19.良心の呵責
ラカス区ディセプティオを発ち、ダーネコという街にやってきた。ドゥーリ区との境の町である。貧しい街である、治安はそれ故に良くない。
「アメリ様をこんな街に滞在させるつもりか?」
プロディ家の護衛の若い方は、信じられないと声を荒げる。古株の方は呆れ果てている。ただ、レオナルドを睨め付けた。
「ここはラウダが幼少時代を過ごした街らしい。彼のことを知るには滞在は必要だろう?姫の希望だと聞いているが?」
男達はグッと言葉を飲み込む。
「その通りです。ラウダを知らなければなりません」
アメリは寂しそうに頷いた。
レオナルドは頼めば大抵のことは叶えてくれる。毎日会いに来てと言えば、その通りに来てくれる。側にいて欲しいと言えばいてくれる。しかし、それ以上はない。その先には見えない壁がある。
「彼はここで商売を覚えたようですよ?下働きをしながら、他国の言葉を覚えたようです」
身なりの悪い庶民が行き交う。独特な香りがした。アメリは僅かに顔を歪める。酷い匂いだ……。
(こんなところで暮らしていたなんて……)
思わず身を縮めた。
バタン!!
幼い子が目の前で大きく転んだ。それに思わず身を引いた。髪の毛はベトベトしていて、埃まみれで顔も汚く、とても手を差し伸べる勇気はない。
「大丈夫?」
レオナルドは、スーッと前に出ると、子供に手を差し伸べた。子供はその手を取ると、ゆっくりと立ち上がる。ふらりとよろけて、レオナルドに抱きついた。白い軍服は泥で汚れた。
「ごめんなさい!!」
「いいんだ。気にするな」
レオナルドは子供の服を軽く叩いてやる。
「ありがとうございます」
礼儀正しくお辞儀をする子供にレオナルドは破顔した。
「この辺りは人通りが多いから気をつけて」
もう一度頭を下げると、痩せ細った少年は早々に立ち去る。
ガシッ
レオナルドは少年の手を掴んだ。アメリは予想外の動きに目を見張った。
「今、俺からスッた物は?」
「……あっ……あの…」
少年はブルブルと震える。
「盗みは子供でも手を切られるぞ」
その言葉に、震える手で財布を出した。
「ごめんなさい!ごめんなさい!」
レオナルドは財布を受け取ると、口を開け、コインを取り出す。
「家族は?」
「妹だけ」
「親は?」
「戦争で死んだ」
少年の真っ黒な手にコインを握らせる。少年はレオナルドをマジマジと見つめた。
「助けてやれなくて悪いな」
戸惑いながら少年は頷く。
「子供だけなら稼げないよな……しかし、これは危ないぞ。気をつけるんだ」
少年はコインを握りしめると、走り去った。
「偽善的行為だな」
護衛の若い方が嘲笑を浮かべた。アメリは何とも言えないという顔をしている。どう反応したらいいのか困っていた。
「確かにそうだな、偽善だ。1日分の食べ物しか買えないだろう。しかし、今日は生き残れる」
汚れた制服を払うこともせず、立ち上がると振り返った。
「今日を生きることで精一杯の人達がここにはいる。さっきの少年は、ラウダそのものだ。彼はここでその日その日を懸命に生きた」
アメリは顔を硬らせた。
(あんなコイン一枚で1日の食事ですって……)
1人分のお茶菓子さえ買えない額だ。自分達にしてみたら、はした金である。ラウダはコンサス家の子供なのに、こんなところで食うのにも困る生活をしていたとは……。
「ルシート!お嬢様が知る必要がないことだろ!昔の話なんて!!」
レオナルドは男を睨みつける。
「ラウダの妻になるなら、知らなくてはならないことだろう?それもわからずに心を掴めると思うか?」
ラウダの妻という言葉に、アメリの心が軋んだ。目の前の男の口からは聞きたくない言葉だ。
「ラウダさんは苦労されたのですね……」
そう吐き出すのがやっとだった。彼にそんな生活をさせたのは、伯母のグアバであり、プロディ家であるとわかっている。酷く責められているような気がした。
「俺はあなたの護衛です。どこに行き、何を見たいですか?」
アメリは唇を噛み締めた。周りに目を向けると、ここが異世界ではないかと思えてくる。全く知らない世界だ。正直恐ろしい、綺麗で安全な場所で生きてきた。こんなに殺伐とした場所は居心地が悪い……。
「プロディ家は、彼に何をしたの?彼はここからどうやって宰相になったのかしら?ここで暮らす人達はどんな人達なのかしら?」
何かを言おうとする護衛を静止する。さらに言葉を続けた。
「主家は何をしているの?どうして、ここで暮らす人達はこんなにも貧しいのかしら?」
最後の方は声が震えた。
主家はこの国を守っていると聞いていた。主家があるから、人々は幸せに暮らせるのだと。しかし、目の前に広がる光景は聞いてたものとは違う。
「承りました。アメリ様、私が出来る限りお伝えしましょう」
レオナルドは膝をつくとアメリと視線を合わせた。
(この子は愚かではない。賢い子だ)
優しく微笑んだ。それは切なくも美しく優しい。
アメリはせつなく見つめ返した。ルシートが自分に向けるモノは、愛する女性に向ける想いとは違う種類のものだとわかっている。しかし、自分に向けられる視線が嬉しかった。
2人の護衛達は気まずそうな顔をしている。
彼らは屋敷の外の世界を嫌というほど知っている。
それを姫に見せることは残酷に思えた。




