22.住処がない民
ヌーア族は家を持たない民である。闇の言葉を持つ民と蔑まれ、何処に行っても忌み嫌われ、各地を転々としている。彼らに就ける仕事はほとんどなく、呪いや祈祷、占いを生業としていた。
その民族の中には、強い言霊の力を持って生まれる者がいる。闇の言葉を話し、人々を穢れた世界に貶めることができる。それは底知れぬ恐怖を与え、その命はパンよりも軽く扱われた。
彼らがそういう民族だから嫌われるのか、周りが彼らを追い詰めた結果、そういう存在にならざるおえなかったのか。それはどちらも正しいようにも思える。
強い言霊の力を持つ子供は隠されて育つ。力の制御がまだ未熟なのもあるが、奴隷として高く売られるからだ。子供のうちに服従と恐怖を植え付けられ、自らの意思を持たず、主人の言うことを忠実にきく下僕にされる。
強力な言霊の力を持つ子供達は、真っ黒な瞳をしている。角膜の側はなく、その瞳は漆黒の黒一色である。白目の部分が少ない瞳は大きく、見る者に奇妙な印象を与えた。
「その子供をこっちによこせ!穢多!」
名前すら呼ばれずに、蔑んだ呼び名で呼ばれた。カカルは鋭い目つきで相手を睨む。その背後には幼い子供を隠くしている。
「ジジイ!なめんじゃないよ!この街では人買いは御法度のはずだ!!」
真っ黒な髪を振り乱し捲し立てる、茶色の瞳は相手を見据え少しの隙も見せない。その右手に刃物を持ち、相手を威嚇する。その扱いも慣れたものだ。
「お前ら!この穢多にわからせてやれ!」
小太りのオヤジの後ろから若い男が2人出てきた。ニタニタしながらカカルに近づく。カカルは刃物を前に押し出し、後ろの子供を体全体で隠す。
「生まれが生まれじゃなきゃ、いいツラしてるのになぁ」
1人の男が軽く足蹴りをしてきた。咄嗟に左手で払おうとするが、そこは大きな力差があり、グキッと女の手首に鈍い音が響く。
「クッ……」
その痛みに表情は歪むが、頭は冷静にその隙を見切っていた。感覚のない左手で男の蹴り足の軌道を僅かに外し、男のもう片方の足の膝を思い切り蹴った。
全体重を支えていた男の片足はバランスを大きく崩し、体がふらついた。カカルは更に蹴りを入れる。力の差はあるが、関節を狙い、力のかけ方を熟知する女は男に尻もちをつかせた。
「おい!お前!!」
もう1人の男が腰から拳銃を抜き、女に向けて構えた。
「チッ」
カカルは顔を歪めると大きな舌打ちをした。分が悪すぎる。自分1人なら難なく避けれるが、後ろには子供がいる。自分が盾にならなければ、後ろの子供は命を落とすだろう。
尻もちをついた男は面白そうに笑っている。形勢逆転、女だと思って手加減していたが、本気を出せばこんなものだ。小賢しい女に向かって唾を吐いた。
「おい、いい加減にしろ」
銃を向ける男は、その男に呆れる。女相手にしてやられたというのに、恥じるどころかイキっている。同じ男として救いようの無さを感じていた。
「早くやれよ!!」
尻もちをついた男はゆっくりと立ち上がり、仲間の男に命令する。彼らにはこの女の命など取るに足りない。後ろにいる子供さえ手に入れば良かった。
「———おっかぁ……」
後ろの子供は震えながら、小さく呟いた。この男達に目の前で殺された母親を思い出した。また、母親と同じように、この女の人も自分のために死んでしまう。それはその子供には大きな負担であった。
なぜ自分は隠されなければならないのか。どうして、悪い人達は自分を欲しがるのか。幼い頭で考えられることは少なく、ただ恐怖と怒りで涙が出た。黒い涙だ。
「———おっかぁ……をかえせ」
子供の小さな声がカカルの耳に入った。嫌な予感がする。
「———お前らなんて…消えればいい……」
子供はしゃくりあげながら、言葉を紡ぐ。それが単なる言葉などではない。子供の口からは黒い闇が吐き出されている。
「坊主!やめろ!大丈夫だ!私が守ってやるから!!」
カカルは後ろの子供に声をかける。男達に対時しながら、感覚のない左手で子供に触れようとした。
バチッ!
