6.王妃の勅命
スノウ国には、諜報機関のレイという組織がある。その組織は隠されており、国の組織図には載っていない。また、王はその機関には関与せず、主宰者は王妃であった。前女王ザイバイが設立し、現王妃フィリアが受け継いでいる。所属人数、名前、性別などの情報は明らかにされていない。
レオナルド=ロイドの生家、ロイド家は公爵家である。代々、学者、官職者を輩出する系統で、才により取り立てられてきた名門だ。領地や財を力にする他家とは一線をかくしていた。
現王妃フィリアはレオナルドの父の妹にあたるため、現王パリスは叔父、クリミア王子とアンジェロ王子は従兄弟にあたる。そして、双子の兄ロナウドはスノウ国の天才と呼ばれ、スノウ大学で研究をしている。レオナルドは輝かしい一族の貴公子でもあった。
「レオ、だいぶ体が大きくなりましたね」
「恐れ入ります」
フィリア妃はレオナルドとテーブルを囲み、お茶を飲んでいる。半年間の軍での研修を終えて、レオナルドの体つきは筋肉の量が増え、大きく変わっていた。
可愛い甥っ子を諜報員にすることに迷いはあったが、何年にも渡る候補者の内偵において、高評価を出し続ける人材を身内だからと外すことは国益に反する。
「1年の研修も終わり、お前を任務に就かせることになりました。行き先はパプチ地区、指導係にウンブラを付けます」
「いきなり、パプチですか……」
レオナルドは表情を崩さない。しかし、心情は複雑だった。パプチはアクアと小競り合いをしており、その国内も1枚岩には程遠く、混迷を極めていた。新人が初仕事で行くようなところではない。
「パプチに行き、我が国は誰をリーダーとして相手にすれば良いのかを見極めなさい。今はカンサス家の当主を窓口にしていますが、信頼できる相手とはとても言えません」
「私より経験がある方が良いのではないですか?」
「もう一つ、私の個人的な願いもあるのです。それはお前に頼みたいと思っています」
王妃は躊躇いがちに口を開く。
「子供を1人探してもらいたいのです」
「子供ですか?」
「はい。カンサス家の現当主には正妻の子供がいましたが、行方不明になっています。その子を探して欲しい」
「どういう関係かお伺いしてもいいですか?」
「その正妻は私の古い友人です。できれば、その子供を保護したいと思っています」
「保護ですか?」
「そうです。友は命を奪われ、この世にはもういません。病死と伝えられていますが、不審な点が多いのです。その子供も安全ではありません。生家に見つかれば、命はないでしょう」
「正妻の子供ならぼ、正当な継承者ですよね?守られるべき存在なのに、ですか?」
「残念ながら、その通りです。だから、カンサス家は信用ができないのです」
レオナルドはありったけのパプチの情報を掻き集める。しかし、その国については情報は少ない。国と言いながらも、多民族であり、それぞれの自治区が寄せ集まってできている。ヴィサス族を失ってからは、統制が取れなくなり、それぞれが活動し、情報も入って来なくなった。
(俺にはそもそも選択権はない。任務を果たすだけだ)
レオナルドは心の中で頷いた。自分がこれから歩む道はこういう道なのだろう。自分で仕事を選ぶものではない。
「王妃の勅命をお受けいたします」
レオナルドは頭を下げる。
「お前なら、きっとやり遂げてくれると信じていますよ」
「ありがとうございます」
「ウンブラは癖がある男ですが、力がある男でもあります。きっとお前に多くの学びを与えてくれるでしょう」
「どんな方ですか?」
「滅多にコンビは組まない男ですね。単独行動が多いです。気に入らなければ、平気で追い返します。しかし、お前なら付いて行けるのではないかと思います」
「追い返すですか?」
「そうです。多くの諜報員が本部に送還されました。実に面倒な男ですね。しかし、彼でなければパプチには入れないでしょう。そして、彼だけでも、今回は任務は果たせません。仲間が必要でしょう」
(パプチだけでなく、指導係も面倒とは……)
レオナルドは表情を崩さずに保つことが厳しくなってきた。何事も初めてなのに、面倒の度合いが酷い気がした。
王妃はレオナルドの内面の苦悩を感じ取っていた。上には立つ者としてハッキリとは言えないが、この任務をこなせる者は、レオナルドしかいないのだ。この甥っ子のバランス感覚は特筆すべきものであり、全ての評価項目でもSレベルを取っている。
「ウンブラの扱いに困ったら、甘い食べ物を与えると良いでしょう」
「甘いものですか?」
「はい。覚えておきなさい」
フィリアは冷めた紅茶を口に運ぶ。茶の渋みが増していた。少し表情を歪ませると、話を変える。
「ロナウドの様子はどう?」
レオナルドの双子の兄、もう1人の甥っ子だ。アクア国に奪われるところを寸前で食い止めが、多くの傷を負わされた。彼の体は癒えたが、心の傷はまだ残っている。
フィリアは叔母としての顔になっていた。身内が攻撃するされることは、別の痛みを与える。王妃の威厳を保つために、怒りを抑えるのは苦労した。
「だいぶ、自分の中で整理ができてきたみたいだよ。今は研究に没頭してるけど」
「そう……あの事件は多くのことを変えたわね」
諜報機関レイの在り方、外交政策、知識や才能の保護を目的とする法整備……。そして、レオナルドの人生さえ。
「レオ、この道に進んだことを後悔しない?今ならまだ戻れるわよ」
それは王妃ではなく、叔母の言葉だ。
「俺は、影でこの国を守ると決めたんだ。後悔はしないよ」
金髪碧眼の青年には迷いはなかった。
その微笑みはせつなくて美しかった。