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夢幻の姫君  作者: 紘仲 哉弛
第3章 儼乎なる玉桂
72/150

20.思いがけない誤算

グアバ=コンサス

アルデナ区の主力 エクセンの妻


カラン=プロディ

グアバの弟であり、アメリの父


ソリア=コンサス

エクセンの叔母

 艶やかな黒い髪、腰まであるその御髪はとてもその女性(ひと)に似合っていた。深緑の瞳はレンズでエメラルドに霞んでいるが。彼女がヴィサスの姫であることを思い起こさせる。


 正直、ここまでの仕上がりになるとは思っていなかった。元々は女性だとわかってはいたものの、化粧と服でこんなにも変貌するとは……。


 クラウドのお墨付きのデザイナーの腕は確かだった。目の前にいる女性は完璧な淑女に仕上がっている。今の流行を真似するでなく、これからの流行を創るかのようだ。


 濃い青のシルクを使用したドレス、その生地はスノウ国のフィーリア産のものだ。ファッションに詳しい者なら、その生地の1m当たりの値は、庶民の1か月の食費を十分賄えるほどだと知っている。


 とても上品なデザインであり、華美なケバケバしさは全くない。大きく開いた胸と背中からでも、性的ないやらしさを感じさせない。足元でフワリと広がりながらも、ウエストは細く縛られ、女性らしい体のラインを出している。


 靴もヒールの部分がとても細く高いが安定性があり、全体的な形は完璧なまでに足首の美しさを際立たせている。


 芸術的な仕上がりに、レオナルドの胸の高鳴りはなかなか治りそうもない。


「ルシート様、どうかされましたか?」


 不安げに見上げるラウダの瞳と交わると、レオナルドの体はさらに熱くなる。任務だとわかってはいるが、本能と言うものに抗うのは困難だと、人生で初めて感じている。火照った体を鎮めるのは容易ではなさそうだ……。


 外見だけではない内から溢れ出す女性の色気に、レオナルドですら、すっかり当てられてしまっている。


 ここ数日、女性としての身のこなしをビシビシと容赦なく叩き込まれたラウダ。元々の勘の良さと身体能力の高さで出される課題は全てクリアした。


 それが何を意味するかまでは、理解していないようだが……。


「俺から離れるなよ……」


 レオナルドはラウダの腰を引き寄せた。


 自分達が会場に入ると、人々の視線が自然と集まり始めた。本来なら目立たなく潜入し、コンサス家の情報を収集すべきなのだが……。ラウダが予想以上に仕上がり過ぎたようだ。


「レオ、あそこにいる女がグアバか?その隣はエクセンなのだろうか?」


 ラウダはレオナルドの耳元に口を近づけると、小さい声で囁いた。


「そうだ……」


 冷静さを努めて保ちながら、自分の理性を呼び覚ます。母親を手にかけ、自分の命を脅かした人達、それも父親……ラウダの気持ちを考えれば、この浮ついた自分の衝動は抑えるべきだ。


 ラウダの指先が僅かに動いた。


 エクセンとグアバが互いに寄り添い、微笑み合っていた。それは側から見れば、愛し愛される仲睦まじい夫婦の姿だった……。


「……ラウダ、大丈夫か?」


 ゴクリ、と横で唾を飲み込むのを感じた。


「あぁ、来て良かったよ。今のコンサスの様子がよくわかる宴だな……」


 グアバの前に積み上げられた、贈り物の品々へと視線は自然に動いていく。


「アルデナは質素倹約が本来の美徳とされていたはずなんだ……何なんだ……あの贅沢な品々は……」


 レオナルドはラウダの肩に優しく手を添えた。この少女はアルデナを嫌いながらも、自然と口に出るくらい、そのレガシーを体の中に刻み込まれたのかも知れない。コンサスの嫡男として……。


