16.上官と部下
【チェリ】
ラカス地区の4番の主力。主家ブスクラ家の出身ではなく、庶民の出。ルシートこと、レオナルドを従える。
【グリア】
チェリの1番の側近。幼い頃から共に育った仲。
【カラン=プロディ】
エクセンの愛称、グアバの腹違いの弟。エクセンの側近でもある。アメリはカランの長女にあたる。
【サファイア】
カランの実の姉。ドゥーリ区の主家、ミルスキ家の血筋の大商人と結婚し、商団を自らも率いている。
「結構好き勝手に暴れてくれたみたいだな」
後ろで束ねた灰色の長い髪はしっとりと濡れている。サッパリとした顔をしているのは、入浴中に急な来客があったからだ。合わせ着物の胸を大きく開け、足を組みながら椅子に座る男。紫色の瞳は興味深そうにレオナルドを見つめている。
「チェリ様、ご指示通りにガンジスの宰相に接触しました。その過程でいくつかのゴタゴタに巻き込まれましたが。そつなく処理いたしました」
レオナルドは真っ直ぐに向き合い、主人に答えた。
チェリはさらに興味深そうに微笑む。情報の量と質と新しさ、それがラカス族の力の物差しである。レオナルドの動きなど報告を受けなくても把握している。ヘルメースとやり合ったことも既に報告を受けていた。
グリアは2人を見守りながら、チェリがこの男に執心することに疑問を抱いていた。小回りが効くとは思うが、あえて側に置くほどでもないと思っていたからだ。
「ヘルメースを牽制したようだな?奴を退けたのは評価するが、例の宰相はどうだ?私が力を貸してやる価値はあると思うか?エクセンを凌ぐほどの者であったか?」
瞳の紫色がだんだんと濃くなっていく。それはレオナルドの心の奥底を覗き込むかのようだ。適当にはぐらかすことは許さない。
「もう少し時間を頂いても宜しいでしょうか?まだ判断する時期ではないのです」
「いつまでだ?」
「宰相を呼び出し、諮問する、主力会議には答えが出ると思います」
フッ
チェリは軽い笑い声を上げるが、グリアの表情は強張った。諮問 兼 主力会議が行われることは先日決まったことだ。このことを知るのは、僅かな者しかいない。それを当たり前に話すこの男、独自の情報網を持っているとしか思えない。
(やはり、スノウ国の諜報員か……)
「そうか、ならば宰相の側にもうしばらく居るがいい。必ずや主力会議に連れて来い」
金髪の男の碧い瞳は、僅かに左右に振れた。チェリはその動きを見逃さない。この男に何らかの迷いがあるようだ。それを刺激してやってもいいが、特に利があることにも思えない。軽くため息をつくと、本題に移ることにした。
「お前にもう一つ任務を与えることにした」
グリアは苦笑いを浮かべた。
ろくでもない任務だ。そのろくでもない話をするために、部屋の外で待機する者達がいる。自分はその者達に対して、嫌悪感しか湧いてこない。
「何でしょうか?」
「アルデナまで1人の少女を同行させる。その者をお前達の旅に加えろ」
「何者です?何のために?」
「宰相の妻にしたい少女らしいが、宰相には聰らせるな。ただし、なるべく側においてやれ」
「誰の差金です?」
エクセンの息子であり、それもカステルマの大勝利の宰相ときたら、縁を結びたい者達は沢山出てくることは予想していたが。ここまで迅速で戦略的に来るとは思っていなかった。
「カラン=プロディの娘だ。カランの姉であるサファイアに頼み込まれた」
レオナルドは瞬時にそれぞれの相関図を頭の中に広げた。その中に自分の記憶している人物を当てはめ、即座にこの任務の厄介さに気づいた。
「エクセンの愛妾、グアバの姪ですか?」
「そうだ」
レオナルドは軽く頭を振った。いろんな意味で無理な話である。その娘とラウダが結婚できるはずがない。ラウダは女だ。いや、男だとしても許されるだろうか。そもそも、そんなことを考えるなんて……普通の倫理観がある者ならできない。
ラウダとその母を追い詰めたのは、グアバなのだ!
