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夢幻の姫君  作者: 紘仲 哉弛
第5章 杜絶の時辰儀
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31.脅迫

 知り合いに贈ったモノの一部が盗まれた。それはお菓子の詰め合わせだったが、報告書の文面よりもずっと深刻な問題に発展している。


 スノウ国が誇る知性の象徴、スノウ大学。その理念は崇高であり、政治的な流れを一切受け付けない。完全なる独立した教育機関として存在し、精錬なる精神が存在している。その聖域と讃えられる場所には、聡明な研究者達、世にいう天才達が集まっている。ただ賢いだけではダメだ、学者としての品格、誠実なる心が必要だ。


 マルティン、その名の留学生は平凡な男だと思われていた。アクア大学からの派遣であり、積極的に姿勢は感じられなかった。大抵は研究者に接触したり、研究室に入りたがるものだが。この男は基本的な講義と許されたゼミに参加する程度、特待生と人脈を築くことすらなかった。


 大学側で留学生へ制限を加えてはいるが、学ぶことに公平である彼等は、学術に関することなら受け入れることも多い。しかし、マルティンはそちらの活動もなかった。言うなれば、注視されるべき存在ではなかった。


「マルティン君、君はロナウド助教授を強迫しているね?」


 スノウ大学学長ロンシャンはその男と向き合って座り、極めて落ち着いた様子で口を開いた。


「強迫とは?何か勘違いしているようですね?私は利益ある提案をしているに過ぎない」


 マルティンは足を組み、腕組みをしながら答える。その態度は傲慢そのものであり、周囲からの報告からかけ離れたものである。少し前のこの男の評価は、謙虚で穏和、野心もなく害もない普通の男だったはずだ。


「ロナウド助教授がアクア大学に移籍しなければ、スノウ大学の名誉を貶め、国際問題に発展すると何度も脅しているだろう?」


 ロンシャンは傍に座るトン教授に目配せする。トンはそれに大きく頷いた。ロナウドはトンの愛弟子である、彼のことは特に気にかけていた。マルティンが頻繁にロナウドに接触し始めたことにいち早く気付いたのもトンであった。


「ロナウド助教授は君とは一緒に行かない。君は今日付で本国に帰ってもらう。それでアクア大学との交流がなくなったとしても構わん」


「はぁ?こっちは穏便にしませて差し上げようと思いましたが。事を荒立てたいようですね?」


 マルティンは口を大きく歪め、吐き捨てた。


「君が盗んだモノのことを言っているのか?」


「もう、わかってるでしょ?遠回しはやめましょうよ、ロンシャン」


 マルティンは足を大きく組み替えると、右手で自身の顎を触る。その挑発的な態度にも学長の姿勢は崩れない。綺麗な姿勢を保ちながら、若く無礼な男を真っ直ぐに見据える。


「君がロナウドの荷物から何を盗んだのか知らないが。ソレは所詮、盗まれたものに過ぎない。もはや、何の価値もないのだよ」


 トン教授はゆっくりと諭すように問いかけた。


「はっ!ソレが何かも知らずに価値がわかりますか??アレは世の中を大きく動かし、この大学の権威を奪い、スノウ国を戦場に貶めることだってできる!アンタらは、頭を下げるしかないんだよ」


「ロナウド助教授は盗まれたものは大したものではない、と言っている」


「学長、あんたそんな言葉信じてるのか?とんだ天才を持ったもんだな?あの方が創ったものは、あんたらが1番忌み嫌うものだよ」


 その言葉にロンシャンの瞳が僅かに動いた。それをマルティンは見逃さない。やはり、この重鎮達はアレを知らないようだ。その事実はマルティンに高揚感と超越感を生み出す。


「新型爆弾の設計図だ。あの方は戦争の芸術品を創り出したんだ」


 まさか


 ロンシャンはあり得ない話に思考が停止せざるおえない。ロナウド=ロイドが戦争兵器に関わることはないはずだ。


「それもその設計図をパプチに贈ろうとしていた。我がアクア国とパプチの戦争に介入し、パプチに加勢しようとしていたんだよ?スノウ国の意志なのかな?スノウ大学の助教授だからあり得るかもね?」