軽く電気が走った。痛みに左手が僅かに震える。よりにもよって、今、覚醒することがあるだろうか。それも、悪い方へと……。
「おい!その子供ヤバいぞ!呪いの子供の方だ!」
小太りの男は恐怖に顔を歪めた。
ユーア族には、強い言霊の力を持つ子供が生まれる。忠実にその力で主人の願いを叶えると信じられていた。しかし、その中には呪いの子と言われる子供も混ざっている。周りに禍を撒き散らかし、最悪の存在と言われている。
しかし、その真実は心を壊された子供の末路であった。力が強い子供であればあるほど、心根が優しく、その絶望も大きく振れた。
「子供はもういい!早く2人とも始末しろ!!」
あれほど欲しかった子供は、一瞬にして厄介な存在になった。子供を奪うために別の命が奪われたというのに。
2人の男が拳銃を構え、安全装置を外した。引き金を引き、急いで発砲する。
パン!パン!パン!!
ここまでか、カカルは後ろを振り返り、子供を庇った。子供の顔も目に入った。真っ黒な涙を流し、口から何かを呟いている。それは黒いモヤになり、地面を這って、カカル達を攻撃する者に向かって行く。
撃たれると身構えたが、音はするが体に衝撃はない。恐る恐るカカルは男達の方を見た……。
黒いモヤの様なものが広がり、拳銃から発せられるものを飲み込んでいた……。
この女と子供、男3人のやり取りを見物していた街の者達は、その場から逃げ始めた。黒い闇が禍の元であることを本能的に感じたからだ。それに触れれば、闇に呑まれる。
「坊主、大丈夫だから落ち着け。私と逃げよう」
カカルは子供に優しく話しかける。子供は震えながら頭を振った。
全ての弾を撃ち尽くしたが、標的を射抜くことはできず。目の前の闇は大きくなるばかり、男達は徐々に後退し始めた。しかし、その闇は逃れることは許さない。彼らの影を地面に縛り、動きを封じた。
カカルは男達を恨んだ。この子供をそっとしておいてくれれば、こんなことにはなっていない。このままでは、この子は異端として軍に囚われ、殺されてしまう……。
「子供よ、この場は私に預けよ」
突然、カカルの頭上から男の声が降ってきた。
ビクッ!
その驚きはカカルの驚きであり、子供の驚きでもあった。見上げると、穏やかに微笑む男が自分達を見下ろしている。
(いつの間に!気配が全くしなかった!!)
子供も驚いたようで、小さな声をあげた。
その闇は男の方にも向かうが、軽く手で祓われて消えた。
(……消えた……!?)
「私はウルティマーテ。お前達の命は保証しよう。約束だ」
黒い髪と深緑の瞳。
ヴィサスの民だとすぐにわかった。
ウルティマーテは優しく子供の口に手を触れた。そして、その頬を優しくなぞる。
「そうか……母を亡くしたか……それは申し訳ないことをした」
(どうして、あんたが謝るの?)
子供は不思議な気持ちになった。この男が口に触れると、とても温かかった。その温もりは心臓に届き、冷たく砕けそうだった心が緩んでいく。
初めて会った人だが、なぜか安心できた。
「女、よくここまで耐えたな。礼を言う」
(なぜ、あなたが礼を言うのか?)
