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夢幻の姫君  作者: 紘仲 哉弛
第5章 杜絶の時辰儀
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32.スノウ国の理性

 スノウ国王パリス=スノウの治世は2年を過ぎたところ。賢女王ザイバイ=スノウが長く守ってきた統治権は、母から息子へと平和的に移譲された。ザイバイにはカリスマがあり、剛腕とも言われた決断力の速さと正しさ、安定感のある政治力に国民からの人気は今も高い。


 その際立った優秀なる統治を引き継いだパリスは、ある意味不運と言えるかもしれない。控えめで大人しいパリスは、父である前々国王を思い起こされ、その評判は芳しくない。取り上げられるほどの功績もまだない状態だ。むしろ、国民からは、王妃であるフィリアの人気の方が高かった。


 国王宮の謁見の間に通されたロンシャン、用意された椅子に座りながら複雑な思いを抱えている。大学内で起こった事件について報告に参上したが、パリス国王の力を計りかねていた。これがザイバイ前女王であったなら、何の不安も抱かなかっただろう。


「ロンシャン、久しぶりだね?」


 側近を2人引き連れ、待ち人が現れた。美しい前髪は軽くウェーブし、襟足の髪の毛が肩に僅かに触れている。真っ青に澄んだ青い瞳と形の良い鼻、それらは彫刻かと思えるほど美しい黄金比で存在している。正装ではなく、平服で現れた様子から急な訪問に対応してくれたことが伺える。


「急ぎの用とはいえ、事前にお伺いもせず参上し、申し訳ありません」


 ロンシャンは椅子から立ち上がると、深々と王に向け礼をする。その実直さにパリスは思わず微笑んだ。


「いいんだ。楽にしてくれ。私が受け入れたのだから、気にするな。頭をあげてくれ」


「恐れ入ります」


 そう言い終えると、ロンシャンはゆっくりと顔をあげた。


「で、御用向きはなにかな?」


 王は玉座に軽く腰かけ、ロンシャンにも座るように促す。

側近達もそれに続き、それぞれの席についた。


「我が大学にアクアのスパイが入り込みました」


「また、飽きもせずに送って来たか」


 パリスは平然と受け流し、よくあることと受け止める様子。ロンシャンはその様子を冷静に分析する。


「学長が早急に来られたということは、何か被害が発生したのですか?」


 側近の若い方が口を開く。アクア軍からの推薦で側仕えになったばかりの男だ。王と同等に口を開くのは常識が足りないとも言えるが、パリスは特に気にしない。


 ロンシャンの方は、その男に視線を向け、僅かに眉を吊り上げた。しかし、王の手前、あえてこの場での注意は控える。


「現在、アクア軍はパプチに侵攻しています。その男が言うには、恐ろしい破壊力を持った新型兵器を開発し、現地に持ち込んでいるとのこと。そして、その兵器はスノウ大学の研究者から盗んだものを改良し製造したと言います」


「へぇ……それはそれは」


 パリスは興味深めに頷いた。王の反応とは大きく異なり、2人の側近は一気に警戒する。


 今まで大きな動きを見せなかった隣国の争い。アクア国の侵攻が大きく進むとなると、各国の力の均衡が崩れる。野蛮な国と揶揄されるパプチだが、その国土は広く、資源も潤沢である。アクアの国力が一気に増すことになれば、隣国の緊張度は高まる。


「学長はどの点が1番問題だと思う?」


 パリスはにっこりと笑いながら問いかける。ロンシャンはこれから長い論争になるだろう、と構えていた。より詳しく尋問され、責任の所在へと続く道である。しかし、王はそれらを飛び越え、いきなり結論を聞いてきたわけだ。


「殿下!まずは詳細な情報をお聞きになった方がよろしいかと思います。我々も今の情報だけで理解できません」


 またもや若い方の側近が口を挟む。


「そうか?」


 フワッとした様子の王に、若い方は不満げな様子を見せた。その様子から、スノウ国軍の上層部は現王を軽んじている様子が見て取れた。


「殿下、マリオ近衛長はいらっしゃらないのですね?」


 ロンシャンは、心の奥でくすぶっていた疑問を吐き出す。目の前の側近の礼儀がなっていないのもそうだが、この場にいるべき賢官がいないことが残念だった。


「あぁ、彼ならお遣いに出してるよ。帰るにはもうちょっとかかるかな?」


 呑気に答える王。ロンシャンはじっくりと見返す。


 この王は、何者だろうか?