「悪縁が繋がるとは思えませんが? 」
「それは我らが感知することではない」
「しかし……」
敵を引き連れて歩くようなものだ。その旅はさらに気を張るものになるだろう。ラウダを守りつつ、その娘も守る。情報があちら側に渡らないように監視もしなければならない。
「同行させ、アルデナに送り届けろ。命令だ」
それは「はい」の答えしか用意されていないことを示唆している。そもそも選択肢は与えられていない。
2人を見守るグリアは表情は崩さないが、心中は穏やかではなかった。その冷やかな目はドアを見つめる。この先で待機している者達に反吐が出た。
情報を操る民族、ラカスは表に出ない情報も持っている。エクセンの妻は病で亡くなったとされているが、実際には暗殺された。
カラン=プロディは、エクセンの正妻を殺した男である。つまり、宰相の母を殺した男。宰相は敵の娘と結婚させられようとしている。
(正気の沙汰ではない……チェリ様は何を考えているのか……そういうことを最も嫌う方なのに……)
長年連れ添った仲だが、時々、理解に苦しむ行動をする。しかし、それには彼なりの考えがあることだったりもする。
「かしこまりました。アルデナまで送り届けます」
静かな声が部屋に響く。その声の主は姿勢良くその場に立ち、そして、次の言葉を抑揚も付けずに吐いた。
「その者達の希望に添えるかはお約束できませんが」
チェリはそれには何も答えず。ただ、破顔した。そして、グリアに向けて軽く手を振った。
ガチャ
その合図と共に、数人の男女が部屋に招き入れられた。その者達がチェリの前に進み出たため、レオナルドはチェリの右手に立った。
「待たせたな、サファイア。お前の望み通りに整えた」
「ありがとうございます。チェリ様。これで安心して私はドゥーリ区に戻れます」
頭を垂れるサファイアにチェリは頷いた。
「この者は私の部下、ルシートだ。姫君を護衛させる。安心しろ」
「ルシートと申します。姫をアルデナまで無事にご案内いたします」
レオナルドはサファイアに軽く会釈をすると、傍の少女に目を向けた。
まだ幼さが残る貧弱な少女だった。大切に屋敷に囲まれて育ったのだろう。日光を避けた肌は真っ白で、人形のような黒髪は幼い頃から潤沢に香油を与えられている。立ち姿は凛としていて品がある。その漂う空気は、教養も与えられていることをうかがわせた。
「姪のアメリです。くれぐれもお願いしますよ」
レオナルドは愛想笑いを浮かべると、アメリに視線を向けた。目が合うとアメリの頬は一瞬にして紅潮した。
「アメリ様、何か不便に思うことがあれば、何でも私に申し付けください」
その穏やかな声と品のある物腰は、世間知らずの少女の心を揺さぶるには十分だった。金髪碧眼とその整った容姿は、おとぎ話の王子様そのもの。
程よく付いた筋肉と体幹は軍服を上品に着こなし、教養と品格を滲ませる身のこなしは大変好ましい。アルデナ族の男とは明らかに違う。スノウ国の曽祖父を思い起こさせた。
(なんて美しい方なのかしら……)
アメリの心は爆発するかと思えるほど、大きく早く稼働を打ち始めた。ルシートと紹介された武官は、一瞬にして姫の心を鷲掴みにしたのだ。
「あっ……ありが……とうございます……アメリと……申します……」
そう言葉を吐き出すのが、やっとだった。体は熱くなり、ルシートに見つめられるほど冷静な判断は難しくなっていた。
「チェリ様、過分のご配慮を頂いたようで……」
姪の様子を確認すると、サファイアは責めるような視線をチェリ向けた。従者に美しさなど求めていない。
「大した配慮ではない。手が空いている腕が良い者をつけるだけだ」
「こちらから護衛を2人つけますので、そこまでして頂かなくても……下官の方で十分です」
遠慮がちに言ってはいるが、他の男に変えろと含ませる。他区の軍人と恋をして駆け落ちでもされたらたまったものではない。
「私の好意だ、素直に受け取れ」
穏やかだが、厳しい響きだった。賢いサファイアの口を閉じさせるには十分だ。黙って頭を下げざるおえない。
「体調が優れないようですが?」
レオナルドはごく自然にアメリに近づくと、彼女の目の前に片膝をついた。
フラリ、少女の体が大きく揺れた。瞬時にレオナルドは手を伸ばし、その体を支えた。それは熱を帯びている。
「サファイア様、アメリ様は水分を取られていましたか?」
「え?」
突然の質問にサファイアは言葉に詰まった。
(水分って……)
レオナルドはアメリを抱き抱えた。その動きの速さに周りは圧倒されて言葉が出ない。簡単に姫君の体に触れることはもとより、身に寄せるなど。
「アメリ様は熱中症になっているようです。部屋を用意させてください」
チェリはグリアに目配せする。それを受け、グリアも動き出した。
「チェリ様!どういうことです!」
サファイアは取り乱していた。家族でない男が許可もなく、姫の体に触れることは許されない。それを易々とやってのけられた。
それもそうだが。姪の体調が悪いことに同行者の誰も気付いていなかった。しかし、あの男は僅かな時間でわかったようだ。何者なのだろうか……。
「あの男は優秀だ。安心しろ」
「しかし!!」
「心配しなくても、あの男は貴方の可愛い姪に惚れることはない」
サファイアは呆気に取られ、口をパクパクさせた。この4番の主力は全てお見通しなのだ。胸の奥に苦々しいものが広がっていく。
(恐ろしくできる男だとは思っていたが、ここまでとは……)
「そこの2人の護衛も姫君の体調に気付いていなかったようだが?付けるのは勝手だが、邪魔にならないようにしろよ」
護衛の2人の表情が一気に険しくなった。片方は明らかに不快感を表している。チェリに対して敬う気持ちは持ち合わせていない男だ。
そんなことには気にも留めず、チェリは姫君を抱えて退席していくレオナルドを見送った。
(上出来だ。ルシート)
満足気に微笑み、口を大きく歪ませた。
さらにゴタゴタが始まります。




