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夢幻の姫君  作者: 紘仲 哉弛
第4章 天陽の冥暗
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25.トニー=ダウナー中将 10

 その暴動は内々に収められた。領地の中心部を襲った集団は、主力が率いる精鋭部隊に制圧された。アクアの捕虜に重傷者が出たが、命を落とす者はいなかった。


 中心部を襲った集団は、ヴィサスの主力が収容所に潜り込んでいることを突き止め、捕虜ごと始末する目論みを立てたが。見事に失敗に終わった。


 もし、彼等の思惑が実現していれば、ヴィサスは主力を失い、この地はまたラカス地区の預かりになったかもしれない。いや、鉱物499番が発見された今、各区の争いの種になっただろう。


 ラウダは首謀者を突き止め、容赦ない粛清を行った。ラカス地区のブスクラ家は当主を代えることになる。ヴィサスの自衛兵に混ざっていたネズミ達もあぶり出され、正常な機能を取り戻した。


「全部お見通しだったのか?」


 トニー=ダウナーがラウダに語りかけた。その粗雑な物言いに、背側のピーノは鋭い視線を送る。捕虜が主力と同等に話すなどあり得ない。


「いや、そうでもない」


 ラウダはトニーを見上げると薄っすらと微笑んだ。その姿は貴公子、トニー達が知る者とは別人である。


「お前がこの地の将軍だったとは……」


 トニーは気まずそうに口元を歪める。小間使いとして酷使したことを思い出す。


「何を言ってるんだ?お前とは初対面だが?」


「………」


 隣で控えるニバリは目を伏せる。その事実は表沙汰にしてはいけないことなのか……。


「お前達に被害を与えたことに謝罪する。必要な物資や治療は惜しまない」


 ラウダの言葉通り、次々と軍医が負傷者の手当てに当たっている。水や食料の搬入も始まった。


「いや、俺らは仲間を守りたかっただけだ」


「……少年から話は聞いている。お前達には助けられた」


 なにを……


 トニーは自嘲する。それほど大したことはしていない。


「……チビ……いや、あの少年は俺達にとって特別な存在だったよ……」


 トニーは柄にもないことを口から漏らす。チビと呼ばれた少年と過ごした日々が意外と楽しかった。


「……あの子も同じ想いだったようだ」


「………」


 ニバリはラウダの表情を盗み見る。表情は全く崩れないが、僅かに唇が震えていた……。


 お互い違う立場で、違う事情で出会っていたら、今とは別な関係もあったのかも知れない。深い因縁、敵同士という間柄でなければ、良い隣人、良き友になる可能性もあったはずだ。そんなことは仮定の域を抜けはしないが……。


 ニバリは複雑な思いで2人を見守った。


「半月後、お前をアクアに帰すことになった」


 ラウダはポツリと呟いた。


「??」


「政治的な取引による」


 その短い一言で、トニーは全てを悟った。アクア国が本格的に動いたのだろう。捕虜の交換取引で軍の責任者クラスは全て帰還している。残すのは自分くらいになったのだろう。


「いや、俺は隊と残る」


 上司の言葉に、ニバリは、またか!とグッタリとする。本当に頑固な人なのだ。さっさと自分達に見切りをつけ、帰ってくれればいいものを……。軍にとって、この人は価値のある人間なのだ。


