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夢幻の姫君  作者: 紘仲 哉弛
第3章 儼乎なる玉桂
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14.親の言いつけ

 今日ほど快晴の空を恨んだことはない。いつもならば大喜びするところだが、自分の今の心は真っ暗だ。出かける前に並べた服も着たい物は何もなかった。


「適当でいいでしょ」


 護衛の1人が気楽なことを言ってくれるが。良家で育ったアメリは、習慣的にそんなことはできなかった。これから会う男は父にとって重要な男だ。良い印象を持たれ、心を惹きつけなければならない。


「ルシート……」


 それがあの方ならば、どんなに良かったか……。それは何度も何度も思ったことだ。あの金髪の碧眼の優しい王子ならば、喜んで身も心も捧げた。彼と過ごすための服なら、買っても買っても足りないくらいだ。


「訪問着でいいわよね……」


 会うのがあの男ならば、無難な物でいいだろう。早々に考えるのを止め、化粧や髪型も無難なものを選択する。侍女が居れば煩く口出しされるだろうが、幸い今は自分だけだ。


 水色のワンピースと白い帽子、パンプスも白にした。水色をチョイスしたのは、ルシートの瞳の色が浮かんだからだ。


「アメリ様、ルシートが迎えに来ましたよ」


 護衛の若い方が部屋の外から声をかけた。軽く返事をすると宿の外へと出た。中級の宿の階段を降りるとその人は待っていた。紺のジャケットと白いシャツ、ジーンズと白いスニーカー。初めて見るラフな姿に乙女の心は大きく跳ねた。


「ルシート!!」


 いつもの軍服とは違い、この男の品の良さと男前さが更に際立っているように見えた。ルシートは穏やかに微笑むと軽くお辞儀をする。


 こんな日でなければ良かったのに!!


 いつものデートだったら、どんなに良かったか……。あの男に会う日なのが口惜しかった。


「ラウダは市場で情報収集をしているようです。急ぎましょう」


 ラウダという名前が出ると気分は一気に落ち込む。渋々と後に続く。不安になり、手を絡ませようと伸ばすが、ニッコリと微笑みながら拒絶された。そりゃ、そうかもしれない、この人はラウダと自分に縁を持たせる役目なのだ。


 トボトボついていくと、横にやって来た護衛が小さな声で囁いた。


「お嬢様……俺はお嬢様の味方です。任せておいて下さい……」


「え?」


 護衛の若い方はニッコリと余裕な笑みを浮かべている。


 何をするつもりなの?


 疑問を口にしようとすると、男は口に人差し指を添えた。その瞳は少し恐いような気がした。


「アメリ様?こっちですよ」


 ルシートは振り返ると、男に不審な視線を向けた。男は何事もないようにアメリから離れた。それに一瞬訝しげな視線を向けたが、気を取り直してアメリに向き合う。


「あちらの紙商店の中で物色しているのが、ドゥーリ区の宰相、ラウダです」


 アメリを自分の前に出すと、その耳に話しかけた。ルシートの細く長い指は、向こうの店の中を指している。その指された先には赤い髪の少年が立っていた。横には背の高い男が控えている。


「あの人がラウダ……」


「買い物客のフリをして近づくのです。店の者には話をつけておきました」


 ズキン


 アメリの心は大きく軋んだ。今の自分があの男を惑わすなんてできる気がしなかった。


「アメリ様」


 そう声をかけて来たのは、歳上の護衛の男だ。ルシートを後ろに追いやると、お嬢様に声をかける。


「お父上からの務めを果たすように、わかってますね?」


 こっちの男は若い方と違って、父に従順なのだ。この旅の目的を見失うことはない。アメリは身に染み付いた淑女の嗜みを思い出した。


 ルシート達から離れ、ラウダの元へと歩みを進める。まだ午前中だというのに、人の流れは多い。すれ違いながら、真っ直ぐに標的へと突き進む。


 その赤い髪の男は、自分より背が高いが男にしては低い方だと思った。白い平服を着ている。姿勢も良く、礼儀正しく、店員とのやりとりは何処となく品がある。その表情はとても優しげでもあった。よくよく目を凝らせば、醜男ではなく、むしろ綺麗な顔をしていた。


 しかし、自分の心は何一つ動かされない。


 どんどん距離は近づいていく。その男の姿がハッキリと目に入り出すと、アメリは悩み出した。どうやって近づけばいいのか?初対面の男である。


 ドン!!