「そもそも、スノウ大学は兵器研究はしていないはずでは?我が軍の要請すら取り合わなかった。隠れてやっていたのか?それも易々と他国に奪われるとは!その研究者とは誰なんだ?」


 若い方は遠慮はしない。この年齢で王の側近に遣わされたということは、スノウ軍の中でもかなりのエリート。ハンズ将軍のお眼鏡にかなった男。


「控えよ、ジャム」


 もう1人の側近は、さすがに止めに入った。中年の彼は、ザイバイ女王時代からの側仕えだ。


「聞かなくてもわかるよ。どうせ、ロナウド=ロイドがその研究者なんだろ?」


 王はロンシャンに笑いかける。ロンシャンの目は、それに反応し、大きく見開らかれる。その様子をおかしそうに笑い、中年の側近をなだめながら、パリスの言葉が続く。


「彼以外には思いつかないからね。で、簡単に盗まれたということは……大学は盗まれたものの存在を知らなかったのでは?で、事実しか言わないというとは……その盗まれたものについて、ロナウド=ロイドは語らない。そんなとこでは?」


 ロンシャンは言葉を失う。目の前の男はフワッとした雰囲気で、実に鋭いことを言ってきた……。固まった学長の様子を確認すると、パリスはクスッと笑う。


「彼は私の身内だからね、よくわかるのかもな」


 パリスがクスクス笑う姿に、警戒しかけていた若い側近はため息を漏らした。自分の知る王の姿は、安穏と毎日を過ごす警戒のカケラすら持ち合わせない男だ。一瞬でも凄いと思ったことを恥に思う。


「ご明察でざいます、殿下。ロナウド助教授のものが盗まれました。彼は詳細については語りません。しかし、盗んだアクアの学者はその技術を元に新型兵器を製造した証言します。これらは危機的事態であり、スパイを拘束し、ロナウド助教授も学内に軟禁しております」


 パリスは真剣な顔になり、頷きながら話に聞き入る。


「先ほどの殿下のご質問にお答えしますと。我々は盗まれた技術が何か、どのような技術が学外に漏れたのかということが1番です。その内容によって、今後の対応を検討し、ロナウド助教授を処分します」


「そんなことではないでしょう!スノウ大学が我が国の安全を脅かしているという事実が問題では?いっかいの助教授などさっさと職を解き、責任を取らせれば済む話。その男の口を割らせ、その技術を我々も手にするべきです!」


「ジャム!」


 中年の側近は、先ほどより強い口調で諌める。


「そうだ!いっそのこと、アクア側と共同開発したことに持っていき、アクアとの協調路線に向かったらどうでしょう?我々もパプチに侵攻するんです!アクアだけにパプチの土地を渡してはなりません!」


 ダン!ダン!


 パリスは右足を2回踏み鳴らした。その麗しき顔面から笑みは完全に消え失せていた。無表情で冷ややかな視線、それがジャムに注がれる。今までに見たことのない表情だった。


「それは軍の意向か?」


「はい?」


「それは君の考えに過ぎないのか?」


「それは、その……」


「スノウ軍をパプチに侵攻させると?」


「……殿下……申し訳ありません……お許しください……」


「謝る必要はない。質問に答えよ」


 口調は妙に静かで抑揚がない。静かなフロアに凛として響いた。これならば、むしろ、罵倒された方が楽なのかもしれない。


「……私の……考えでございます」


 パリスはその答えに、口元を緩めた。


「そうか、君は性急な考えに支配されるようだ。その言葉は軍の意向だと思われる、気をつけよ」


 王は軽く息を吸い、普段の様子に戻る。


 しかし、ジャムの震えは止まらない。時と共に増すばかり……。先ほどの王がとても恐ろしく感じてしまった。そこからの……いつも通りのフワッとした雰囲気、その切り替わりの速さ、違和感に末恐ろしさしかなかった。


