11.桃の花の来客者
家の軒先には桃の木が植えられている。私が幼い頃に祖父が植えたものだ。母が好きだった花らしい。春になると可愛らしい花をつける。甘い匂いとピンク色の花はずっと好きだった。
ラウダは庭先で洗濯物を干しながら、空を見上げていた。
「じいちゃん、寒くないか?」
「ああ、大丈夫だ」
祖父は傍の椅子に座りながら、風を感じているようだ。杖を傍に置き、家の門に神経を向けているようだ。
「今年は桃の花の量が多いのだな。香りが去年より強い」
「確かにそうだな、実いっぱいできるといいな」
祖父は見えない目で、何かを感じようとしていた。
「まだ客は来ないのだな」
「うん、まだだよ」
「そうか。準備はできているか?」
「荷物はまとめたよ。大丈夫、俺が留守の間はサドにじーちゃんのこと頼んだし」
「わしのことは心配するな。それよりもお前が心配だ」
「俺が?大丈夫だよ。じーちゃんに鍛えられてるし」
祖父は頭を大きく振った。
「お前は女だ。女に男どもの旅の案内などさせることになるとは」
「誰も女なんて思ってないよ」
「いつかはわかる時がくる。隠し通せるものではない」
ラウダは頭を傾げていた。幼い頃から男だと育てられた。初潮が来た時に、祖父に初めて伝えられたが、今でも納得はできてはいない。
「すまない」
「なんで、じーちゃんが……。俺の命を守るために母さんが決めたことだろ?」
だとしても、もっと穏やかで優しい生き方もあったかもしれない。美しい服を着て、楽しそうにしている同世代の娘は、恋をする時期である。
「さらっと案内して帰ってくるし、心配するなよ」
「くれぐれもコンサス一族には気をつけろ」
「わかってるって!」
ラウダは近くにあった木の棒を右手に持つ。そして、庭の広い場所に移動した。そして、軽くジャンプした。
「せっかくだから、手合わせしない?」
「また打たれることになるぞ?」
「だいぶ腕をあげたよ、俺だって」
フッ
祖父は椅子から立ち上がると、杖で確認しながらラウダの正面へと移動する。家の敷地の間隔は体が覚えているので、難なく定位置にたどり着いた。
「手加減不要!」
ラウダが叫ぶと、祖父は特に構えずに杖を付いた。
シュッ——!
それは一瞬の動きだった。ラウダは祖父の左側に移動すると、躊躇なく、木刀を振りかざした。
カンカン!
祖父は軽くそれを受けると、上に跳ね除ける。そして、ラウダの足を軽く払った。
クルッ、ダン!
ラウダは体型を整えると、祖父の後方に回り、背中に向かって突いた。
ヒューッ
祖父は身を交わすと、ラウダの突いた木刀を左手で掴んだ。ラウダは祖父の懐に入り、頭突きをする。
クッ……。
祖父が体勢を崩した途端、体を捻って木刀を引き寄せる。そして、祖父の右手に向けて木刀を振り上げた。
パッ!
祖父は杖を左手に持ち替えると、ラウダの腰を思い切り突いた。
うっ…。
ラウダは間隔を広げると右膝を床につき、左腰を押さえた。
「接近戦はリスクが高いと言っただろ?真剣なら死んでるぞ!」
そんなことはわかっていた。段々と力では敵わなくなってきた。間合いを取って戦うには、力が必要だった。
「まだだよ」
ラウダは立ち上がると、身を翻し、細かく打ち込んでいく。祖父はそれを片手で受け流す。それを何度も繰り返すと、ラウダの気配が一瞬消えた。
「なに?」
パン!
ラウダは祖父の肩に一撃をくらわせた。そして、祖父の喉元に木刀を突きつけた。
「やってくれたな?ラウダ」
パチパチパチパチ!
