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夢幻の姫君  作者: 紘仲 哉弛
第3章 儼乎なる玉桂
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21.圧倒的な差

 コンサス家の当主、エクセンの気分は朝から優れなかった。毎年恒例の妻の誕生日会には頭を悩まされる。始まりは内輪の集まりだったが、年を追うごとに規模が拡大している。


 大量に積み上げられた贈り物は、単なる気持ちばかりのものではない。コンサス家に擦り寄ろうとする、エゴの塊であるのは明らかだ。毎年、何らかのトラブルは起こるので覚悟はしていたが……。


 今回のこの状況は流してやれるほど、生優しいものではない。


「グアバ、お開きにしろ」


 妻は冗談じゃない、と言い返そうとしたが。夫の怒りが限界に達しているのを目の当たりにし、言葉を急いで飲み込んだ。


(……なによ、そんなに怒らなくてもいいじゃない。私の誕生日よ……)


 妻の想いを察したか、エクセンは更に睨みを効かせた。


 華やかな宴は静まり返り、人々の関心は主役達に集まっている。その静寂の中を貴婦人は優雅と歩いていく。


「エクセンよ、久々に参加してはみたが。何とも豪華で雅よのぉ」


 背の高いその女性は、白い羽根の扇で口元を隠しながら主役達に合流する。その人の気質を知る人達は、この宴に対し好意的ではないことは容易に予想できる。


「叔母様……お見苦しいところをお見せしました」


 この叔母、ソリアはグアバにとっては招かざるべき客であった。顔を合わせれば小言を言い、嫌っていることを隠しもしない人だ。


「よいよい、お前も苦労が絶えないのぉ。しかし、あれじゃ。力というものは相応しいものにこそ与えるべきではないか?」


 ソリアは愛妾に向かって目を細めた。グアバは負けじと睨み返す。


「当主を支えるのは妻の務め、家門も私がお守り致しますゆえ、叔母様はお休み頂いていても宜しいのですよ?」


「口を慎め、グアバ」


 当主は即座に、低い静かな声で叱りつけた。右手は怒りで震えている……。


 ソリアの勢力がコンサス家を支えていることは、家門の者なら誰でも知っていることだ。敵に回すわけにはいかない。


「エクセン、この無礼の責はお前に受けて貰うぞ」


 その冷ややかな微笑みに、エクセンは苦笑いをした。どうせ無理難題を吹っかけてくるに違いない。


「これだけの宴を用意できるは当主あってこそ。その意味わかっておるな?」


「勿論です。叔母様……」


 元々は軍人だった叔母は、父以上に規律に煩い。妻に好き勝手をさせているのを責めているのだろう。


 パタン


 広げていた扇を閉じると、控えていた者が動き出した。


 タントウセイが配下を引き連れ、テーブル、椅子、碁盤を運び込む。それは招待客によく見える位置で、叔母の意図はすぐに汲み取れた。


「叔母様、ご勘弁ください。宴はもう終わりにしましょう」


「そうはいかぬ、せっかくじゃ。碁で勝負をしよう」


「叔母様!」


 エクセンの言葉には返さず、ソリアは別の方に声をかけた。


「そこの娘、お前は碁ができるかぇ?」


 突然話しかけられ、ラウダは驚きで即答できなかった。レオナルドも同じで、予想外の展開に唖然としている。


 コクリ


 思わず頷いてしまった。


「そうか。では、私の代わりに碁で戦ってくれんかの?」


「……」


「お前は懐かしい人によく似ておる。()()とは言わぬ。しかし、()()()()()


 その言われように、エクセンは歯ぎしりをした。


 エクセンに碁で敵うものは少ない。新年の宴でも一人勝ちになってしまうため、碁の競いの会には参加していない。公の場で碁を打たなくなったとはいえ、その実力は圧倒的である。


(こんな娘が碁など打てるはずもない……。嫌がらせに過ぎないだろう。この娘はグロリアに似ているからな……)


「お受けいたします」


 その答えに、レオナルドはラウダの手をグッと引いた。


「やめておけ、お前の出る幕ではない」


 目でもダメだと訴えかけた。正体がバレていないとはいえ、エクセンに接近するのは危険である。周りの反応からして、今のラウダは何かを起こしかねない。早々に立ち去るのが安全だろう。


「そちは夫かぇ?」


「いえ、まだです」


 ソリアは金髪の男を興味なさそうに見つめると、フワッと笑った。


「ならば、問題はなかろう?」


 エクセンとラウダそれぞれに席を勧める。レオナルドはラウダの手を強く握るが、ラウダは大丈夫だとその手を優しく解いた。


 エクセンと見知らぬ女性が向かい合って座る。それは人によって見方が変わる。


 あんなお嬢さんが主力に挑むとは無謀だ、と哀れむ者。


 主力を馬鹿にしているのかと怒る者。


 実は凄い名手なのではないかと期待する者。


 過去の同じ光景を思い出す者。


 それぞれはある意味、興味深げにその対局を見守っていた。


「では、私が白で貴女(あなた)が黒でいきましょう」


 ラウダは小さく頷く。


 会場にはパチン、パチンと交互に石を置く音が弾く。


 見物客にわかるように、碁盤の様子は大きな紙に描かれていく。時が進むにつれ、その力の差は一目瞭然だった。


『おい、これは酷い対局だ……エクセン様の圧勝ではないか?』


『さすがだ、小娘にも手加減をならさない』


 予想通りの流れに、会場の空気はかなり緩み始めている。大した趣向にもならない対局に人々の興味は離れ始めていた。


「いや、あの男負かされるぞ」


 会場の片隅である男が呟いた。そばで控える男が不思議そうに問いかける。


「クロス様、どう見てもあの女の負けではないですか?」


 男はクスリと笑った。


「お前には見えないだろうな。あの女、なかなかだ。相手は全く気付いていないが、完璧な布陣を打っている」


「え?そんな魔法みたいなことあるんですか?」


「魔法?笑わせるな、勝利までのルートは決まっている。それにそって打ってるだけだ」


「相手はエクセンですよ?わかっているでしょう?」


「は?わかってたら、あんな打ち方はしないだろ。()()の見える世界が見えてないだけだ」


 男は主人の話している内容が全くわからなかった。天才というのは自分とは違うモノが見えるらしい。元々、理解できない人だが、異次元でモノを見ている人には付いて行けそうもない。


「それなら、早くトドメをら打って終わらせればいいのに……」


 男はこの場を早々に去りたかった。そもそも、インフィニタは未開の国で過ごしにくい。快適だとは言い難いこの地での滞在は、実に苦痛だった。


「圧倒的な勝利と見せかけ、気がつけば圧倒的な敗北……。面白いね。あの女。えげつないところが気に入った」


 そう言うと、男は踵を返した。


「え?クロス様帰るのですか?最後まで見ないのですか?」


 主人の後に急いで続く。


「見なくても結果は決まっている」


 対局はもうしばらく続く、その流れも結果も見えているこの男にとって、別の意味で、この対局は退屈なものに変わってしまっていた。


 この男はとてもわかりやすい。


 単に全く興味がなくなったのだろう。






 


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