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夢幻の姫君  作者: 紘仲 哉弛
第5章 杜絶の時辰儀
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24.設計図の行方

 スノウ国産の上質紙、それは少し厚みがある。広げてみれば繊細な青い線が真っ直ぐに伸び、交わったり別れたりしながら、大きな何かを作り出す。その図面の右下にはマルティンと崩した署名がされていた。


「トーマス顧問、この設計図をどう思うかね?ウチが支援している学者が出して来たのだ」


 ルナン工業の設計部の責任者が側で控える中、社長はほぼわかっている解答の答え合わせをしている。顧問のトーマス=アンダーソンは満面の笑みを浮かべた。


「素晴らしい!これはかなりの破壊力がある。ここまでエネルギーを最大に循環させ、正確に目標地点を捉える。この設計なら可能だろう」


「しかし、いくつか不明な記述がありまして……どうやら、このままでは動かない様なんです」


「ほぉ……なるほど、確かに……マルティン氏に聞いてみたのですか?」


「あいにく、マルティンはスノウ国におりまして……彼は現地から郵送で送って来たのです。連絡が取れない状態でして……」


 トーマスはその説明にニヤリと笑った。この設計図の出所の見当がついたのだ。しかし、それはあり得ない考えでもあった。


「マルティン氏はスノウ国のどこにいるのです?」


「スノウ大学にいるようです」


「……なるほど…あそこの大学の研究棟なら、外部との連絡は難しいかもしれませんね。帰国を促したらどうですか?」


「……なにぶん、連絡が取れないもので……。我が社としても、アクア軍のパプチ討伐に間に合わせたいのですが……」


「いいでしょう。この設計図を持ち帰り、私のラボで完成させます」


「お願いできますか?助かります……もし、必要であればウチの研究員を何人かお連れください」


「大丈夫ですよ。最近、使える人間が入って来ましたし……私もコチラに専念しますので」


「それはありがたい!」


 トーマスはニッコリと微笑み、設計図を受け取った。


「2週間で完成させます。ご安心ください」


 2人は強く握手をする。


「……しかし、この兵器を完成させるとなると……かなりの資金が必要なのでは?」


 トーマスの鋭い指摘に社長は苦笑いを浮かべた。このトーマスは科学者でもあるが、稀に見る商売人でもあった。損得や時勢を読むのにも長けている。


「さすがですね。しかし、ご心配には及びません。資金調達が上手くいっております。貴方様にお渡ししている当社の株も何倍もの価値になっております」


 その言葉にトーマスの目の色が変わる。金だけでなく、名誉すら掴める匂いを嗅ぎわける。


 業界のトップ企業は、トーマスを嫌っている。この男の倫理観の無さをリスクと捉え、なるべく関係を持たないようにしてきた。しかし、この波に上手く乗れれば、ルナンはトップを取り、その顧問にトーマスが名を連ねる。そんなこともあり得るわけだ。


「あまりに我が社の株を買いたい方が多いため、追加発行を何度行ったことか……我が社の子会社や、関連会社までそのような状態でして」


 社長は自慢げに声をあげる。つまり、それらはトップの優秀さを表しているのだ。物腰がやわらかく、上品、生まれも輝かしい。この男が話す言葉は人々の脳に染み渡る。人によって話し方を変えるため、誰が相手でも信頼を獲得することは難しくない。


 ペテン師め……。


 トーマスは、腹の奥底で目の前の男を見下していた。目の前の男は人々を魅了し、誘導する力に長けている。それはトップには必要なものだが。この男は、空っぽの箱に財宝が入っていると思わせ、自身もそうだと思い込むことができる男だ。


「なるほど……だからですか。友人が私に株を譲って欲しいと言ってきてるのですよ。世話になった相手なので譲ろかと」


「なんと!トーマスさんは欲がない。これからも益々上がるというのに!!」


「まぁ、少し考えてみます……」


 トーマスはそんなことを言いながらも、株を処分するタイミングを見誤らないようにと心に留めた。


「では、2週間後に……」


 そう約束し、2人は別れた。



             ***


 その青年がそこにいるのはおかしな事だった。


 身寄りのない彼は、アクア国の養護施設で育ち、幼い頃からの聡明さから国の英才教育を受けた。アクア大に16歳で入学し、科学の面で優秀な論文をいくつも発表した。心優しく、誠実な彼にはある特徴もあった。身体的には男性の身体だが、精神、心は女性が正しい。


「フーッ」


 トーイ=ランカスターは大きなため息をついた。本当なら、大学で研究室を持っていたはずだった。少なくとも助教授は堅かったし、一生、大学で暮らすと思っていた。しかし、突然、出向命令が出され、この研究所に連れて来られた。


