15.異国の才を持つ男
ラカス地区の主家、ブスクラ家。
現当主ソラジの歳の離れた弟。
6番の主力、ヘルメース=ブスクラ。
ヘルメース=ブスクラは、通い慣れた獣道を歩いていた。物心がついた時にはこの地はラカス地区の管轄であったし、自分の領土という認識になっていた。
おとぎ話の悲劇の民族、インフィニタの知性と言われたヴィサス族、伝説が一人歩きし大げさに誇張され過ぎている。同じ人間でそんなに違いがあるのだろうか?まるで神であるかの言われようだ。
「ありえるはずがない」
思わず本音が溢れた。我らラカス族の賢さよりも超えるものなどあるはずがない。
ガチャリ
父が預かったという6番の刀の音が鳴る。ヴィサスの刀と言われるものだが、元々は特に決まりはなかったという。
チェリが4番の刀を受け継いでから、6番の刀が表に出てきた。
あの男に刀が渡ったのは想定外だった。4番はブスクラ家が代々受け継ぐことが常識だったし、そもそも庶民が手にできるものではなかった。アルデナのエクセンが口を挟むまでは……。
ひたすら登った獣道の上に目的地が見えてきた。ヘルメースは軽く息を整える。エクセンの息子、ヴィサスの生き残りがあの場所に気付いただろうか?
足元には少しずつ大理石が現れ始める。一面を高級な石で敷き詰めたこの場所、元神殿はヴィサスの知性の拠り所だったという。
で、あるならば。その情報はここに集約されていた筈だ。忌々しいことに、なんらかの仕掛けを作り外部に漏れないようにしている。ヴィサスしか開けることができないボックスがある。奥の一角だ、何かがある。
慣れた様子で崩れた箇所を避けながら、スムーズに階段を登っていく。目の前の障害を軽々と飛び越えた。元々は外部を隔てていたその門は崩れ去り、腰の高さほどの壁になっていた。着地した先は綺麗に掃き清められ、瓦礫はどかされていた。
(やっぱりだ…… )
石畳の奥のところに3人が立っている。ヘルメースは口元を歪ませた。
(護衛がついてきたか……ここで始末はできないか…… )
手前の男には見覚えがある。背の高い、金髪碧眼の男、簡易だが軍の制服を着ている。凛とした立ち姿、その姿勢からは隙は感じられない、なかなかの手練れだとわかる。美しさは姿勢や体幹に止まらず、涼しげな整った顔がこちらを見ている。
その眩しさは、自分の中の劣等感を刺激する。
傍にはローブを被った2人。その風貌、体つきを観察する。背の高い男と自分と同じくらいの背丈の少年。しかし、両者とも顔を確認することはできない。
(あの2人、どっちがエクセンの息子だ? )
ヘルメースは歩く速度を速めた。あの者達がこの神殿の秘密を手にしたのかを知りたいが。それよりも、エクセンの息子を拝みたい気持ちの方が優っている。初めて見るヴィサスの血筋を引く者、それは伝説通りの神々しさだろうか?
「お前、チェリ付きの男だな?ここで何している? 」
レオナルドはラウダを後ろに隠すと、ニッコリと微笑んだ。
「これはヘルメース様、お初にお目にかかります。私はルシートと申します。宜しくお願いします」
礼儀正しく挨拶をし、顔を上げると優雅な笑みを浮かべている。しかし、その裏には警戒心が潜んでいる。
(厄介な奴がやってきた…… )
ラウダの体調が優れない、ここに長くは留まりたくなかった。それに彼女の気持ちが定まらない今、この男に会わせ、0番の主力であると大々的に知らしめたくはない。選択肢の余地はあればあるほどいい。
「私のことを知っているのか……さすがだな?」
ヘルメースも笑顔で応える。
(ふん、チェリの犬め…… )
「ここは遊学の一環でやって来ました。私はまだこの地に来て間もないため、ラカスのことを学ばなければなりません」
「へぇ……それは殊勝なことだな……で、お連れはどなたかな? 」
「私の女と従者ですよ」
ラウダは思わずレオナルドの袖を掴んだ。
(何を急に言い出す!? )
レオナルドは振り返ると軽くウインクした。その眼差しは優しげで、ラウダの心は大きく鼓動した。
(なっ……何なんだよ! )
「それは是非お目にかかりたい。ローブを脱いで顔を拝見できないかな? 」
ヘルメースは涼しい顔をしながらも、主力としての力を誇示する。何気に宝刀グロリアをチラつかせた。
(主力に失礼をするなと言いたいのか…… )
レオナルドは後ろに振り返ると背の高い方に目配せした。男はゆっくりとローブを脱いだ。黒髪とエメラルドの瞳の男、白い肌が際立っており違和感を感じさせた。
(こいつ……ヴィサスじゃないな? )
ヘルメースはもう片方の小さい方に目をやる。本命はこっちだろうか?