「痛えな!どこ見たんだよ!!」


 右肩に衝撃が走って、我に返った。目の前にはごつい男が数名立っていた。


「ごめんなさい!!」


 目の前の男にぶつかったのだろう。咄嗟に謝罪の言葉が出た。ラウダに気を取られ、周りに注意が向いていなかったようだ……。


「悪いと思うんなら、酒の酌でもしてもらおうか?」


 アメリはよくある話の流れに苦笑いをする。後ろを振り返るが、ルシート達の姿はなかった。これは仕掛けなのだろう……。


「困ります……」


 アメリはすぐそこにいる男に届くように、が弱く細々とした声を上げた。


「うるせえ!女、来いよ」


 目の前の男はアメリの手首を強い力で掴んだ。あまりの痛みに顔が歪んだ。


(やり過ぎでしょう!)


 金で雇われたと思われる男を控えめに睨むんだ。

 

「おいおい!お嬢ちゃん、気が強そうでくるなぁ〜」


 男は気分がノッてきたようで、周りの男達に来いよ!と誘う目をした。一斉に男達の目は、アメリに注がれる。


(ちょっと!何なのよ!!)


 悪ふざけが過ぎると睨むが、男達は舐めるように自分を見てくる。何かの間違いがある気がしてきた……。背筋がゾワリとする。


 手を引っ張られ、男の子懐に寄せられた。密着する体からは酷い臭いがたちこめ、鼻をついた。身じろぎするが、力が強すぎて離すことはできない。


(これが男の力なのか……)


 初めて乱暴に扱わられ、体に恐怖が走った。自分の知る男性はこんな力の使い方をしない。体が恐怖で震えた。


「お前、いいかげんにしないか」


 コツコツコツと靴音をたてながら、透き通るような声が近づいてくる。


「はぁ?」


「大男がそんな娘にキレて見苦しいぞ」


 その声の主は乱暴な男に近づくとその手に軽く触れ、アメリを引き離した。それは風のような流れの動きで呆気に取られた。


「てめえ!何しやがった!!」


 娘を奪われた男は驚いた顔で自分の手を見ている。あんなに強い力で掴んでいた手をあっさりと引き離した。確かに不思議な瞬間だった……。


 その人を見ると、紅髪の男だった。


「大丈夫?手首真っ赤だね」


 紅髪の男は心配そうに覗き込むと、ポケットからハンカチを取り出した。すると、紙商店の主人に目配せをし、水桶を運ばせる。それにハンカチを浸すと軽く絞り上げ、アメリの手首へと運んだ。


「少し冷やすといいよ」


 その優しげな深緑の瞳はとても印象的だ。


「おいおい!お前!カッコつけてんじゃねぇよ」


 男とその仲間達は苛立っている様子だ。既に刃物を準備し、紅髪の男にチラつかせている。アメリはこの男の従者らしき男に目をやったが、その男はただ面白そうに微笑んでいるだけだった。


 お芝居でしょ?何処までやるのよ……。


 アメリは周りを見渡すが、ルシート達の姿はない。しかし、気になる集団が目に入った。離れたところで様子を伺う男達がいた。荒くれ者のようだが、何だか様子がおかしい。青い顔をして互いに耳打ちをしている……。


 紅髪の男は薄すらと微笑むと、アメリに耳打ちした。


「君、厄介な奴等にぶつかったみたいだね?」


 最後にクスッと笑ったので、え?とその顔を確認する。その男は面白そうに笑ってた……。


 クイッ


 紅髪の男はそっとアメリを後ろに隠した。とても華奢な男だが、その背中には強い何かを感じる。


「俺は一応、軍の関係者だが?そこは問題ないのかな?下がるなら今だぞ」


 紅髪の男は剣の柄に手をかけると、軽く構えをとった。


「はぁ?こっちは流れ者だ、軍人なんて怖くもねえよ!こんな女みたいな奴、ぶっ殺してやる」


 男達の気持ちは既に固まっているようだ。何人かは既に刃物と銃を構えている。


(おかしい……。お芝居じゃない……)


 離れて見ていた荒くれ者の集団の何人かは、青ざめた顔をしてどこかに走っていく。


(もしかして、アレが本物で。こっちはマジなやつとか……)


 アメリは唾をごくりと飲み込んだ。


「ウンブラ!この子頼む!!」


 紅髪の男が声をかけると、背の高い男は面倒臭そうにこっちにやって来た。


「ラウダ様は引きが強いですなぁ」


 そう面白そうに言うと、アメリを離れたところへと連れて行く。この背の高い男はガサツそうに見えたが、とても紳士的な身のこなしで自分をエスコートした。


(ラウダ……やはり、あの人がラウダなのね……)


 アメリは安全な所でその姿を再確認する。5人の男達に囲まれている。それなのに全く焦りを感じなかった。


「あっ、貴方!お仲間が危ないわよ!助けに行かなくていいわけ?」


「……私は貴方を守るように言われてるので」


 その男は見物するつもりらしい。動く気配は全くない。しかし、もしウチの護衛が用意した男達なら、大したことにはならないだろう。アメリは自分に言い聞かせる。


「へぇ〜凄いな」


 傍らの男は感心した様子で声あげた?


