18.姫と騎士
遠く離れた土地で熱を出し、寝込んでいる。周りは慌ただしく動いているが、アメリには人ゴトのように感じた。
定期的に砂糖水を飲まされ、全身を冷やされる。チェリの用意してくれた侍女は優秀であり、対応も丁寧で優しかった。
それでも、何か満たされない気持ちがある。
ふと目に浮かぶのは、美しい金髪と碧い瞳、優しい笑顔と柔らかな物腰。そして、何よりも自分の変化に自分以上に気付いてくれた。何の躊躇もなく自分を抱き上げ、この場所へと運んだ人。その抱かれた体の一部が時々うずいた。
「あの人は来ないのかしら?」
昨日も一昨日も同じ質問を投げかける。その度に、問われた侍女達は困ったように笑う。
「お体が回復されれば、毎日でも会えるでしょう。なにせ、アメリ様の護衛を務めるのですから」
それは何度も聞いている。自分が聞きたいのは、先の話ではない。今の話をしているのだ。
あの方はどうして私に会いに来ないのかしら?
アメリは箱入り娘ではあるが、普通に社交の場に顔を出していた。両家の子女と交流をはかるのも淑女の嗜みというものだから。儚げで美しいアメリは、多くの男性の心を捉えた。
自然と男性を呼び寄せるその愛らしさ、彼女は無意識に選ぶ側の立場に慣れきっていた。環境とは残酷なもので、恵まれた場では学びを得られないこともある。
彼女はまだ選ばれる立場を味わったことがなかった。
もちろん、頭では理解しているつもりだろうが。知っているのと体験したのでは、大きく違うのかもしれない。
「私を心配されていたのに……」
自分が眠っている時に来られたかと問うが、あれから一度も顔を見せていないという。何となくモヤモヤした。
あんなに情熱的に行動した男が、それきり顔を出さないものだろうか?
「サファイア様がいらっしゃいましたよ」
声をかけられ顔を上げると、いそいそと部屋に入ってくる伯母と目が合った。
「アメリ!熱も下がったらしいわね!良かった!!御免なさい、商団に戻らなくてはならなくなったの。アクアとの取引が手間取ってるのよ……」
アメリはポカンとして聞く。自分に関係する話だと思うが、実際に何がどうなるのかがハッキリとしない。
「数日したら、チェリの側近とここを発って、ラウダと合流することになってるわ。プロディ家の護衛も2人付き添うから心配しなくても大丈夫よ」
チェリの側近という言葉に、アメリの心が僅かに動いた。不思議と伯母がいなくなることには不安は感じない。
「伯母様……旅に出る前に……ルシートという人と話をしたいわ。お礼も言いたいのです」
てっきり泣きつかれると思っていたが、アッサリと受け入れられ、サファイアは少し物足りなさを感じた。それと共に、チェリの側近に興味を示す姪に不安を感じる。
「……そうね、お礼ね……」
高嶺の花と言わしめた姫、求められても自らは求めたりはしない。それが変わりつつある。いつもでないことが伯母の不安感を掻き立てる。
ルシートというあの男は、スノウ国の男だろう。傭兵と説明を受けたが、何とも怪しい。あの美しさと知性を感じさせる色男、なおかつ危なげな空気も持っている。世間知らずの姫の心を掴むことなど、赤子の首を捻るようなものだ。
「アメリ、お前が向き合う相手は、ラウダなのよ。それだけは忘れてはダメ」
そんな警告にも、当の姫は頭を傾げるのみ。本人もまだ無意識なのだろう。本来の目的を見失っている。
サファイアは軽くこめかみに手を当てると、気を取り直す。
「明日、ルシートをここに来させるようにするわ。あなたも体調を整えて、旅に出られるようにしなさい」
「はい、伯母様」
アメリはニッコリと微笑む。
明日には会えると思うと、心が大きく鼓動した。
どんなお茶でもてなそう、お茶菓子は何がいいかしら、そんなことが次から次へと浮かんでくる。そして、ボサボサの髪は気になるし、明日に着る洋服も並べて選びたい。元々はラウダとのために用意したものだが、特に気にすることでもないだろう。
(余計なことをしてくれたわね、チェリ……)
サファイアは苦々しい思いで姪の姿を見守った。
あの主力は、ラウダがアメリと結婚し、コンサス家の権威が盤石になることを快く思ってないのだろう。
しかし、純粋な少女を見ていると心が痛まないわけではない。敵と結婚するよりも恋しい人と一緒になれた方が幸せに決まっている。
(……それに、あの男は掘り出し物かもしれない)
ルシートという男はスノウ国に帰れば、そこそこの身分の者かもしれない。商団の情報網で調べたが、全く掴めなかった。むしろ、アクセスすること自体が危険であった。
(王族に近いものかもしれない……あくまで憶測に過ぎないけど)
もし、掘り出し物ならば、こちらにとっても利になる。コンサス家より、スノウ国の方が商団にとっては魅力的だ。カランは反対するだろうが、自分は味方になってやってもいいかもしれない。
「アメリ、あなたの人生よ。しっかりね」
伯母の言葉の真意がわからないのか、アメリは不安げに頷くだけだ。
サファイアは侍女にアメリのことを頼むと、部屋を後にした。もちろん、定期的に情報が自分に届く手配は済ませている。
「ルシート様をお迎えする準備をしっかりお願いしますね」
去った伯母への哀愁は全くなく。アメリの意識は明日に向いていた。
ルシートの目に映る自分の姿は、美しくなくてはならない。
アメリは侍女に髪に使う香油や化粧の指示をする。洋服も何パターンか選ばせた。ルシートを知る者を呼び寄せ、その好みも聞く。
侍女の1人はアメリの身の回りの世話をしながら、少々、可哀想に思った。チェリからは「不自由がないように世話を」と言われいる。希望があるなら叶えてやれ、とも。
このお姫様はルシートに一目惚れしたのだろう。
しかし、まだまだ子供だ。ルシートが本気で相手になどするはずがない。それもわからないくらい、このお姫様はウブで盲目的だ。
ルシートはアメリを労わり、紳士的に接するだろう。ある意味、それは残酷である。冷たくする方がよっぽど優しい。下手な期待を抱かせるのは罪だ。
もちろん。
これらは全てチェリの描いたシナリオなのだが。