「そちらも宜しいかな? 」
その言葉にレオナルドの表情は一変した。眉間に皺を寄せると不快感をあらわす。
「それは勘弁願いたい。これは私の女です」
レオナルドはラウダを引き寄せると抱きしめ、耳元で囁いた。
「……すまない…… 」
なにが?と問おうとすると、次の瞬間にラウダの額に柔らかな温かさが伝わった。レオナルドが額に口づけをしたのだ。ラウダは突然のことに体がビクリとした。
「これはこれは…… 」
ヘルメースは呆気にとられた。この男が目上の者の前でこんなに堂々とイチャつくキャラだとは思わなかった……。
その視線は鋭く、それは嫉妬に燃える男の目である。他の男には見せたくないということだろう……。
(いや……芝居かもしれない……あのチェリの従者だ…… )
「心配するな、お前の女に手など出さない。この辺りにアルデナの人間が入り込んだというのを聞いてね。その者ではないか確かめたいだけなのだ」
ヘルメースは一歩踏み出すと、レオナルドを威圧する。
(瞳さえ確認できればいい、深緑の瞳さえ)
レオナルドはラウダをグッと抱きしめると薄っすらと微笑んだ。
「お断りします。大変失礼ですが、これは私の命です」
「へぇ……私が信用できないというのか?それとも私に見られたら困る者なのかな?? 」
「そうですね。どちらともでしょうか? 」
レオナルドは真っ直ぐに見据える。
「初対面なのにハッキリ言うね?私は心が広いから気にしないけど? 」
「俺は記憶がいいんですよ。あらゆる場面を映像で記憶する」
「何が言いたい? 」
「ディセプティオでチェリ様が暗殺者に狙われました。たまたま俺も居合わせたんですけど——— 」
ヘルメースの口元が僅かに歪むのをレオナルドは見逃さない。
「————現場の二階のテラスにいらっしゃいましたよね?」
(なんだと…… )
「身分の低い者の格好をされていましたが。確かに貴方でした。何をされていたのです?とても助けに入るようには見えませんでしたけど?」
レオナルドは冷笑を浮かべる。大体は想像はついていた。見物をしていたのだろう、チェリがどう動き命を失うのかを。
人数、配置、戦略とも考え抜かれていた。チェリが民衆を巻き込まないことを良くわかっていて、あえてそこを利用していた。
ヘルメースはハッと気づいた。
(この男!あの市場で邪魔をした男か!あの恐ろしく先読みと瞬発力に優れていた男……あの時、完璧な計画だった。確実にチェリを殺れたはずだった……この男さえいなかったら! )
あの時は小汚い金髪の男だった。ヘルメースは右腕を僅かに庇う。
「記憶にない、君の思い過ごしではないか? 」
「……そうですね…そんなことはないですね……失礼しました。あんな賊と間違えるなんて」
そして、さらに言葉を続ける。
「賊の頭らしき男に俺は剣を投げたんですよ。そうしたら、その者の右腕に突き刺さった。トドメをさせないのは俺の甘いとこです」
ヘルメースの額にじっとりと汗が滲む。右手は刀に添えられている。一か八かか、しかし、勝算は低そうだ。
「まっ、尋問はここまでにしてくださいよ?ヘルメース様、俺の女はもう限界ですから」
よっこらしょ、とレオナルドはラウダを抱え上げた。ラウダは軽く抵抗するが、レオナルドの力はそれよりも強かった。ガッチリとラウダを抱き上げると、満面の愛想笑いを浮かべる。
