5.レイの諜報員
スノウ国は山脈に囲まれ、鉱山と穀倉地帯を持つ、伝統を大切にする国である。その王都にある駐屯地に、レオナルド=ロイドはやって来ていた。今まさに
戦っている最中である。相手は、アーロン=アマネフ、スノウ軍の少佐である。
2人は相対して、剣を交えている。銃が主流になった昨今、剣術は紳士や兵士の嗜みになりつつある。しかし、全身を使うその動きは、戦う者にとっては良い練習にもなる。
「レオ、目で追ってるようでは遅い」
アーロンはレオナルドの攻撃を受け流しながら、余裕を見せている。それはそのはず、この男は軍の中でも屈指の剣の遣い手だった。
「アーロン閣下、もう、ずっと打ち合ってますが。いつまで続くのですか?」
かれこれ1時間は続けている。レオナルドの腕は、溜まった乳酸と手の痺れで限界だった。
「なに甘えたこと言ってる?ありがたいと思え、実戦なら数分で殺されてるところだぞ」
レオナルドは歯を食いしばった、その通りだった。アーロンにしてみれば、子供相手の対局だろう。有効な一撃など打てておらず、それどころか防御も十分にできているとは言い難かった。
「実戦ですか……確かにこれじゃ駄目ですね」
レオナルドは構えを変え、基本姿勢より低く構えた。アーロンは頭を傾げると、剣を打ち込む。相手の様子が変わったことで興味が湧いたらしい。受ける方から攻めに転じた。
レオナルドは剣を受けると、自分のギリギリの所まで引き寄せ、アーロンの脛を足蹴にした。アーロンは右足の痛み耐えながら踏みとどまり、瞬時に相手の急所に切り込んだ。レオナルドは間一髪でそれを交わすと、相手の懐に入り込み、肘で腰に打撃を与えた。
レオナルドの頬には僅かな切り傷が付いたが、攻撃としては悪くなかった。アーロンは後退を余儀なくされ、しかも、構えにも乱れが出ている。
「ほぉ、体技を混ぜるんだな?邪道だが、確かに実戦では綺麗な打ち合いなどないな」
「もう、そろそろ勘弁して下さい。明日朝には王宮に顔を出さなければならないので」
「まぁ、いいだろう」
潔く剣を収めた。
もう少し続けたかったが、明日というキーワードが出れば仕方がない。この教え子の研修は今日で終わりだ。
「お気に入りがいなくなると、後がキツイんですよねぇ」
それまで2人の練習を見ていた、コロン准尉は不満げに声をかけた。
「1時間も付き合わされるなんて、地獄だよ」
それは心の声だった。1時間もこの上司と打ち合っているこの男は化け物ではないかと思う。屈強な兵士でも根を上げている。それも、さっきはクタクタのはずなのに、体技まで持ち出してダメージを与えた。
(閣下は体を痛めたのに、異様に嬉しそうじゃないか……)
今後これの相手をするのが自分だと思うと、コロンはゲンナリした。
諜報機関レイは、新人諜報員を軍に半年預ける。新人は大抵、お話にならないレベルだが、この男は筋が良かった。身体能力が高いのは勿論だが、頭がかなりいい。身につける速度さが尋常ではなかった。
アーロンはこの男をたいそう気に入り、直々に指導することにした。普通にはない対応だった。その分、自分達のようなアーロンの配下の負担が激減した。ここ半年は、それぞれが自分の任務だけに専念できた。
「暫くお前に構ってやれなかったからな?明日から楽しみにしていろ」
アーロンの真っ直ぐに向いた部下への想いに、コロンは曖昧な表情を浮かべた。
(うわぁ~キッイわぁ……)
「レオナルド、私の配下に入らないか?」
「有難いお誘いに痛みいります。しかし、私は闇の敵と戦いたいのです」
「そうだったな……お前の兄のこともあったな」
「はい、闇に紛れた奴らは姿を変え、気づかれないように入り込み、この国と国民に害を及ぼします。兄のことで私はそれを思い知りました」
「ロナウドはその後どうだ?」
「……やっと、少しずつ前に進んでいます。トン教授のおかげです。ありがとうございます」
レオナルドの兄、ロナウド=ロイドは1年前にアクア国の闇組織から攻撃を受けた。スノウ国の頭脳と言われた、その天才が隣国に奪われそうになった事件である。
ロナウドはこの一件で、身体と共に精神的にかなりのダメージを受けた。一時期は死んでしまうのではないかと気を揉んだ。それを支えてくれているのが、恩師のトン=アマネフ教授だ。
「伯父にとっては、ロナウドは愛弟子だからな、思い入れはかなりあるのだろう。時間が解決してくれることもあるだろう」
「そう願っています」
この兄の事件は、レオナルドの人生にも大きな影響を与えた。スノウ大学卒業後の進路を決める時期だった。大学に残るか、官職に進むか、あの事件がなければ悩んでいたかもしれない。しかし、皮肉にも、兄のことで進む道が目の前にハッキリと現れた。
「お前は兄のために生きるのではないな?」
アーロンは愛弟子に優しい視線を向けている。レイに従事するということは、普通の幸せにありつけない可能性が高い。この若者は自分の幸せを傍に置かないか心配だった。
「もちろんですよ。アーロン様が国防に命をかけているように、私もこの国を守りたいんです」
フッ
アーロンは軽くため息をついた。
「お前の満点の答えが聞けなくなると思うと、寂しいな」
コロンはアーロンと目が合うと、ニコリと笑った。
(あー、明日から俺が相手するんかぁ……)
笑顔と裏腹に、コロンは冷や汗をかいていた。