5.新しい一歩
サファイアはインフィニタ軍から払い下げられた車に乗っていた。傍には姪のアメリ、ボオラ区のエレクトロに向かっている。運転席と助手席には護衛が2名、計4名の旅になる。アルデナ区を出てから3時間、果てしなく続く荒野を走りながら、時折、姪の様子を確認する。
(不憫な子だ)
爛々と目を輝かせる姪を見ながら、サファイアは心の中で呟いた。
敵同士を婚姻させるなど、カランは何を考えているのか。真実が明るみになった時、1番傷つくのはラウダとアメリになるだろう。互いに心を通わせれば通わせるほど、その傷は深くなっていく。
「伯母様、エレクトロとはどんな街かしら?」
アルデナ区を出たのは7歳の頃、母とヤマト国に旅して以来だ。その時はスノウ国の親戚の家を滞在し、ヤマト国の祖父母の家に数ヶ月滞在した。幼かったから記憶はほとんどない。それ以来、アルデナを出ることはなかった。
「賑やかな街よ。職人達が働く街だから多少は荒っぽい所もあるけど、気さくな人が多いわ」
いつも着ている絹の服とは違い、麻でできた粗末な服は涼しくて動きやすい。伯母の趣味らしくシンプルでどことなく品がある。
「伯母様はよく行かれるのですか?」
「そうね。エレクトロは武器の生産地だと思われてるけど、実は鍋や包丁などの調理具も優秀なのよ。国外でも人気が高いから、頻繁に仕入れに来ているの」
サファイアは母の祖国、スノウ国の人脈を活かして販路を築き上げた。元々の外交的な性格と商才、嫁ぎ先の商団の力が上手くマッチし、嫁というより共同経営者としての地位を手にしている。
「私の知らない世界が広がっているのね……」
アメリは遥か遠くに目をやる。この先は果てしなく、見つめていると自分の居場所がわからなくなりそうだ。ラウダもこの道を通ったのだろうか?アルデナから逃れ、各地を転々としたという。その日々は自分には想像もつかないことだ。
「ある意味、自由とは言えないかしら……」
今日も明日もその先も全てが決められた日々、それを過ごしてきた自分がとても窮屈に感じた。
遠く離れた戦場で名をあげ、この国の人々から喝采を受けている。次期の主力と望まれ、大きな世界で輝いている。ラウダがとても自由で才に溢れていると感じた。
(私は主役ではないのかしら……)
それに比べて自分はどうだろう。父から与えられた使命を思い浮かべる。ラウダの輝きにあやかり、自分が彼の人生の脇役に過ぎないように思えてきた。
(私だって……)
負けん気からそう反抗しようとするが、ラウダに勝るものはない気もした。父に守られた家から出てきて、自分だけの力で何ができるというのか。
何もない目の前の荒野を見ていると、自分と大差がない気がしてきた。何もないのだ。
「アメリ、疲れたの?少し休憩を入れようか?」
思い詰めた表情をしている姪を伯母は心配する。屋敷で守られて育った少女は、華奢で色白で儚げである。
「大丈夫、楽しいわ」
アメリは薄っすらと笑う。心に抱えたモヤモヤはなかなか晴れそうもない。
「—————なにも…こちらから出向かなくても良いのでは?どうせ、その男はアルデナに乗り込んでくるでしょう?」
助手席の護衛の1人がぽっりと呟いた。その者は、アメリの家に長らく勤める者だ。幼い頃から知る姫が荒野を抜けるなど、なかなか受け入れることができなかった。そもそも、ラウダという流れ者に嫁がせるなど、喜べることではない。
「出過ぎたことを言うな、我々は従うのみだ」
運転手は戒めるように、厳しい視線を助手席に落とす。
「しかし、噂によれば賎民街でネズミのように暮らしてたと言うじゃないか!そんな若造が主力などあり得ん」
男は我慢ならん、と捲し立てる。
「何が宰相だ。ガンジス殿の指揮が良かったのだろう。ヴィサスの血だかなんだか知らないが、皆騙されてるのだよ」
運転手はやれやれと頭を振った。確かに賎民街で育った子供が、将軍に勝る働きをすることはあり得ない。面白い話ではあるが……。しかし、カラン=プロディの勘は確かだ。あの男が本物だと言うのなら、そうだと自分は信じられる。
「そんなに気に入らないなら、本人を目にしたら切り付けてみればいい。そうすればわかるだろ」
半ば呆れながら、運転手は笑い話で終わらせる。助手席の男には、それは冗談の話では無くなっていたが……。
サファイアは2人の会話を聞きながら、これが今のアルデナをよく表していると思った。彼らにとって、主力はカンサス家なのだ。それから外れた者を主人だとは認めたくないのだ。
勿論、そうでない者達もいる。カンサス家と縁のない者達、新興の者達だ。彼らにとっては、カンサスの血を引くが、異端であるラウダは歓迎すべき主になっている。
そして、カランのように両方を取り込もうと貪欲な者達。アルデナでは、いろいろな思惑が渦巻いている。
「ラウダとは、あの正妻の子供だろ?」
助手席の男は顔を歪めながら、吐き捨てるように言った。
「そうだ。新年の宴の場で、エクセン様を碁で打ち負かした方だよ」
運転手席の男はその場に居合わせていた。黒髪で深緑の瞳を持つ美しい少女は表情も変えずに、10歳も年上の夫を大差で負かした。その完璧な勝ち筋は清々しくもあったが、それを快く思わないものが多かった。
「小賢しい女の子供だ、気に食わない奴に違いないさ。グアバ様のように夫の華である女の方がずっといい」
男はウンウンと頷いている。サファイアは冷ややかな視線を後ろから向けていた。
(つまらない男だ)
心の中でそう吐き捨てていた。自分もその場にいたが、かの方は姿勢が良く、美しく碁を差していた。その聡明な姿は貶されるものではなかった。
同じく気分が害された者がいた。
(私はグアバ伯母様のようになることを望まれているのかしら?)
それは酷く屈辱的な思いにさせた。