 そこまで言い終えると、マルティンはトンに目線を合わせ、言葉を続ける。


「このスノウ大学は、兵器開発に関わる研究は御法度、協力に繋がることも懲戒になりますよね?あなたの弟子は除籍されるべきでは?」


 トンはマルティンの言葉に、ニッコリと微笑み返した。


「ロナウドは兵器など開発せんわ。君の勘違いだろう」


 グググッ


 マルティンは右手を強く握った。目の前の老人の余裕な態度が癪に障った。そもそも、スノウ大学が軍事系の研究を下に見ていることも気に入らない。天才を囲い、彼の才能に蓋をしていることにも反吐が出た。


「証拠を出しなさい」


 停止していた学長の脳が動き出した。親友のトンの余裕がロンシャンにも余裕を生み出す。もう少しで盗人に威厳すら歪められるところであった。


「原本は我が国へ送った。複写きたものなら手元にある」


「複写など信用できない。そもそも、その図面はロナウド助教授のものだと証明できるのか?」


「もちろん、そこにはあの方の……」


 ……署名が、と言いかけてマルティンは言葉に詰まった。なぜなら、自らロナウドの署名の部分を切り取ってしまったからだ。本国には自分の発明だと報告し、送ってしまっている。マルティンは学長の揺るぎのなさに舌打ちした。


 マルティンは図面を盗んだだけではなく、その設計者でもあるロナウドも手に入れようと欲を出したのだ。


「ちゃんと証拠はある。こちらは大学やスノウ国の顔を立ててやろうというのだ。大人しくあの方を渡してください」


 マルティンは口元を歪めながら、顎を突き上げた。


「確固たる証拠を出したまえ。不確かな情報で我々が動くことはない」


 学長はピシャリと言い放つ。目の前の若者は狡猾な人間であろう。平凡を装いながら、狙いを定め、一気に攻撃を仕掛けてきた。アクアがやりそうなことだ。しかし、ロンシャンも甘い男ではない。トンは微笑みながら、頼り甲斐のある親友を見守った。


「まぁ、いいですよ。あの方に直接聞けばいい話でしょうから」


 マルティンは不敵に微笑む。


 この2人の老ぼれが守っている神に近い存在、ロナウド=ロイド。その人は確かに聡明であり、純粋な善を纏う人間だった。脅してくる自分に対しても誠実で、丁寧に対応する。きっと光が当たるところで、皆に守られて生きてきた人間なんだろうと思った。


 しかし、自らの手を血に染めた時、その人は同じようにいられるだろうか?


「資源が少ないパプチでも作れる爆弾、それも威力は既存のものと比べると破格、多くの破壊を生む。あの製図は芸術的に美しかった。もしかしたら、滅びゆくパプチの助けになっいたかも知らない」


 マルティンは問われることもなく、自ら進んで揚々をつけて話続ける。


「しかし!それは我がアクア国が手にし、更に改良を加え!新型兵器としてパプチに持ち込んでいる!パプチを救うものだった道具が、パプチを焼くんだ!」


 さすがに、その言葉には目の前の重鎮は不快な表情を浮かべた。特に、トンの方はマルティンを睨む。彼の脳裏には亡くなった親友の姿が浮かんでいた。


「確固たる証拠?あんたらの言うソレって大事なもの?」


 マルティンは黙りこくる2人を見下すと、最高の笑みを浮かべる。ロナウド=ロイドが絶望で崩れる姿が楽しみで仕方がない。その時になって、やっとあの人は自分のことを理解できるだろうから。


「ロナウドが作ったものが、今、パプチにあって使用されようとしている。その時、よ〜くわかるのは設計者本人だ」


 トンは唇を噛み締めた。ロナウドのことは誰よりも信頼している。彼が口を閉ざし、何も語らないのはそれなりの理由があるはずだ。しかし、本人の意図したものでない方向に進むこともありえる。現に、古き友は悪しき者に多くのものを奪われて、本人の思いとは違う用途に悪用され続けた。


