2.暗躍する男
ガシャン!!!!
夫人は壁に向かって水差しを投げつけた。
「グアバ様!何をなさるのですか!!」
侍女の1人が慌てて駆け寄った。この屋敷の女主人は、物凄い形相で振り返る。
「我慢ならないわ!アシオスはどこなの!?あの子を誰か連れてきて!!」
侍女は主人をじっと見つめる。自分はここに配属されて3年になるが、主人がこんなに激しく怒る姿は初めて見る。何かに取り憑かれているのではないか?とても穏やかで優しい方のはずだ。
「グアバ様!お静まりください。アシオス様は屋敷のどこかにはいらっしゃいます。今探しておりますので」
「早く連れて来なさい!」
グアバはイライラしながら、近くにあった湯呑みも床に投げ捨てた。
ガチャン!!
中に入っていたお茶が一面に飛び散った。その雫はグアバのドレスにもはねた。
「おいおい、見苦しいなぁ」
侍女達が騒めき立つ中、緊張感のない声が響いた。グアバはその声の主を突き止めると、もっと不機嫌な顔になった。
「カラン、なぜお前がここにいるの?」
その男は金髪をかき上げながら、真っ赤な瞳でグアバを蔑むような目で見ている。男はグアバの腹違いの弟であり、6番目の兄弟、グアバとは16才も離れている。
グアバはこの腹違いの弟が苦手だ。家督を継いだのは1番目の兄だが、実際に裏で動かしているのはこの弟だ。見た目からは想像もつかないが、用意周到で狡猾な男だ。そして、グアバを心の底では見下している。
「アシオスのことはもう諦めろ。素行が悪すぎて階級を剥奪されたんだろ?もうアイツの好きにさせてやれ、家督を継げる男ではない」
グアバは目を細め、カランを睨んだ。アシオスはできる子なのだ、ただ周りの女が息子の優しさにつけ込んで道を妨げているだけだ。
「誰にモノを言っているの!?主力の妻に向かっていう言葉かしら?それに、お前は1番下の弟ではないか!」
カランは、にこやかに微笑む。
「確かに俺は末っ子だけど、兄さんに全権を託されている。姉さんのこれからは、俺の心一つで変わる」
「私のことですって!?」
「エクセンは、アシオスに当主は譲らない。グロリア1番刀も渡さないだろう。姉さんは所詮、愛妾止まりだったな」
「何ですって!?」
あまりの言われように、グアバは怒りに震えていた。確かに主家ではなく、一族の中から優秀な者を指名することはある話だ。しかし、アシオスを超える者はそうはいない。素行に問題があっても、実力では問題ないはずだ。
「息子を溺愛しすぎだ。器に見合わないものを押し付けても、あの子が苦しむだけだ。分不相応という言葉があるだろ?本人も望んでいないようだし」
グアバは薄々はわかっていた。息子は、父が背負っている重圧を引き継ぐことに不安を感じていると。しかし、あの子が継がなかったら、自分はエクセンの妻だと言えるのだろうか?
「あの子を超える者は、一族にはいないわ。主力はコンサス家出身者でなくとも、コンサス家の当主は一族の中で1番優秀な戦士のはずでしょ」
主力は庶民から出ることはあるだろう。不本意だが、他の区でもよくあることだ。
「姉さんも聞いているだろ?カステルマの大勝利」
カランは美しく着飾った姉に冷ややな視線を送る。
「ドゥーリ区の主力がアクアを壊滅させた戦いでしょ?知ってはいるわ」
グアバはアクア国に対して親和派である。正直、この情報には喜んではいない。優れたアクアの品が既に入って来なくなってきている。
「あの作戦の宰相はラウダらしいよ」
グアバは口を大きく歪める。その名前は二度と出て来るはずはない。
「あの女の子供と同じ名前ね。当人は死んでるけど」
「どうやら、その当人らしい。俺達はラウダを擁立する方に動いている」
「何ですって!?あの子は死んだのよ!擁立!?あの子は敵でしょ!!私とアシオスの敵よ!生きているなら、殺しなさい!!カラン、命令よ!!」
グアバはカランを睨みつけ、指を指し、何度も命令し続ける。誰が上の立場かをわからせなければ。主力の妻であり、当主の妻なのだ。
カランは指される指に不快感を示しながらも、ゆっくりと落ち着いて、懐から短剣を取り出した。そして、軽くグアバに向けて投げた。その短剣は真っ直ぐにグアバに向かい、その頬を掠めると、グアバの奥の壁に突き刺さった。
シュ———トン!!