「ここまでの地の悪さと暑さで体力を消耗したようです。愛する女を連れて帰ります。ご無礼をお許しください」
これ以上ぐだぐだ言ったらわかってるんだろうな?それは無言の圧力だった。
「そうだな、女性にはキツイ場所だ。連れてくるのもどうかと思うぞ」
胸の中の存在を愛おしそうに見つめている。兵士として優れた男だというのに……反吐が出る。しかし、それは同時に、何とも言い難い悦を生み出した。
(しょせん、色に溺れた情けない男だ……色男も台無しだな)
たかが女1人に骨抜きにされるとは、大した男ではない。そう思えば、胸の鬱憤も解消されると言うものだ。
「それでは我々は失礼します」
堂々と女の額に口づけをする男をヘルメースは呆れた目で見送る。早く行け、と軽く手を振った。もう1人の男も一緒に去って行った。気配のない変な男だった。
レオナルドはラウダの額に唇を当てる。熱を感じていた。
「ラウダ。俺に体を預けろ、しんどいだろ?力を抜け、心配するな。俺が守ってやるから」
ラウダへ向かって小さく囁く。正直、ラウダは立っているのがやっとだった。目の前はクラクラするし、体は暑かった。
「すまない…… 」
レオナルドは重くなったラウダの体をしっかりと持った。それは華奢で今にも折れてしまいそうだ。
「仲間の男、お前はこの子を愛しているんだな? 」
レオナルドはラウダの顔を覗き込んだ。歩く振動に揺れながら眠っていた。それを確認すると、神殿で眠っていた人形に語りかける。
「ちっこいのよりその大きさの方が話しやすいな、お前」
人は見かけではないだろうが。子供には何とも言いにくいものだ。
「どうだろうな?そう言うことは気安く言うもんじゃない」
「さっきの男は、仲間の男より上の身分のものだろう?その子のためにわざと自分に意識を向けさせたな? 」
「そうだったか?っーか、仲間の男ってなんだよ。普段はレオって呼べ、軍人の時はルシートだ」
「器用なようで不器用な男だな」
「分析をするな」
レオナルドは歩く速度を早める。ラウダの熱が上がってきていた。
「ラウダに何をした?何を見せたんだ? 」
「レオ、それは機密事項。言うことは許されない」
「あっ、そ!まあ、いいや」
レオナルドは後ろを振り返る、ヘルメースは神殿の奥に向かっていた。
ラウダのフードを外してやると、汗だくだった。
「ヴィサスの姫君……」
レオナルドは小さく呟いた。健気に懸命に生きてきた女の子、その背には大きなものを背負っている。思い浮かぶのは胸の大きな傷とそこらじゅうの体の傷……。
その美しい寝顔を見ながら、レオナルドは切なく微笑んだ。
(この女性を胸の中に閉じ込め、守れたのなら…… )
そんな感情に気付き、レオナルドは自分を嘲笑う。それはファミリアのラウダへの想いと大して変わらなかった。
(ラウダは酷く嫌がるだろうな…… )
「人間とは面白いもんだな、見てて飽きない」
冷静な第三者の言葉に、レオナルドは真っ赤な顔になって言葉の主を睨んだ。
「お前、今からピーノな! 」
「ピーノ?もしかして、名前ですか? 」
「そうだよ!ピーノ! 」
レオナルドは悪戯っぽく笑う。子供の頃に遊んだ人形の名前だ。それに困惑して考え込むピーノ。
御目付役の目を盗むかのように。
レオナルドは、ただ愛おしくラウダを見つめた。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
感謝。