突然の拍手に、ラウダは振り返った。家の門の前に2人の男が立ってた。
「来たのだな?ガリ」
「クゥストス!久しぶり!!途中でいろいろあって、遅れたんだ。ごめんね〜」
その男の傍には、大きな男が怪訝な表情でこちらを見ていた。
「クゥストス殿は、目が見えないと伺っている。しかし、良い闘いでしたね。そちらの少年も動きが実にいい」
表情とは真逆の褒め言葉に、ラウダは少し混乱した。ガリはそれを表情から読み取る。
「あ、わかりにくいと思うけど。顔はこんなだけど、それなりに感動と敬意を示してるからね?この人」
「はぁ?」
「あっ、そうそう。俺はガリ、お祖父様の友達ね。で、こっちが相棒のウンブラね」
「これはワシの孫でラウダだ」
その説明に、ガリは不思議そうな顔をする。
「そうなんだ。手紙のやりとりでも書いてなかったから知らなかったわ」
「え?会うの久しぶりなのか?」
ウンブラには意外な話だった。パプチにはよく来ている。会う機会なら、いくらでもあった。
「まぁね、俺がクゥストスと会ったのはスノウ国で、すげー昔の話。まだ少年の頃かな?」
自分が知るクゥストスは完璧な剣士だった。この国に戻り、盲目になったと知ったが。信じられなかった。今、初めて目にしたが、正直、心の中は動揺している。
「じーちゃん!スノウ国にいたのか?」
「まぁな、一時期あちらで剣士をしていた」
「え———!そうだったんだ!すげぇ!!」
ガリはラウダを見つめる。クゥストスに子供はいるはずはない。まして、孫なんてありえない。そもそも、クゥストスの家族は全て死んでしまった筈だ。
ポン!
ウンブラはガリの様子から、その考えを読んでいた。その肩を叩くと、念で言葉を送ってきた。
【詮索はやめろ、関係ない】
ガリは軽く頭を振り、気を取り直すと、明るく微笑む。
「クゥストス、腕っ節がある、多国語を扱う通訳を用意してくれたか?」
「あぁ、ラウダに行かせるよ」
「は!?」
ガリとウンブラは顔を見合わせる。
「子供は困る」
「大丈夫だ、この子は五民族語、アクア、スノウ、サン、ヤマト国が話せる。銃、剣、体技は身についている」
「へぇ〜凄いんだ」
ウンブラは額に手を当たると、厳しい表情をした。
(これが世代交代の波なのか?アイツに続いて、また若い奴と行動するのか??)
「俺、17になるし。子供じゃねえ!」
プッ
思わずガリが噴き出す。その様子にラウダは睨みをきかせる。それは可愛さしかない。
プップッ
堪えきれず、更に吹き出した。
ガン!!
「いったぁ!」
ガリは頭を抑えると、ウンブラを睨む。思い切り拳骨がふってきた。
(こんな顔して、優しいんだよな)
「まぁ、お前達も隠密行動なのだろう。ワシの孫なら秘密は漏らさん、安心しろ」
クゥストスは杖をつくと、ふらりと家に向かう。
「まだ、出発には時間はあるだろ。茶でも飲んでけ」
ラウダもその後に続いた。
「俺、茶の準備するよ」
ガリはウンブラと目を合わせる。
「お茶だってさ」
「酒は?」
「お茶だって!」
「まじか?」
「まじだよ」
ウンブラは大きく背伸びをする。そして、落ちていた木刀を拾い、軽く振ってみた。
ん?
「これ、結構重いな……」
「え?ちょっと貸して」
ガリは受け取ると、ずっしりとその負荷を感じた。
「え?これ軽々と振ってたわけ?こえー」
フッ
ウンブラは愉快だと笑う。面白い奴が多い。最近稀にみる珍しい奴らだ。
「ガリ、あいつも一緒だったら、もっと面白いことになったかもな?」
「え?身売りされた、レオナルド?」
ガッン!
「いてっ!」
ガリは再び頭を抑えながら、ウンブラを睨む。
「今回は何か起こりそうだな?この国」
ウンブラは風に靡く桃の花を見上げる。その桃の可憐さは、愛おしい人を思い起こさせる。
(フィリアはわかっていたのだろうか?この国で何かが起こることを……俺にそれを見届けろというのか?)
ガリは、相棒の穏やかな表情をただ眺めた。