「心配するな、全員一緒に帰してやる」


「なに?」


 ラウダは柔らかに微笑んだ。


「頑固者を帰すにはそれしかないからな」


 ニバリは目をパチクリさせる。それが本当なら、皆んな全員で母国の地を踏めるのだ。


「いや、この地での仕事はまだ終わっていない」


 頑として譲らない姿勢を見せるトニー。その頑固さにニバリは、わなわなと震えた。


 何かを言いかけるニバリに、ラウダは静かに手をかざした。


「整備の大半は終わっている。これ以上は必要ない」


「しかし……」


 トニーがそう言いかけた時、1人の男の声が割って入ってきた。


「戻る前に、トニー=ダウナーには尋問を受けてもらう」


 静かなその声には、変な重みと緊張感がある。その声の主は長身の男だ。黒髪とエメラルドの瞳が特徴的だ、表情は冷ややか、とても冷たい人間に見える。


「私はヴィサスの背側、主力を支える者だ、ピーノと言う」


「ピーノ!」


 ラウダの戒めにもその男は怯まない。むしろ、堂々とそれを遮った。


「トニー=ダウナー、お前とその横の者には我々と共に来てもらう」


「……」


 こちらに来るまでに、何度も尋問は行われてきた。中には身体や精神に痛みを伴うものもあった。多くの者はそれで全てを吐いてしまう。しかし、このトニーだけは何一つ漏らすことはなかった。


 ニバリは強張った上司の表情を見守る。この人はたとえ命を落としても、軍の機密を漏らすことはない。ニバリは自分が連れていかれることに少し安堵した。もしもの時にトニーを守れるのは自分しかいない。


「私が聞きたいのは一つだけだ」


 ピーノは冷ややかに微笑み、抗議するラウダを手で抑えた。この主力はまだまだ甘い……。


「何も話すことはない」


 トニーは頑として譲らない。その姿勢にピーノは軽くため息をつく。信念が強い男は嫌いではないが、相手にするには面倒だ。


「アウロラでの調査、その目的と成果。お前にはそれを話してもらう」


「なに?」


 それは思わぬ問いだった。


 確かにそれも軍の機密事項だが……それはアルデナ区が黙認している単なるフィールド調査に過ぎない。大した成果もなく、途中で打ち切られた調査だ。過去の尋問の内容に比べたら、世間話くらいのレベルだ。


「なぜそんなことを知りたがる?」


 逆に怪しく感じる。こちらに価値がないと思っているだけで、実は重要なことなのか。コチラが見誤っているとか?


「尋問をするのはコチラだ。お前に何の権利もない」


 ピーノはピシャリと言い放つ。そして、作った笑みを浮かべると話を続ける。


「大したことではない。昔話をして帰ってもらう、それだけだ」


 その言葉にニバリは苦笑いをする。トニーは取るに足らない情報すら、敵に漏らすことはない。信念の男なのだ。


 ピーノはニバリに視線を移す。この男は常にトニーと行動を共にしている。アウロラの件もご多分に漏れず。しっかりとアウロラ区の拘束者名簿に名を連ねていた。


「ニバリ、お前も例外ではないからな」


 突然、名前を問いかけられ、ニバリの動きは固まった。当たり前といえば当たり前だが、目の前の男は自分の素性も掌握していたのだ。だから、横の男と指名してきた……。


 トニーはピーノを睨む。自分のことはどうでもいいが、それがニバリなら話は別だ。


「止めないか!」


 ラウダがピーノを怒鳴りつけた。


「背側ごときが、俺の前に出るな!!」


 呆気に取られるとピーノを押し退けると、ラウダはトニーとの間に入る。


「お前は控えよ!」


 ラウダがピーノを嗜めると、周囲の剣士達に緊張が走った。この主力が声を上げることはほとんどなかったのだ。


「トニー=ダウナー、お前はお客様ではない。お前にも信念があるだろうが、その信念とお前の部下の人生、どちらが重いのだ?よく考えてみろ」


 その深緑の瞳は日々、対峙した少年の瞳だった……。熱く激しい、温かい優しい瞳だ。


「トニー=ダウナーの尋問は俺がする。わかったな?ピーノ!」


 驚いた顔をしていたピーノは、だんだんと表情を柔らかにした。心なしか嬉しそうでもある。


「あの者達を国は帰せ、この機会を無駄にするな。ニバリ!中尉が話せないなら、お前が話せ」


 ラウダは短く強い口調で言い放つ。


 その言葉に、トニーの信念は揺らぎ始めていた。いや、もしかしたら、もう既に崩れかけていたのかも知れない……。チビという少年に出会ってから……。


 トニーは、自分の信念を初めて曲げようとしていた。



 




やっと、トニーさんともお別れの時が近づいてきました。思ったより、長くなりました……。


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