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夢幻の姫君  作者: 紘仲 哉弛
第3章 儼乎なる玉桂
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22.不知不覚

 どうしてこうなったのか。


 エクセンは訳がわからなかった。圧倒的な勝ち筋を打っていたはずだ。それなのに、気がつけば負けに転じ、瞬く間に完全な敗北を手にしていた。


 この感覚には覚えがある。


 それは、目の前に座る女とよく似た女に食らわされたものだ。


 幼い頃から知るその女は自分の妻であった。


 賢く気高い女だった。


 可愛げはなく、グアバに比べらば愛すべきところは無い女だった。


「参りました」


 屈辱的なこの言葉を女相手に吐くことになるとは……。それもあの女によく似た娘にだ……。


 この後の感想戦を思うと反吐が出る。


「ありがとうございました」


 勝者は静かに返した。


 喜んだ様子は無く。感情を動かすこともない。


 会場は完全に鎮まりかえっていた。何が起こったのか、誰も理解できていなかった。


「感想戦は辞退させて頂きます。単に運が良かっただけですから」


 女は静かに頭を下げた。本来は礼儀に反することだが、この場では辞退する方が良いと思えた。


 その態度にエクセンは苛立ちを感じた。その態度こそ、あの女にそっくりだったからだ。


「それは、困ったのぉ。解説が聞きたいのに、聞けぬのか?」


 ソリアは残念そうに微笑んでいる。主力をコテンパンに負かせたのだ。女の心遣いもわかるが、魔法でも使ったかのような展開のタネを聞きたいという衝動が走る。


「エクセンはどうだ?」


「切り替わりがあったのは、178手辺りだったとは思うのですが……」


 エクセンは口を歪め、それ以上は飲み込んだ。本人もなぜ負けたのかがわからなかったのだ。


「じゃあ、そこの男はどうだ?」


 ソリアはレオナルドに声をかける。


 問われた男は頭を少し傾げるとポツリとこぼした。


「私は碁の知識はないですが……彼女が細かく仕掛けを打っているような気がしました。それが完成したら、単に展開していったように見えました」


 レオナルドは碁盤の箇所を順番に指していく。


「今指差したところが核になったのだろう、と言う気がします」


 ラウダは驚き、思わず見上げた。


 レオナルドはさらに反対側に頭を傾げると。


「……そうだな……俺だったら、ここに来た時にはここに打ち返してだけど……ここに打つかな?で、この時は……ここ。そうそう、ここはとても嫌な感じがした……これにはここを打つかな?」


 エクセンはその男の動きを驚いた目で追った。それは、自分が見えていない世界の動きである。


「……で……俺なら、次はここに置く……あ、でも結局、引き分けかな?」


 レオナルドは悔しそうに爪を噛んだ。それは兄とゲームをした時によくやっていた癖だ。兄はいつも自分の予想の上を走り、勝てたことがなかった……。


「男、碁がわからない割に強いではないか?本当に知らないと言うのか?」


「はい。ルールもイマイチです。でも、大抵のゲームって似たようなもんでしょ?対局を見ていて何となくそうかな?と。正解かはわからないですけど」


 ラウダは驚いて声も出なかった。


 正解だった。


 それも……この男と対局をしていたら負けていたかもしれない。


「そうか……なるほどな、よくわかった」


 ソリアは満足げに破顔すると、白い扇を広げた。その動作にエクセンはビクリとする。


「で、エクセンよ。私がお前に勝ったが?何を貰おうかのぉ?」


「何なりとお好きなものを差し上げましょう」


 エクセンはため息をつくと軽く手を振った。どこぞの土地を寄越せとか言うのだろう。


「じゃあ、月邸を頂くかの?誰も近づかぬ本宅から離れた屋敷だから要らぬだろ?」


「……あんな廃墟……いいでしょう」


 エクセンは吐き捨てた。特に興味もない場所だった。


「この瞬間から私の物だ、わかったな?手を出せば容赦せぬぞ」


 エクセンは興味なさそうに頷くと、側近のシモンが青ざめた顔で手を振るのが目に入った。しかし、それの行為にどんな意味があるのかをピンと来なかった。


「では、私は戦利品を早速、見にいくとするか……」


 ソリアは満足げに微笑む。そして、ラウダの肩に手をかけた。


「娘、礼をしたい。一緒に来なさい。そこの男も」


 ラウダとレオナルドは顔を見合わせる。選択権はないようだ。


「では、エクセン。面白かったぞ、宴は続けるが良い」


 ソリアの後を続く数人の者。人々はその面々を興味深そうに見送る。


 緊張が緩んだのか、ポツリポツリと話し始める。対局をメモしていた者の解説が各所で始まった。そもそもが碁を嗜む人達、話好きなのも相まり、話はなかなか終わりそうもない。


「エクセン様!」


 頃合いをみて側に寄ってきたシモンは、小声で責めるかのようにその名を呼んだ。


「さっきのあれはなんだ?」


 呑気に答える主人に、頭を大きく振る。


「なぜ、月邸を手放すなんて馬鹿なことをしたんです!!」


「取り壊そうとしている館だろ、大したことはない」


 シモンは信じられないと、さらに頭を大きく振る。


 今は対局の後だと言うのに!何を言っているのだろうか?あの孤高の貴婦人はヒントを与えたようなものなのに!!


「月邸は誰の館ですか?いや、でしたか?」


「そんなのあの女……グロリ……」


 最後の言葉が出てこなかった。もう死んだ女の名だ。


 グロリア、昔の正妻の家である。


「ラウダ様が帰ってきた時、どうするのです!」


 シモンは周りに気を配りながら、エクセンの耳に小声で叫んだ。


「………」


 してやられた!


 それは、心の声だった。あの叔母がなぜあんな館を欲しがったのか、それを疑うべきだった。


「ソリア様はラウダ様の生存をご存知なのかも知れません」


 エクセンは、ぐったりと近くの椅子に座り込んだ。叔母の行動の意味がやっとわかった。


「叔母は宣戦布告に来たんだな?」


 エクセンの問いに、シモンは渋い顔をする。


「公の場で今回のように主家に批判的な態度を示される方ではなかったかと……」


「つまり、私は見限られたと言う訳だな?」


「可能性は高いかと……」


 エクセンは眉間を指で押さえた。


「叔母様にはタントウセイがいるな?」


「はい、大人しい青年ですが。キレる男です」


 自分の息子、アシオスをあてにすることはできない。愚息だ……。タントウセイと競えば結果は見えている。


「捨てた息子に縋らない限り、私は終わりということか」


「………」


 シモンは無言の同意を示した。この宴のおかげで、コンサス家の勢力が大きく動くことになる。ソリアを敬愛する者は多い、その後ろ盾があったからこそエクセンは力を発揮できた。


 この従順な側近は、長年抑えてきた苦言を主人に告げる。


「……グアバ様を表舞台から去らせてください」


 エクセンは、名指しされた妻に視線を向けた。


 どうしようもない女だが、愛する女だ。


 女王のように振る舞う女、アレを造ったのは自分だ。愛妾と蔑まされる女を守ってやりたかった。


 自分が愛したがために追い詰められた女だ。


 力を持てば全てが解決できると思っていた。


「シモン、私は間違っていたのか?」


 問われた男は口を閉ざした。愛する女を守りたいのは当たり前のことだろう。しかし、グロリアとラウダに行った仕打ちは正しくはない。


 少なくとも主家の当主としては……。


「……もし、間違ったのであれば、正せばいいだけです」



「そうだな」


 エクセンは静かに頷いた。

 




 


 

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