「家門の中には、分断も生まれているようだな……明らかに嫌悪感を示しながら見物している人達がチラホラ見える」


 レオナルドは細かく周りの様子を観察した。コンサス家の血筋の者、アルデナ区の他家、他区や国外からの招待客を区分けし、頭の中でマーキングしていく。


「……あれは……アクアの者が混じっているな……」


 そう小声で続けようとして、慌てて口を閉じた。自分達に向かって真っ直ぐに進んでくる執事の姿が目に入ったからだ。


 グッ、とラウダを引き寄せ、後ろに隠した。


「ルシート様!ルシート様ですよね!?」


 執事はパタパタと小走りで近づくと、レオナルドに軽く一礼した。人の良さそうなその男に、そうだと軽く挨拶を返す。


「グアバ様がお探しです。一緒に来てください」


「……いや」


 面識がないので、と断ろうとしたのを飲み込んだ。この宴の主役の呼び出しを断れば、礼を欠くことになる。本来ならパートナーと共に挨拶に伺うべきだが……。


 チラリとラウダに目をやると、彼女は真剣な目で頷いた。レオナルドは気が進まないが……。


「わかりました。パートナーと共に伺います」


 執事はその言葉に、目を大きくすると微妙な表情を浮かべた。躊躇いがちに後ろの女性に目をやり、さらにその困惑の度合いを深めた。


「どうかしましたか?伺うと申しているのですよ?」


 執事は迷いながら小さく頷くと、少し青褪めた顔で2人を案内する。


「どうぞ、コチラです」


 レオナルドがラウダの手を取り、グアバの元に進んでいくと、少しづつ周りが慌ただしくなり始めた。多くはその美しいカップルにため息を漏らす声だったが。


 昔のコンサス家をよく知る者は、ラウダを見て驚きのあまり絶句していた。グアバの様子を観察しながら、落ち着かない人達がチラホラ、そわそわしている。


 それとは真逆に、面白そうに見物し、孫に笑い声を抑えられている強者もいたりする……。孤高の貴婦人、ソリア=コンサスである。


「ラウダ、俺に任せてくれ……」


 レオナルドは握る手に力を込める。パートナーという立場はそういうものだ。同伴の女性をエスコートし、守る。


 それを軽く超えた想いを抱いていることに、この男は気付いていないようだが……。それを向けられた女もその深さに全く気付かない。


 ラウダを後ろに庇いながら、レオナルドはグアバとエクセンへと進み出る。形式的な挨拶の礼を整える。元々はスノウ国の貴公子、幼い頃から培った礼儀は体に刻み込まれている。


「貴方がルシートですね、噂通りの好青年だな」


 エクセンは顔を綻ばせる。ここまで完璧な礼は久々だった。好印象を与える品性の高さも評価に値する。


「まぁ!アメリの婚約者としては満点ですわね!」


 グアバは会場に響くように、ワザと大きな声をあげた。それと共に、後ろで控えている姪を押し出す。アメリは気まずそうに微笑んだ。


「……グアバ様、お会いして間もないところ、失礼ですが……何か勘違いをされているようですが……」


 レオナルドは笑みを崩さずに、やんわりとアメリから目を外し拒絶する。


「なにをです?アメリと恋仲だと言うじゃない!?この子に恥をかかせるつもり!?」


 グアバの表情が険しくなる。レオナルドを鋭く睨みつける。コンサス家に逆らうなどという選択肢は無い。所詮は、他区の下官に過ぎない。


「グアバ!何を言っている?アメリ!お前はなぜここにいるんだ!!おい、そこの男、どういうことだ!!」


 脇から小走りで近づく男が割って入って来た。


 カラン=プロディ、グアバの弟であり、アメリの父である。


「グアバ、控えよ……」


 エクセンが低い声で、グアバを嗜めた。


 明らかに揉め事になるのが目に見えた。大勢の招待客向けに見せるべきではない、主力は早々に収束されるべきだと判断した。


「いいえ!なりません!私の姪を蔑ろにすることは、コンサスを軽んじる行為よ!」


 カランは瞬時に状況判断し、娘の手を引いてそこを去ろうとする。グアバに利用されていることを察知していた。


「嫌よ!お父様!!私はルシートが好きなのよ!!叔母様が取り持ってくださるの!!」


 アメリは父の手を振り解いた。そして、レオナルドに助けを求めた。優しいこの男なら、無下にはしないだろうと……。


「ほら!アメリもそう言ってるじゃない?貴方、わかるわね?返事は1つよ」


 エクセンが止めるのも聞かない。グアバはレオナルドに詰め寄る。レオナルドは己の身を前に出すと、ラウダを後ろに隠した。


「私はアメリ様を()()()に会わせるために、任務を果たしたまで。そこまでおっしゃるなら、()()()のお名前をここで出さなければなりませんね」


 カランは不味い、とエクセンとグアバを交互に確認する。エクセンはその意味を理解していない様子だが、グアバは気まずい顔をしている。その様子から、あの女が自分の企みに気づいていることを察した。