『ジャム、外で空気を吸ってきなさい』


 中年の側近がジャムに向かって小さく話す。ジャムはそれに縋り、この場から逃げることにした。王の様子を気遣いながら、目立たないように部屋を後にする。


 それを王も良しとしたのだろう、特に気にする様子も見せなかった。


 3人だけになり、今度は中年の側近が口を開いた。


「アクア国内の経済は好調、むしろ、各面で最高値を記録している様子。国内ではパプチ戦に対し、好意的な動きが出てきているようです。新兵器開発が経済を後押ししているとも言えます。関連企業の業績は軒並み驚異的な成長値を見せています」


 パリスは頷く。


「つまり、アクアの国力が増してるのは間違いないか……パプチに侵攻したことが無関係ではないだろう。ジャムが言っていたことも間違いではない。アクアがパプチを併合すれば、我々周辺国も他人事ではなくなる。アクアには昔から変な言い伝えを信じるものがいるからな」


「元々は我々は1つの国であり、それを統治していたのは、アクアだったという妄信でしょうか」


「ああ、そうだな。我々にとっては、妄信に過ぎない思想だが。信じている者達にとっては、真実なのであろう」


 パリスは小さく頷き、ロンシャンの方に向き直る。


「学長、あなたは学内の問題を解決してください。国のことは我々が解決すること。大学は独立であり、政治とは関わらない。その原則を我々も遵守しよう」


「ありがとうございます。それをお伺いし、安堵しました。……ですが、殿下。先ほどの若者が言う通り、国に危機をもたらす原因を作ったのも事実……私は学長として、学内の統治を怠った責任をとる所存です」


「それはダメだよ、責任の取り方が違う。あなたが解決すべきだ」


「……わかりました……。では、まずは解決を先行し、責任についてはその後に致します」


 パリスは両手の指先を合わせ、組んだ足の上に置く。姿勢は正しく美しい。この王は、目の前の賢者の品格を誰よりも好ましく思っている。


「勝手に辞めることは許さないよ。独立機関とはいえ、そこは口を出すつもりだ。私は卒業生でもあるわけだから、そこは許されるのではないか?」


 ロンシャンは苦笑いをする。王は王である。いくら卒業生の立場だと言っても、その言葉の重みは全然違うものだ。


「恐れ入ります」


「それと、ロナウドから話が聞きたい。私の宮に遣わしてくれ」


「かしこまりました」


「では、ここからは学長ではなく。政治学者、ロンシャンに答えてもらいたい」


 ロンシャンは、元々、著名な政治学者であった。適性から大学経営を任されているが、そもそもは根っからの学者であり、今も傍で研究は続けている。今も現役の研究者であることは誰もが知ることではないが、この王が知っていることに対し、驚きが増す。


「わたくしに務まるかどうか……」


 その反応に、パリスはフワッと笑う。心配は無用なことはわかっている。


「先ほどのジャムが話していたことだ。我が国の取るべく道について、あなたはどう考えますか?」


「難しい……問いをなされますな」


 ロンシャンは苦笑を浮かべる。学長という立場を離れて、と事前に鍵を刺されている。適当に言い逃れをするほど、学者としての気概を捨ててはいない。元々は負けず嫌いな性格、そこも突かれたようで、自嘲する。


「アクアが大きくなるのは困るが、パプチは対抗できるとも思えない。我々は黙って見ていていいのだろうか?新型兵器にロナウドの技術が使用されるなら、それも黙ってはいられないな?盗んだのなら、なおさら」