自分達とは関わりがない人である。
「ここを収めたら、お前達の安全を確保する。約束だ」
ウルティマーテは真剣な目で2人を見つめると、男達の方へと歩み出た。
「人買いは御法度だ、覚悟はできているな?」
子供の発していた闇は勢いをなくし、男達の拘束は解かれていた。男達はウルティマーテの白い制服に目を見張る。
インフィニタ軍、軍人だ。
「閣下!その子供は呪いの子です!!捕らえて殺さなければ、禍が広がります!!」
小太りの男は哀願した。まるで、被害者のように……。
「そうか?」
「そうですよ!ご覧になったでしょ!あのドス黒い闇を!」
さっき尻もちをついた男が声をあげた。軍人ならば、こちら側の人間だ。穢多の味方などするはずがない。
「そうだな。アレは闇の力だ。かなり強い」
ウルティマーテはゆっくりと男達に近づく。
「我々はあの子供に殺されかけたのですよ!!」
小太りの男は子供を睨め付けた。
「あの者の母親を殺したからではないか?」
ゴクリ
男達は息を飲み込んだ。
(どうして、それを知っているのか……)
3人の男は顔を見合わせた。
「たかが、穢多の命だろ……」
ぽつり、と尻もちをついた男が漏らした。それは当たり前に言われている言葉だ。
「そうか……」
パシッ!!
尻もちをついた男は、ウルティマーテに顔を叩かれた。軽く叩かれただけだが、その力は強く、もう一度尻もちをつくことになった。
ドタッ!!
「痛い!何するんだ!!」
その男はカッとなり、怒りで立ち上がると、ウルティマーテに殴りかかった。相手は軍人だが、衝動を抑えられるほど男は賢くなかった。
「主力に何をするか!」
その声の主も、こちらに気配なく近づいていた。男達の背後に2人の男が立っている。白い制服を着ていることから、インフィニタ軍の者だとわかる。
ふわり
一瞬、風が舞った。そして、次の瞬間には耳障りが悪い音が聞こえた。
ザクリ!
同じく軍人であり、瞬時に舞い降り移動すると、尻もち男を簡単に切り捨てた。それはあまりに早く、鮮やか過ぎる太刀筋だった。
「うわぁ!」
小太りの男は恐怖に顔を歪ませた。
インフィニタ軍には7人の将軍がいる。彼らは主力と呼ばれ、各地を治めている。滅多に会えない雲の上の人達だ。
その主力であるならば、切り捨てられても文句は言えない……。
「ブキャナン、簡単に切るな」
ウルティマーテは部下を戒める。
「致命傷にはしていません。あなた様こそ、御身を考えてくださいませ!」
やれやれ、と苦笑いする。
ブキャナンは優秀な男であるが、主力の身を守るためなら躊躇いなく動く。
「キャラハン、この男達をお前に任せてもいいか?」
この2人の軍人は、ウルティマーテの側近。ブキャナンは弟のような存在、キャラハンは年長者であり、師でもあった。
「お任せを。人買いの組織について吐くまで容赦しません」
それは静かな声だが。重い意味がある。
「あーあ、ご愁傷様!キャラハンはねちっこいよ」
ブキャナンは小太りの男に冷笑を浮かべた。
「……軍の方は、こんなことには目くじらを立てなかったはずです」
小太りの男は控えめに抗議する。軍は国民を守る存在であったはずだ。
「余計なことは言わない方がいいです」
小太りの手下、尻もち男でない方が口を開いた。
「しかし……我々は守られるべき国民だぞ」
「主人……あの方は多分、ヴィサスの0番の主力です」
小太りはその意味を理解できずにいた。主力に番号があるのだろうか?そもそも、0番なんて、ない番号ということでは?
「男よ、お前は何か勘違いしている」
ウルティマーテの表情は厳しく、その瞳は怒りに満ちていた。
「確かにお前達は守るべき国民だが—————」
その指は後方の子供と女を指差した。
「—————あの者達も、あの者達の家族も、守るべき国民であることに変わりはない」
その言葉を聞いていたカカルは、己の耳を疑った。
(自分達が守られるべき国民だと?)
男の背中はとても大きく見えた。風に靡く長い黒髪は美しく、その深緑の瞳は知性の高さを感じさせた。腰には輝く刀が佩刀されている。
よくよく見ると、その制服は他の2人とは違うものであった。立ち襟には「青い鳥」の紋章が刺繍されている。
ヴィサス族のゼロ番の主力。
ウルティマーテ
彼とカカルの繋がりは、ここから始まった。