「アメリ、父を裏切ったのだな?」


 娘にだけ聞こえるように叱責すると、アメリは恐怖で震えた。底冷えするような冷酷な表情、そんな父を見たことはなかった……。


 カランは無言でアメリを引っ張ると、その場を離れさせた。娘はその怒りの形相に黙って従うしかなかった。振り返り、レオナルドに助けを求めるが、その男は自分に関心を向けることはなかった……。


 グアバも、アメリどころではなかった。身に降りかかる火の粉を払う方が先である。


 今、この場でラウダの名前を大々的に出されるわけにはいかない。コンサス家の中には、未だにあの子供を惜しむ勢力がいるのだ。生きてるとなれば、喜んで主力に担ぎあげるに違いない。


 その存在は、知られぬうちに消し去らなければならないのだ。


「何の話をしている?誰のことを言っている?」


 グアバは苦々しい表情を浮かべる。エクセンは知りたいようだが、知られたくない名前である。


「知りませんよ!この男がアメリの心を惑わしただけですわ」


 後ろに隠され、顔を伏せていたラウダはレオナルドの袖を引っ張る。その強い力に振り返ったレオナルド、その男の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。


 自分を前に出せと目で訴える。それでも迷うレオナルドに、大きく頷いて見せる。


 レオナルドは軽く息を吐いた。その決意を無視するわけにはいかないだろう。 


「……私はパートナーと共に来ました。この娘が私の想い人です。アメリ様と何かあるはずがない」


 そうキッパリと言うと、ラウダを自分の横に並べた。ラウダは丁寧に挨拶をし、笑みを浮かべた。


 ざわっ、心の中に小さな蠢きを起こしたのは、前に立つ2人、エクセンとグアバだ。


「グアバ様……お誕生日おめでとうございます。コンサス家の宴に参加でき、光栄です」


 真っ直ぐに立ち、姿勢正しく話しかけるその姿は遥か昔に見た光景だった……。


「……そうか……君も困っているだろう……許してくれ、妻も姪想いが過ぎたのだろう」


 エクセンは目の前の娘を見つめながら、当たり障りないよう妻を庇う。ラウダは鼻の奥から焦げるような臭いがした。


 これは怒りの反応だろうか?


「……後ろに隠れていればいいものを……よく挨拶などできるな?お前などがコンサス家に足を踏み入れること自体、忌々しい」


 グアバは不快感を隠そうとはしない。この小娘が憎むべき女によく似ているからだ。


「……残念です。私が伝え聞いたコンサスとは変わってしまったんですね……」


「なんですって!?」


 平手が伸びるのを、レオナルドが受け止める。グアバの右手は大きな音をたてて、この男の頬を叩いた。


 パシン!!


 ラウダは表情を変えず、グアバとエクセンに向き合う。静かな声で、落ち着いて言葉を投げかける。


「コンサス家は質実剛健、質素倹約を良しとする家柄と聞いていましたが……今は違うのですね……残念です」


 ラウダは呆れた目で、沢山の贈り物へ視線を送った。この堕落した姿は何なのだろうか……。


 その娘の内側から溢れ出る精錬さに、人々は()()()を投影していた。


「……グロ……リア」


 エクセンは亡霊に対峙したかのように、体を強張らせた。


 グロリア=コンサス、亡き正妻のシンボルカラーは青。黒髪と深緑の瞳、感情を乱すことはなく、常に冷静な振る舞いをする女性だった。姿勢良く立ち、その姿は派手さはないが上品であった。そして、なによりも……。


 主人のエクセンに対しても、臆することなく過ちを正す。そんな女性(ひと)だった。


 パチパチパチパチ!!


 静まり返ったホールに1人の拍手が響く……。


 人々は一斉に、その音の主へと視線を向けた。


 その人は、ソリア=エクセン。


 かつての豪傑、崇高なる貴婦人として、一門の尊敬を集める女性だった。



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