「……殿下、それは国でお考えになると仰っていたのでは?」


 引き気味に話す政治学者に、王はニッコリと笑いかける。


「そうだ。私は政治学者の見解を伺っているだけだが?」


 ふぅ、とロンシャンはため息をつく。


 学者として意見を述べるのは久しい、もうないとさえ思っていた。


「わかりました。まず、何から話しましょうか?」


「そうだな。アクアが急激に国力を増していることについて、意見を聞かせてもらいたい」


「今の我が国とアクアの関係からすると、好ましくないのは確かでしょう。また、先ほどの好景気についてですが。安定した成長とはいえないかと。成長の幅、スピードが規定外であること、それはその反動もあり得るということです」


「なるほど……確かに、反動があれば大きくなるだろう。好景気は一時的なものに過ぎないと思うか?軍需に過ぎないか?」


「軍需だけではないかと思います。一部でマネーゲームが白熱しているのではないかと思います。アクア経済に大量の外国の資金が流れ込んでおり、それらが価値を底上げしているのではないかと。アクアは外資に規制をかける法律がなく、それが経済を後押ししている。ですので、見方を変えると、本来の価値よりも、膨れ上がっている状態とも言えます」


「そうか、ならば驚異とはならないか?」


「いえ、パプチを併合できれば、資金の多くはパプチ開発にまわり、実質的な国力が増し、その成長は確実になるでしょう」


「つまり、パプチとの戦争が大きな転換期になるのだな」


「はい、そう思います」


「では、我々が参戦することに対してはどう思う?」


「悪くはないでしょう。新たな領地を得ることは歓迎できます。なおかつ、我が国から1番近い場所には鉱山があり、ボオラ区も射程内、鉱業民族であり、高い精錬技術を持っています。それを得ることができれば、我が国の鋼産業のレベルが上がる。そして、地域開発により内需も拡大する」


 その答えに、パリスは笑みを崩す。王はあまり好まないようだ。しかし、ロンシャンの答えはさらに続く。


「しかし、良くもないでしょう」


「そうなのですか?」


 声を漏らしたのは、今まで黙って聞き入っていた側近だった。思わずだったため、慌てて引っ込めた。


「はい、良くもないです。パプチは古からの始まりの国であるとされています。ヤマト国が黙っていないでしょう」


「ヤマト国というより、新宮だな?」


「はい。新宮は小さなヤマト国内の自治区ですが。大きな力を持っています。彼らはパプチを擁護しています。敵に回すのは得策ではない。また、パプチを併合するのは容易ではないかもしれません」


「国力、軍事力ともに脆弱。制するのは容易では?」


 温和な印象とは裏腹、その冷たい言葉がパリスから発せられる。それにロンシャンは頭を振る。


「長きに渡り戦ってはいるが、アクアは未だにパプチの奥へと侵攻できていない。それも事実。彼らは我々が見落としている力を持っているのでは?」


「……なるほど……」


「もし、そうならば参戦することは、不毛な消耗戦になりかねません。我が国の国力を下げるだけの結果になります」


 パリスは頭の中を整理し、確認するように小さく頷いた。そもそも、この王には挙兵の選択肢など持ち合わせてはいないが。


「では、あなたが取るべきだと思う政策をお伺いできるか?」


 ロンシャンは肩を少し上げ、困ったように笑う。


「アクアを勝たせないようにする、でしょうか?」


 あまりにシンプルな答えに、パリスは吹き出す。


「パプチに味方する、とは違うのか?」


「味方は賢くないでしょう。アクアは面倒くさい国ですから」


 スノウ大の古狸。


 そう言われる理由がよくわかる、パリスは微笑む。


「では、パプチは脅威だと思うか?アクアは脅威に思っているようだが?」


「恐れ多くも、それは殿下が一番おわかりでは?既に懐刀を遠くまで遣いにやるくらいですし?」


 即答に対し、パリスはやれやれと背中を椅子に預けた。


「恩師は何でもお見通しですか?ロンシャン教授」


 パリスの子供のような、困った様子。それは、昔よく見た風景である。


「殿下の洞察には敵いますまい」


 ロンシャンは満足げに頭を下げた。


 

 



 

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