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夢幻の姫君  作者: 紘仲 哉弛
第3章 儼乎なる玉桂
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8.恋しい人

 ダーネコを後にし、ルシートことレオナルドはドゥーリ区に入った。随行しているアメリはだいぶ体力がつき、すぐには体調を崩さなくなった。


 身なりもだいぶ華やかさを抑えるようになったが、それ故にその元々の素の美しさが際立つようになった。護衛2人は常に周りの男達に気を張っていなければならなくなった。


「ルシート!私のそばから離れないでちょうだい!!」


 すっかり街を転々とする暮らしにも慣れ、お姫様は日々逞しくなっている。控えめな麗しさは何処へやら、ルシートにピッタリとくっ付き、常に彼を独占している。姫にあるまじきだが、無理矢理にでも腕を絡ませていた。


「アメリ様、私は護衛に過ぎません。このように腕を絡ませてないでください」


 ルシートは困った顔で、強引な姫に苦言をていする。アメリのわかり過ぎる好意に困り果てていた。


 それに対し、当の姫君はウットリと恋しい相手を見上げ、その整った顔を上目遣いで見上げた。やはり、自分の好きな顔である。そして、腕を振り払わない優しさ。なんやかんや言いながら、自分のことを邪険にはしない。


(どんなことをしても……手に入れたい……そういう気持ちは何となくわかるわ)


 これは父譲りの気性なのだろうか?どうやったらルシートが自分のものになるのか、そればかりが頭をよぎる。彼の何気ない微笑みや優しさが自分への好意に思えた。出会った頃よりは、自分に目を向けてくれている自信があった。


 アメリは完全にルシートに心を奪われていた。


 護衛の2人は互いに目配せする。何とも気まずい思いの日々、目の前でこんなにベタベタされていい気分はしない。しかし、可愛い姫様には不成者のラウダよりも、こっちの男の方が相応しいとも思い始めていた。


 ルシートというチェリの手下は、一緒に過ごしてみると気持ちのいい男だった。武術に長け、頭が良く、人格も申し分ない。他区の軍人だが、アメリの父、カラン=プロディはどこの出身かには拘らない男だ。判断基準は自分に利があるかどうかだ。もしかすると、風向きが変わったら、この男も有り得なくもない。


 この男がプロディ家に入り、娘婿になることも……。


「アメリ様、今日は孤児の施設へと挨拶に行くだけです。宿で待っていてもいいですよ?」


 ルシートは護衛2人に目配せするが、男達はバツが悪そうにソッポを向いた。姫を連れ帰る気はないらしい。姫は頬を恋しい男の腕に擦り付ける。


「外の暮らしを教えてくれる約束でしょ?私も行くわ!奉仕活動?それだってちゃんとできるもの」


 姫は体をピッタリと添わせながら、縋り付く男の腕に胸を押し付けた。まだ、14歳の娘ではあるが身体の発育は十分女性らしく進んでいる。柔らかな胸の感触をわざとアピールした。


 まだ幼いとはいえ、美しい娘である。甘い香りを漂わせ、やんわりと身体に触れ、五感を刺激してくる。経験が少ない男ならば、ここまで好意を示されれば思わず手が出るものだ。特に規律が厳しい軍に所属し、身を厳しく制される者であるなら、本能的に反応してしまうだろう。


 ルシートは苦笑いをすると歩みを止めた。絡み取られた右腕ごと引き寄せると、左手でアメリの顎に手を伸ばし、自らの顔を近づけた。


 ドキン


 綺麗な顔が近づくたびに、姫の胸の鼓動は高鳴った。全身が熱くなり、頭がカーッと熱くなる。キラキラと輝く碧い瞳が自分を捉え、柔らかなくちびるが薄らと開かれるのをただ見つめた。それが自分の唇に触れられると思うと体が震えた。


 が、それは顔の横に逸れ、耳元に移動すると、とても冷静な声が発せられた。


「私を(あお)っても無駄です。こんな娼婦の真似事をしてはいけませんよ。将来の旦那様にお使いなさい」


 その吐息が耳を掠めると、体がビクリと震えた。明らかに拒絶されたのだが、ウブな姫には刺激が強かったようである。普通に口づけをされた方が楽だったのかもしれない。


 それに追い討ちをかけるように、男は軽く姫の耳に口づけをした。全身が悦びで震えた。


「軽々しく男を操ろうとするな」


 そう小さく呟くと、姫の体を引き離した。


 最後の言葉は僅かに聞こえる音であったが、それだけに鮮明に耳に残った。優しげな微笑には似つかわしくない、底冷えする冷淡な声だった。


「なっ……なによ……」


 バツが悪そうにアメリはソッポを向いた。恋しい男は変わらずに礼儀正しく、柔らかな微笑みを浮かべている。先程の冷淡な物言いは嘘であるかのように……。


(娼婦ですって?)


 引き離された腕で自分を抱きしめた。酷い侮辱である。しかし、夢中でやっていた行為を責められると、恥ずかしくて顔が真っ赤になった。


 アメリは恨みがましくルシートを睨んだが、それに対してその男は涼しい顔で微笑んでいる。完全に子供扱いだ。口づけをされた左耳はまだ熱く、それは種火となって身体を火照らせる。これが大人のやり方なのだろう。タチが悪い。


「お嬢様は熱があるようですね。宿にお帰りください」


 ルシートは護衛の2人に目をやり、連れて帰るように促す。キッパリとした物言いに、男達は慌てて姫に横に駆けつけた。


 いつもなら我儘を言ってついて行くが、今回はそうもいかない。冷淡に拒絶され少しばかり傷ついている。それとは真逆に執着に近い想いも増していた。頭の中は完全に混乱している。それに体がついていかないのだろう。確かに熱が上がっていた。


 フラリ


 ふらつく体を年長の男が支えた。


(あいつ!姫様に何を言った!?)


 非難混じりの視線を護衛2人が向けても、その男は表情を全く変えなかった。男達の位置からは、ルシートがアメリの耳に口づけをしたのは見えていなかった。しかし、何かを言って動揺させたのはわかる。


(厄介な男を護衛につけたものだ……。まだウブな若い兵士を付けてくれた方が良かった)


 ギリリと歯を食い縛ると、姫を軽く担ぎ上げた。


「我々は宿に戻らせてもらう!」


 男達は踵を返すと、反対方向へと向かっていった。アメリは、じっとりとルシートを見つめている。キツイことを言われても、その想いは逆に強まった感がある……。


「参ったな……」


 ルシートは軽くため息をついた。


(最後の口づけは余計だったな……)


 嫌悪感を植え付けろうと思ったが、拒絶されるどころか、逆に働いたようだ。乙女心は難しい。


 素直で綺麗な娘だが、ルシートにはまだまだ子供だ。特に心を動かされることなどない。今までも女性から色々とアプローチを受けることが多かったが、自分を失うほど心を持って行かれることは無かった。


「いや……そうでもないか」


 ふと、脳裏に1人の女が過ぎった。


「ラウダ……」


 その名前を口ずさむと心が揺れた。ふと、彼女ならば……と思ったが。彼女は男の振る舞いはできても、女の嗜みなどできないことを思い出し、思わず笑みが漏れた。


(彼女を相手にしたら、調子を崩されるかもしれないがな……)


 そんな自覚を抱きながら、ルシートことレオナルドは目的地に向かった。

 



 








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