ。エクセンが根回しをし、ソリアも兄に進言することにより。この囚われた地から一時的に逃れることができたのだ。
できれば、あちらで好きな男でもできて逃げてくれれば大喜びだったのかも知れない。しかし、エクセンの期待に反し、グロリアは身が固かった。
父もいつまでも許してはくれず、20歳で戻されることになった。
この月邸に戻ってきた時には、エクセンはグアバとの子を成し、別の家庭が築かれ、それが当たり前になっていた。
その後、エクセンは義務感でラウダを授けたが。その時には、主の家庭はあちらになってしまっていた。
「思ったより、状態は良いな」
タントウセイに続き、ソリアが建物内を確認しながら進む。その後をラウダ、レオナルドが続く。
ラウダは記憶の奥底にあるその家を、緊張しながら進んだ。奥に進むにつれ、体は硬くなっていく……。最も新しい記憶は、祖父に担がれ命からがら逃れた時の悪夢である。
「お前のおかげで手に入れた邸宅だ。見ていくが良い」
ソリアは振り向くと微笑んだ。
「……ありがとうございます」
「この邸宅の持ち主は、私が目をかけていた姫のものだった。最後に助けてやらなかったことが悔やまれてならぬ」
こんな人もいたのか、ラウダはその貴婦人の背中を見つめた。母はこの地で孤立無援だったと思い込んでいた……。しかし、今になって思えば、定期的に高価な服が届いたりしたことがあった気もする……。
先頭を歩くタントウセイは、屋敷の中央部に差し掛かるとその歩みを止めていた。ソリア達が追いつくと、その視線の先には人の姿があった。
「お前……お前がこの邸宅の維持をしていたのか?」
ソリアの視線の先には、1人の男が寝転がっている。
ウェーブした黒髪は肩まで伸び、茶色の瞳は気怠そうにコチラを見ていた。鼻筋が通ったスッキリとした顔立ち。筋肉が綺麗についた大きな身体は、戦士として完璧な作りをしている。
「アシオス、母上の宴の席に行かないのか?」
タントウセイの問いに、男は面倒臭そうな表情を浮かべる。
「俺が行く方が迷惑だろ」
そう吐き捨てると寝ながら大きく背伸びした。
「この邸宅は、エクセン様からお婆様が譲り受けた。君が休めるところじゃなくなったから」
つまり、ここを立ち去れと言っている。グアバの息子が入り浸りたっているなど、気持ちがいいものではない。
「はぁ?オヤジがそんなことしたのかよ!!」
アシオスは飛び起きた。
「そうじゃ、こんな廃墟などいらぬと言ってたのぉ」
ソリアは扇をゆっくりと仰ぐ。
姪孫が何故にここに留まり、守るのかが気になった。両親は取り壊そうとしているというのに……。
「この家は!……この家は……弟の家のはずだ……」
最後の小さな声に、タントウセイとソリアは驚きの視線を交わした。
弟の家??
その言葉に同じく固まる女がいた。華麗に着飾った、ラウダだ。
その目で男をマジマジと見つめた。ぼんやりとはするが、見覚えがある男だ。幼い頃、学問や剣術を競った相手である……。
弟?それは、自分のことを言っているのだろうか?
「弟って、ラウダのことか?」
「それ以外に誰がいるんだ!」
「死んだはずでは?」
「だとしてもだ!!ここはアイツの家だ」
タントウセイ達は驚きを隠せなかった。てっきり、ラウダを敵視していると思っていた。まさか、母親とは違う思いを抱いていたというのか?
ソリアはアシオスの黒髪を見つめた。
コンサス家の印は紅髪だ。妾腹の子である上に、その髪色はマイナスになっている。それに比べ、紅髪で賢いラウダは幼い頃からモテはやされた。亡くなったとされた後でも、その存在を求める家人は多い。
嫉妬心で嫌うのが当たり前だと思われていた。
「ラウダを羨んでいたと思っていた」
ソリアの言葉に、アシオスは渇いた笑みを浮かべた。
「最初はそうだったよ。だけど、俺でも気付く」
アシオスは昔の話を語った。
父は自分に対し、熱心に勉学と剣術を教えた。手に豆ができれば介抱し、熱が出れば砂糖漬けの梨を運んだ。母と共に過ごし、自分に愛情を注ぎ続けた。それが当たり前だと思っていた。
それが特別だと気づいたのは、ラウダの手が豆が破れ化膿し、ひどい状態だと気付いてからだ。
共に勉学や剣術を学んでも、ラウダは側で見守るだけ、父からの指導は受けられなかった。風邪で熱を出しても、砂糖漬けの梨を運ぶ者はいなかった。梨は高価で手に入れるのは難しい食べ物だった。
そんなに差をつけられても、ラウダは祖父の前では簡単に自分を負かした。それに腹を立て、父はラウダをもっと冷遇した……。
同じ子でも違いがあることを知った。
幼い弟を不憫に思い。こっそり様子を見に行くようになった。ラウダが熱を出した日には、梨の砂糖漬けを食べたいと侍女から貰い、そのまま弟の枕元に運んだ。
『梨を毎回置いていくのは、お前だったのですね』
グロリアに見つかり、終わったと思った。毒を盛っていると疑われても仕方がない。現に母は何回か仕掛けていた……。
『たった1人の弟ですものね。事情はありますが……見守ってくれ、感謝しています』
それだけ言うと隣の部屋に戻っていった。グロリアは自分に対して寛大だった。
「……信じて貰えないだろうが、俺はおばさんもラウダも憎んでない」
アシオスはソリアを真っ直ぐに見つめた。その目には嘘がないように見える。
ラウダの瞳には涙が自然と浮かんでいた。熱で朦朧とした時、口に梨を運んでくれた男がいた。顔は覚えていないが……それは、アシオスだったような気がした。
「……だが、アイツは俺を許さなくてもいい。俺の母親は許されないことをし、俺はそれを断罪できない」
ソリアは苦い顔をする。子供には罪はないと言うが……。大人はなんと罪深いことだろう。
「アシオス、もう居ない人間のことは忘れよ」
アシオスは気まずそうに顔を背けた。そして、後ろに控える女と目が合った。
「……え……」
グロリアによく似た女だった。縁者であろうか?
その様子を見て、ソリアは頭を振る。
「この者は私の知り合いだ。関係ない者だ」
「あぁ、そうだよな……」
アシオスは軽く頭を振った。
「もう、お前の屋敷に戻れ。ここは私が大切に管理する。悪いようにはしない」
ソリアの言葉に、アシオスは安堵のため息を漏らした。
父と母からこの屋敷を守るという、重責を下すことができたからだろうか?
ふらふらと立ち上がり、軽くソリアに頭を下げた。来客者の横を通り過ぎる時には、気まずそうに顔を背けながら男女の横を通り過ぎた。女の方がなぜ泣いているのか気にはなったが……。
もはや、そんなことはどうでもいい気がした。
レオナルドは2人の兄弟を見比べる。
憎み合うのが普通の環境に置かれた2人。なんと残酷なことだろうか。その場がもっと違っていたなら、今のこの2人はもっと違っていたかも知らない。
自分には想像もつかない苦しみなのだろう。自分にも兄がいる。共に良い時を過ごした兄弟が。
か細いラウダの肩を見つめると、僅かに震えているのがわかる。
それを後ろから抱きしめ、温めたい衝動を必死に抑えた。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます!!
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