 カチャカチャ


 数人の研究員がそれぞれの研究を進めている。トーイはここに来てから半年になるが、この場所にはまだまだ馴染めなかった。


 チラリ


 同僚の1人の男は、トーイに視線を向け、不快感を隠しもせず顔を歪めた。


『気持ち悪い奴め』


 初対面でそんな声をあげた男だ。品格もモラルも感じられない。トーイは、こっちこそごめん被りたいと思った。女性の研究員はそれほどでもなく、むしろ好意的な感じだが……。ここの所長、トーマス=アンダーソンは差別的な暴言を普通に吐く。


 トーマスが作った数式の矛盾を指摘したのがマズかった。なおかつ、トーイが修正した部分の正当性を理解できる者は、ここには誰一人いなかったのも不運だった。


 トーマスは、トーイの指摘を無視し、そのまま完了させてしまったのだ。そして、そのまま進めた結果、最終段階になって、深刻なエラーが発生した。


 外部調査員のアクア大学の研究員が調査した結果は、トーイが指摘した部分と完全に一致し、後にその正当性が証明されたわけだが……。それを素直に認められるほど、トーマスの器は大きくない。


 結果、トーイへの当たりはキツくなり。その割には難しい部分の仕事を余裕のないスケジュールで行わせるというパワハラが横行するようになっている。


「所長のお抱えはいい気なもんだな!こっちは下調べでテンタコ舞なのに」


 同僚はわざと聞こえるように大声で独り言を言う。何人かは小さく頷き、トーイに良心的な同僚は気まずい顔をする。


 トーイはもう慣れたもので、特に気にしなくなった。とっくの昔に、彼らの分析を手伝おうとしたのだが。彼らのやり方で同じようにすることが難しかった。トーイが入ると、彼らの連携が崩れていくのだ。


 トーイの処理スピードと正確さは、彼らのバランスを簡単に乱す。


 ガチャ、バタン!!


 ドアが乱暴に開けられ、ドカドカと足音をたてながら入って来る男。元々の彼はこんな感じだ。自分の支配する場では暴君のように振る舞う。そこには学者としての品格などはない。


「おい!お前!!ぼけっとしてるんじゃない!お前に仕事を持ってきてやったぞ!!」


 トーマスはトーイを軽く睨むと、顎で呼び寄せた。部屋の中央にある大きな机へ向かうと、筒の中から紙を引き出し、広げて見せる。


「これは極秘事項だからな!他の者は部屋から出て行け!おい!お前!!早くこっちに来い!!」


 トーマスはイライラしながら、周りに当たり散らかす。研究員達は慌てて部屋から出ていく。先ほどトーイに嫌味を言っていた男は、ひときわ気に入らない表情を浮かべた。トーマスは酷い扱いをしながらも、トーイの才能を認めており、大事な仕事や難しい仕事はトーイにしかさせないのだ。そんな男とは別に、女性の研究員は心配そうに見守りながら部屋を後にした。


「あの……所長、もうそろそろ大学に戻してくださるお約束では……」


 トーイは遠慮がちにトーマスに進言する。


 ドカッ!


 それは突然の一撃だった。


 グッ……。


 トーマスはトーイの腹を蹴り飛ばし、トーイはその痛みで顔を歪ませた。声を出すのを必死に堪えた。日々の習慣は人を作り上げる。ここで声を上げれば、もう何発か喰らうことをトーイは体で覚えている。


「ぐだくだうるさいな!大学で腐っていたのを拾ってやったのに!その恩すら感じないのか!!」


 更にトーマスは拳を振り上げるが、今はそんなに時間の余裕はなかった。怒りに任せてこの男を寝込ませでもしたら、計画が大幅に遅れることになる。軽く舌打ちし、話を続けることにした。


「この設計図が上手くいけば、大学に帰ればいい」


「本当ですか!?」


「あぁ、代わりの奴を大学から呼ぼうと思うからな」


 それは本当の話だった。アクア大学の教授選考で、ある家門から、トーイを選考から外して欲しいと依頼を受けた。トーイは当確だったため、外すのは至難だったが、何とかここに引っ張ることで実現させた。


 しかし、非常に使いにくい男で、トーマスはそれほどこの男に執着はない。教授選考が終わった今なら、返しても大して支障はないと思っている。むしろ、別の才能を見つけた今、そちらを側に置きたいと思っている。


「この設計図を書いたマルティンという男を呼ぼうと思っている。確か、お前の同期だな?」


 マルティン……その名を聞くとトーイの気持ちは沈んだ。マルティンは、どこにでもいるような平凡な人間に見え、そっと他人の心に入り込む。そして、罪悪感も抱かず、いろんなものを奪っていく男だ。


「……この設計図はマルティンが書いたのですか?」


「ああ!素晴らしいものだろ!!あのケイ=タンジェントを彷彿させる出来栄えだと思わないかね!!」


 トーイは全体を注意深く確認する。その線の繊細さは作成者の人となりをよく表していると思った。完璧すぎる製図……確かにかの天才に近いような気がした。しかし、大切なものが欠けている。


 トーイは注意深く口を開いた。


「これは……何でしょうか……」


 チッ!