それは静かな音で、しかし、壁に突き刺さった刃の深さを見る限り、かなりの力がかかっていたようだ。
「きゃっ!!!」
グアバの頬が一瞬熱くなると、軽く痛みが走った。頬には温かいものが伝わる。
「グアバ様!!」
侍女はハンカチを片手に駆け寄り、主人の頬にそれを当てた。真っ白な布は赤く染まっていく。グアバはショックのあまり、言葉を失い、腰を抜かしてしゃがみ込んだ。
「ギャーギャー煩いよ?グアバ、口を閉じろ」
カランはスタスタと歩くと、壁に突き刺さった短剣を回収した。
「10年前も、あんた俺に命じたよな?偉そうに」
カランは短剣をクルクルと回す。恐ろしさのあまり、グアバは侍女に抱きついた。
「それでこの結果かよ、ふざけんな」
カランはゆっくりとグアバに近づくと、短剣のはらの部分をグアバの頬に当てた。その刃の冷たさはグアバの全身を震えさせた。
「でも、まぁ、子供の方は生き残ってて助かったわ」
カランはグアバを覗き込む。短剣のはらをさらに強く押し付けた。
「俺はさぁ、決めたよ。ラウダに当主と主力を継がせ、娘をラウダに嫁がせる」
グアバは目を大きく見開いた。瞬間、悟った。自分は切り捨てられるのだと。この弟は、コンサス家を手に入れ、一族にヴィサスの血を入れるつもりなのだ。
「ラウダは好物件だよな?姉さん?あの子なら、インフィニタすら手に入れてくれる。そして、俺の孫が生まれれば、その子は間違いなくその後継ぎになる」
姉の頬に短剣を当てながら、カランは夢心地に微笑んだ。
「もうわかっただろ?俺や一族にとって、どっちが美味しい話か」
カランはグアバの耳元で、グアバだけに聞こえるように囁いた。
「お前は要済み。あんたの言う通り、邪魔なものは早く切り捨てるに限るよな?」
グアバの頬から短剣を離すと、ゆっくりと立ち上がった。グアバは恐怖のあまり、侍女から離れることができない。
カランは穏やかな表情で、侍女達に笑いかけた。
「このやり取りを外に漏らすなよ?もし、少しでも漏れたら、お前らの一族を根絶やしにするからな?」
その優しげな顔つきとは真逆の言葉に、侍女達は震え上がった。
「姉さん、風向きが変わったよ?わかってるね?邪魔したら、命はないからかね?」
カランはニッコリと微笑む。
カラン=プロディ、主力エクセンの参謀の1人。コンサスの傍系の家柄でありながら、エクセンに近い位置にいる男。静かな物腰とは裏腹に、血の匂いを常にまとう男。
カランは微笑みながらも、気持ちに余裕はなかった。まずは邪魔になりそうな奴を潰しにきた。他人なら始末すればいいが、身内ならそうもいかない。それに、エクセンはこんな妻を溺愛している。
ラウダ争奪権は既に始まっている。ライバル達も同じように、覇権を得ようと動き始めている。主力の妻の血縁という事実は有利ではない、むしろ不利に働く。
ラウダの母親であるグロリアを廃し、命を奪ったという時点で勝ち目はない。しかし、流れは完全にラウダ擁立に動いている。その流れは変えられないし、それに乗れなければ自分達は廃される。
カランは苦笑いをする。母親を殺した相手だと絶対に悟られてはならない。その上で、こちらに引き込まなければ………。
カランは侍女の1人に目配せした。その女は目で頷く。グアバが変な動きをしないように見張らせている。今や姉は、自分の抱える爆弾になっている。
「ホント忌々しいわ」
カランは微笑みながら、姉に別れの一言をかけた。
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