 そうだ、それがアクアのやり方なのだ。


「そうか、君がそこまで言うなら。君をスノウ国から出すわけにはいかないな」


 ロンシャンは低い声でゆっくりと話す。目は冷ややかだ。


「は?何言ってるの?アクアに喧嘩を売る気か?」


「喧嘩?何のことだね?君は我が大学の学則に大きく背いている。入学前に同意した、学則に従うを忘れてはいないだろう?」


「は?アクアは黙っていないぞ!」


「何に対してだね?」


「留学生を不当に拘束することだよ」


 ロンシャンは口元を緩める。しかし、目は笑っていない。


「君は心配しなくていい。穏便に進めておくよ」


 ロンシャンはそう言い終えると、マルティンが反論するのも取り合わず、職員を呼び出した。ガタイがいい男2名と学長の右腕の事務官だ。


「マルティン君は留学を修了されるそうだ。大切なお客様だから、特別棟にご案内し、丁重な対応をしなさい」


 職員達は準備ができているようで、マルティンを拘束し、慌てることなく作業に取り掛かる。


「まて!俺を不当に拘束するつもりか!スノウ大の理念とかいうやつに反するだろ!学長!!あんた聖職者だろ!」


 マルティンの浴びせる罵声に、ロンシャンはびくともしない。トンは軽くため息をついた。


 黙りなさい、と職員に静かに注意されながら慌ただしくマルティンは引きずられていく。かなり抵抗したが、大男2人はいとも簡単に持ち上げ、特別棟へと連れて行った。


 やっと静かになると、ロンシャンは体の緊張を解いた。


「トン、久々にやってくれたな?お前の弟子」


 トンは顔をくしゃくしゃにして笑う。


「しばらく大人しくしてたんだが……何かはやっただろうな」


 ロンシャンは背もたれに体重を預ける。


「あの男どう思う?」


「軍事系の研究者としては、まずまずなのではないかの。少なくとも、アクアが新しい武器を手にしたのは嘘ではないだろう」


「ロナウドは何も話さないのか?」


「ああ、この話になると口を閉ざす」


「あの話が本当なら、なぜパプチに荷物を贈ろうとしたと思う?縁があったとは思えないが」


 トンは少し考え、ふと思い出した。


「確か、パプチには何度か行ったことがあると言っていた。クリミア王子も弟と3人で定期的に」


「まさかと思うが、本当に兵器の設計図を書いたのではないだろうな?」


「彼は人の命を奪うものは作らない、ワシが保証する」


 ロンシャンは軽くため息をつく。トンは信じた人間をとことん信じるところがある。ロンシャンはトンほどロナウド=ロイドを信用しているわけではない。


「しかし、新型兵器が開発され、彼と関係があると言われれば無視もできない。なおかつ、彼は何も語ろうとはしないのではどうしようもない」


 学長の言葉にトンは申し訳なさそうに微笑む。ロンシャンは親友の人の良さに、固まった表情を緩めた。


「トン、ロナウドは君の側に置くこと。家に帰してはいけない」


「あぁ、そうするよ。すまない……」


 頭を下げるトンの肩を軽く叩く。


「国王に謁見してくる。さすがに学内には収められない事案だからな」


「ワシも行こうか?」


 ロンシャンは面白そうに笑いかける。


「学者のお前がか?それは勘弁願いたい」


「お前も学者だろ?」


「さあ、どうかね。私はもはや聖職者ではないだろ?」


 ロンシャンは優秀な男だ。研究員としてもそうだったが、大学の統治者としての適性は群を抜いている。トン=アマネフではとても務まらない。


「心配するな、トン。表のことは私がなんとかするさ」


 スノウ大学の学長はイタズラっぽく微笑む。


 政治的に独立した機関というのは、政治と無関係というわけではない。むしろ、その組織の長は優れた政治的手腕が必要。


「ロンシャン、君は学長であるべき人だよ」


 トンは静かに微笑んだ。








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