 トーマスは大きな舌打ちをしてみせた。


「図面を見てもわからないのか!?やっぱりクズだな。これは新型爆弾だ。破壊力は今、使用されている物の中で1番だろう。なおかつ、使用後に汚染物質を一切出さない」


 トーイは口をつぐんだ。トーマスに忠義を示すのなら、自分の気付いた全てを話すべきかもしれない。しかし、それはこの設計者の科学者としての倫理を踏みにじることになると思った。


「……確かに、そうですね…でこの設計図を書いた人は素晴らしい方ですね……」


「そうだろ!!だがな、この通りに作っても動かないようで、ウチが設計図を修正することになった」


「……あの……マルティンは……」


「あぁ、スノウ国に行って帰れないらしい」


 その言葉でトーイは、この設計図の出所を理解した。


 スノウ大学だ。


「……私に修正ができるかどうか……」


 正直、厄介な仕事だと思った。できなくもないが、簡単な仕事ではない。なおかつ、兵器の開発はトーイが最も忌み嫌うものであった。それに携わることは、トーイの心を簡単に壊していく。


「はぁ?できるかどうか聞いてるんじゃない!やるんだ!心配するな、私も手伝ってやるから」


 トーイは目を伏せた。トーマスの能力など、ここに来た数日間で見極めた。コイツは並の人間だと。多少の名声は全て他の者のモノを奪った結果に過ぎない。


「頑張ってみます……」


「フン!生意気な奴め!とりあえず、3日で解決法を見つけろ!!私はそれまで会合があるからここには来れない」


 来れない、その言葉がトーイを安心させる。少なくとも、それまでは痛い目に遭うことはないだろう。


 スーッ スーッ


 トーイは優しく図面を撫ぜた。新型兵器だというのに、この図面は優しい感じがした。この厚みがある上質紙を選ぶだけで、これへの愛情を感じる。


「3日間はここを封鎖して、お前だけが使うようにする。休まずに働け」


 トーマスは気に食わない表情を隠すことなく吐き捨てると、カツカツカツと靴音を立てながら部屋を出て行った。


 バタン!!


 ドアの閉まる大きな音の後には、部屋全体に静寂が広がる。


「……マルティン……また、誰かのモノを盗んだのね」


 トーイは小さく呟いた。


「これを書いた人は……スノウ大学の優秀な学者……いえ……天才だわ」


 回路をなぞりながら、トーイは胸が高鳴るのを抑え切らない。同じ領域に達した者だから共有できる感覚、これは知性の集約なのだ。


「どうして……爆弾なんか作るのよ……貴方はそんな人ではないでしょ……」


 触れる知性から感じるものは、殺戮兵器を作る人格とは真逆なものだ。


「けど、何かおかしいわ。これは爆弾と言うより……」


 であるならば、足りない部分は……そう……いうことなのね。


 その部分には、僅かに盛り上がった部分があった。目を近づけてみると、ハッキリとは見えないが何か書かれているような気がきた。


 それを明らかにすれば、トーイの科学者としての倫理観が問われることになる気がした。そして、自分が大学に戻れるかどうかについても……。


「ちょっと……休んでもいいよね?」


 先のことが思いやられたトーイは、近くの椅子にそっと座る。


 そして、忘れようとしていた男を思い浮かべた。


 マルティン


 彼は、トーイが心を開いた1人の男だった。最初は他の友達と大差はない存在だった。容姿も平凡だし、面食いのトーイは特に関心も寄せなかった。しかし、毎日のように寄ってくるようになり、トーイが女性の心を持つことを知ると、別のアプローチをしてきた。


 結果、マルティンはトーイから多くのものを暴い、己の地位を高めた。そんなことをされたが、それでもトーイはマルティンが好きだった。全てを捧げても惜しくないと信じ切っていたから。


 しかし、それも昔の話だ。


 マルティンがトーイをここに送り込む前までの話。


 



トーイ=ランカスターは、私が好きなキャラクターの1人です。

彼のことが書けてかなり嬉しいです。


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