21.圧倒的な差
コンサス家の当主、エクセンの気分は朝から優れなかった。毎年恒例の妻の誕生日会には頭を悩まされる。始まりは内輪の集まりだったが、年を追うごとに規模が拡大している。
大量に積み上げられた贈り物は、単なる気持ちばかりのものではない。コンサス家に擦り寄ろうとする、エゴの塊であるのは明らかだ。毎年、何らかのトラブルは起こるので覚悟はしていたが……。
今回のこの状況は流してやれるほど、生優しいものではない。
「グアバ、お開きにしろ」
妻は冗談じゃない、と言い返そうとしたが。夫の怒りが限界に達しているのを目の当たりにし、言葉を急いで飲み込んだ。
(……なによ、そんなに怒らなくてもいいじゃない。私の誕生日よ……)
妻の想いを察したか、エクセンは更に睨みを効かせた。
華やかな宴は静まり返り、人々の関心は主役達に集まっている。その静寂の中を貴婦人は優雅と歩いていく。
「エクセンよ、久々に参加してはみたが。何とも豪華で雅よのぉ」
背の高いその女性は、白い羽根の扇で口元を隠しながら主役達に合流する。その人の気質を知る人達は、この宴に対し好意的ではないことは容易に予想できる。
「叔母様……お見苦しいところをお見せしました」
この叔母、ソリアはグアバにとっては招かざるべき客であった。顔を合わせれば小言を言い、嫌っていることを隠しもしない人だ。
「よいよい、お前も苦労が絶えないのぉ。しかし、あれじゃ。力というものは相応しいものにこそ与えるべきではないか?」
ソリアは愛妾に向かって目を細めた。グアバは負けじと睨み返す。
「当主を支えるのは妻の務め、家門も私がお守り致しますゆえ、叔母様はお休み頂いていても宜しいのですよ?」
「口を慎め、グアバ」
当主は即座に、低い静かな声で叱りつけた。右手は怒りで震えている……。
ソリアの勢力がコンサス家を支えていることは、家門の者なら誰でも知っていることだ。敵に回すわけにはいかない。
「エクセン、この無礼の責はお前に受けて貰うぞ」
その冷ややかな微笑みに、エクセンは苦笑いをした。どうせ無理難題を吹っかけてくるに違いない。
「これだけの宴を用意できるは当主あってこそ。その意味わかっておるな?」
「勿論です。叔母様……」
元々は軍人だった叔母は、父以上に規律に煩い。妻に好き勝手をさせているのを責めているのだろう。
パタン
広げていた扇を閉じると、控えていた者が動き出した。
タントウセイが配下を引き連れ、テーブル、椅子、碁盤を運び込む。それは招待客によく見える位置で、叔母の意図はすぐに汲み取れた。
「叔母様、ご勘弁ください。宴はもう終わりにしましょう」
「そうはいかぬ、せっかくじゃ。碁で勝負をしよう」
「叔母様!」
エクセンの言葉には返さず、ソリアは別の方に声をかけた。
「そこの娘、お前は碁ができるかぇ?」
突然話しかけられ、ラウダは驚きで即答できなかった。レオナルドも同じで、予想外の展開に唖然としている。
コクリ
思わず頷いてしまった。
「そうか。では、私の代わりに碁で戦ってくれんかの?」
「……」
「お前は懐かしい人によく似ておる。勝てとは言わぬ。しかし、手は抜くな」
その言われように、エクセンは歯ぎしりをした。
エクセンに碁で敵うものは少ない。新年の宴でも一人勝ちになってしまうため、碁の競いの会には参加していない。公の場で碁を打たなくなったとはいえ、その実力は圧倒的である。
(こんな娘が碁など打てるはずもない……。嫌がらせに過ぎないだろう。この娘はグロリアに似ているからな……)
「お受けいたします」
その答えに、レオナルドはラウダの手をグッと引いた。
「やめておけ、お前の出る幕ではない」
目でもダメだと訴えかけた。正体がバレていないとはいえ、エクセンに接近するのは危険である。周りの反応からして、今のラウダは何かを起こしかねない。早々に立ち去るのが安全だろう。
「そちは夫かぇ?」
「いえ、まだです」
ソリアは金髪の男を興味なさそうに見つめると、フワッと笑った。
「ならば、問題はなかろう?」
エクセンとラウダそれぞれに席を勧める。レオナルドはラウダの手を強く握るが、ラウダは大丈夫だとその手を優しく解いた。
エクセンと見知らぬ女性が向かい合って座る。それは人によって見方が変わる。
あんなお嬢さんが主力に挑むとは無謀だ、と哀れむ者。
主力を馬鹿にしているのかと怒る者。
実は凄い名手なのではないかと期待する者。
過去の同じ光景を思い出す者。
それぞれはある意味、興味深げにその対局を見守っていた。
「では、私が白で貴女が黒でいきましょう」
ラウダは小さく頷く。
会場にはパチン、パチンと交互に石を置く音が弾く。
見物客にわかるように、碁盤の様子は大きな紙に描かれていく。時が進むにつれ、その力の差は一目瞭然だった。
『おい、これは酷い対局だ……エクセン様の圧勝ではないか?』
『さすがだ、小娘にも手加減をならさない』
予想通りの流れに、会場の空気はかなり緩み始めている。大した趣向にもならない対局に人々の興味は離れ始めていた。
「いや、あの男負かされるぞ」
会場の片隅である男が呟いた。そばで控える男が不思議そうに問いかける。
「クロス様、どう見てもあの女の負けではないですか?」
男はクスリと笑った。
「お前には見えないだろうな。あの女、なかなかだ。相手は全く気付いていないが、完璧な布陣を打っている」
「え?そんな魔法みたいなことあるんですか?」
「魔法?笑わせるな、勝利までのルートは決まっている。それにそって打ってるだけだ」
「相手はエクセンですよ?わかっているでしょう?」
「は?わかってたら、あんな打ち方はしないだろ。俺達の見える世界が見えてないだけだ」
男は主人の話している内容が全くわからなかった。天才というのは自分とは違うモノが見えるらしい。元々、理解できない人だが、異次元でモノを見ている人には付いて行けそうもない。
「それなら、早くトドメをら打って終わらせればいいのに……」
男はこの場を早々に去りたかった。そもそも、インフィニタは未開の国で過ごしにくい。快適だとは言い難いこの地での滞在は、実に苦痛だった。
「圧倒的な勝利と見せかけ、気がつけば圧倒的な敗北……。面白いね。あの女。えげつないところが気に入った」
そう言うと、男は踵を返した。
「え?クロス様帰るのですか?最後まで見ないのですか?」
主人の後に急いで続く。
「見なくても結果は決まっている」
対局はもうしばらく続く、その流れも結果も見えているこの男にとって、別の意味で、この対局は退屈なものに変わってしまっていた。
この男はとてもわかりやすい。
単に全く興味がなくなったのだろう。