「え?なに?なに?」


「アイツら武人ですね」


「武人って、軍人ってこと!?どっかの区の??」


 男はポン!と手を叩く。


「あーあれ、アクア軍だわ」


「え……なんでそう思うの?」


 アクア軍は国境にいるはずだ。こんな奥地まで入り込めるはずはない。それにあんな荒くれ者、軍人の品格すら感じられない。


「ほら、あの奥の男の手にある銃。アレ、市場に流通しないモノだ。古い型だがアクア軍から漏れることはない品物だ」


 敵国の軍人ならヤバいのでは?それも、あのラウダならば、命を狙われて当然では?


「ちょっと!貴方!私はいいから!助けに行きなさいよ!!」


「はぁ?まー大丈夫だろ。あの程度でやられるんなら、こっちの命を賭けるまでのない奴だ」


 アメリはその酷い口の利き方に絶句した。さっきの礼儀正さはどこに行ったのか?


 しかし、それは正しいのだと直ぐにわかった。


 ラウダは襲ってくる男達を刀で叩きのめし、銃弾も軽技で避け、とても優雅な身のこなしで全員片付けてしまったのだ。それも、彼が睨むと体が動かなくなる者が続出したのだ。むしろ、銃弾さえも……発射された瞬間、地に落ちたのではないかと思えたほどだ。


「あの人は魔法でも使ったの?」

 

 ルシートも強いが、それとは違う次元の強さを感じた。


「あれは、覇気だな。主力の力だ」


 そう言って、ウンブラはヤバいと口を塞いだ。それは言うべきことではない。


「覇気かぁ〜」


 お嬢様は「覇気」の方に意識がいったようで、ウンブラはハァーッと安堵の溜息を漏らした。


 刀を鞘に収めると、ラウダはウンブラの方に歩いて来た。軽く汗をかいてはいるが、その姿はとても涼しげだ。白い軍服は美しさを更に引き立てる。ルシートとは違う凛々しさにアメリは思わず後退りした。


「巻き込んでしまって申し訳ない」


 深々と頭を下げる姿に、大きくかぶりを振る。


「いえ!私が助けて頂いたのです!私がお礼を言うべきです!!」


 深緑の瞳は一瞬憂いを浮かべた。


「いや、アイツらは俺を狙って、機会を作るために貴方を利用したのだと思う」


「え……」


 唖然とするアメリに、ラウダは困ったように笑みを浮かべる。どうしようか、と悩んでいる様子だ。


「多分、貴方の知り合いが用意した者達はあそこの集団だと思うよ」


「え?」


 ラウダが指差した先を見ると、さっきの困っていた荒くれ者の集団だった。こちらに気付くと慌てて散らばる……。


「普通、身分の高そうなお嬢様が1人でこんな所には来ない。従者はどこ?」


 アメリは途端に居心地が悪くなる。とても偶然を装って会いに来たなど恥ずかしくて言えない。しかし、紳士的なこの人を賎民の流れ者だと誰が言ったのだろう……。これは主家の御曹司の品の良さだ……。


「まぁ、俺に話があって来たようだし?何の用向きか落ち着いたところで聞きましょう」


 深緑の瞳は真っ直ぐに自分を見ている。その美しさにアメリは思わず頷いてしまった。計画はボロボロ……。そもそも、天才と言わしめた宰相に謀るなど大それたことだったのだ……。ガックリと肩を落とし、大人しくラウダの後に続いた——————-。



———————-それらを更に離れた所で見ていた者達がいる。


「マジかよ!?何だ!!あの強さ!!」


 驚いて声を上げた男をルシートは冷ややかな目で見ている。


「ホントだな……あれだけの手練れを赤子をあやすかのように片付けた……」


 歳上の護衛は驚きのあまり、膝を着いていた。


「アレは貴方達が用意したんですか?」


「いや!違う!チンピラを雇っただけだ!銃なんて持ってる奴じゃない!!」


 ルシートはやはり、と思ったが。厳しい目を2人に向けた。


「勝手なことはやめてほしい。こちらはお嬢様の護衛の責務があるんだ」


 ルシートの冷ややかな言葉に2人は顔を見合わせ、気まずそうに頭を下げた。


 それを目もくれず、ルシートは向こうの様子を注視した。


 あの男達はアクア軍の者ではないかと思う。あの身のこなしは軍人特有のものだ。持っている武器の種類からすると、やはりアクアが怪しい。


 それに……ラウダのあの強さ……前より格段に強くなっている。あの異次元の強さが主力の力なのだろうか……。


 アメリに話しかける姿は男そのもの。それも麗しい貴公子だと思った。


「これは……まずいな……」


 ルシートが思わず漏らした言葉に、護衛の2人は顔を見合わせた。


 

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