22.トニー=ダウナー中将 7
トニー=ダウナーは紅髪の少年を黙って見つめた。汗と泥で真っ黒な子供、水浴びすらしていないのか酷い臭いを放っている。棒のように細い手足とボロ布の服を纏う。貧しいこの国の象徴にも思える。
しかし、この風貌からは想像もできない知識を持っている。少なくとも、アクア大学の学生を超える知能を持っている可能性が高い。あり得ない不可能な話だが……。考えられるとすれば、実は工作員で我々から情報を得るために潜り込んでいるという線だが……。
「トニー、話があるなら回りくどいのはやめて」
チビと呼ばれる浮民の子供は、椅子の上で胡座をかきながら頭もポリポリとかいた。その度に砂埃と何らかの老廃物が下に落ちた。それをニバリが確認すると酷い表情を浮かべた。
「お前は何者だ?」
「ヴィサス区の区民だけど?」
そんな当たり前の答えにトニーは目を細めた。こちらが聞きたいことは既にわかっているだろうに、口を割るつもりはないようだ。
「俺達に興味があって近づいたな?」
「それは否定しないよ、アクア兵がどんな奴か。有名なトニー=ダウナーはどんな奴か興味あるだろ?」
「庶民の子供が俺の名前を知っているだと?おかしいな?軍の関係者ならまだしも」
フッ、とチビが一瞬でも笑ったような気がした。
「へぇ、実は俺が優秀なスパイか兵士だとか?」
チビは両手を広げて見せた。それはある意味、余裕がある態度にも見える。子供が百戦錬磨の軍人に見せる態度ではない。よほど修羅場をくぐった熟練者か、単なる無知で愚かか、どっちかだろう。
ニバリは大きく頭を振っていた。
いくら何でも、インフィニタ軍がこんなか細い小さな子供を兵に徴用しないだろ……。まだ、スパイの方があり得る話だ。貧しい子供を育成する話はよく聞く。
「お前はインフィニタの諜報員?もしくは工作員だろ?」
チビはニッコリと微笑んだ。
「俺は、変わり者と兵の間で噂されていたトニー=ダウナーに会って見たかっただけだ」
トニーの眉がピクリと動いた。予想に反し、自分が目的だと言われれば嫌な気分になる。
「変わり者だと?」
ニバリは、「あ、なるほど」と妙に納得した。確かに面倒な捕虜であり、道理に合わないと受け入れない頑固者、その上司と敵国の責任者の間に挟まれ、ニバリはしんどい思いをしていた。ここの地に来て、それもだいぶ楽になったが……。
「面倒な捕虜、トニー=ダウナー。しかし、部下や同胞からの信頼は厚く、尊敬を集めると聞いた。どんな奴か見てみたいだろ?」
チビは面白そうにニコニコしている。
「で、どうだ?満足したか?」
「まあな」
トニーは重いため息をついた。物珍しさだけではないだろう、他にも思惑があるに違いない。正直に話すようで、そうでもない。これは本当に子供なのだろうか?
「ウチの兵を取り込もうと洗脳しているな?」
早々に本題に入ることにする。駆け引きでどうにかなる相手ではない。目の前の子供こそ、得体が知れない存在なのだ。
「取り込む?仲間に引き入れるってこと?」
「そうだ、兵士達に入れ知恵し、懐に入って逆スパイに仕立てるつもりでは?」
ブハッ!!
チビは大きく吹き出した。
「基本的に俺はあんたらを憎んでるけど?それって、あんたらを信じることが必要じゃない?どうしてそうなるわけ?」
「なに?」
トニーは、何故かその言葉に胸を突かれた。軽い衝撃だった。
とても当たり前で、とてもシンプルな事実だ。敵同士、和解することは難しい。命を奪い合う間柄だ。自分でも気付かぬうちに、同じ釜の飯を食った間柄に思えていたのか……。
「あんたらは人の土地にズカズカと入ってきて、俺の知り合いを殺し、めちゃくちゃにした。逆スパイ?馬鹿馬鹿しい」
チビは吐き捨てらように言い放った。その表情からは否応なく嫌悪感を感じさせられた。
「なら、なぜアイツらに本と知識を与えた?偽善か?施しか?」
チビの視線は迷うかのように彷徨い、それは苦笑いへと変わった。
「アイツらは嫌いになれないからだよ」
「え?」
思わず声をあげたのは、ニバリだった。
ついさっき憎いと言ったかと思えば、今度は嫌いになれないと言う。大きな矛盾に感じた。
「アクア国、アクア軍の兵士は憎い。しかし、アイツら1人1人は嫌いにはなれなかった」
むしろ、一緒にいて楽しい人達だった。チビはその想いを静かに飲み込んだ。
トニーはチビの想いを敏感に感じ取っていた。その複雑な思いは、この地で過ごした自分達にもあるものだ。人間の思いはシンプルにはできていない。
「部下の何人かがこの地に残り、この国の民になると言い出している」
チビは奇妙な表情を浮かべた。思ってもいなかった話なのだろう。それは複雑な思いを表してもいる。
「止めた方がいいだろ」
「敵は受け入れられないか」
「お互いにとって困難なことだ」
「………」
「この地で国民として認められるのに長い年月がかかる。自国に帰った方がもっと楽に生きられるだろ。帰ることを諦めたのか?」
人の気持ちは容易ではない。大切な人を奪われた者がその敵を赦すことは難しい。その不確かで長い年月を他国で過ごすことは幸せには思えない。
「その者達はアクアに帰っても居場所がなく、待つ者もいないらしい。この地に希望を見出した……いや、お前に希望を見出したのかもしれない」
「はぁ?俺!?」
困惑するチビを冷静に観察し、トニーはやっと納得できる答えがわかった気がした。あの者達が自分より選んだのは別の者だということを……。
「ヴィサスの将軍は、どこの民でも受け入れると言ったらしいな?お前を受け入れたこの地を、その将軍に未来をみたのかもしれないな?」
ニバリはあぁ、と頷いた。
大量の本を融通し、自分達に余暇を与えたのはこの地の将軍である。彼は人として自分達を扱い、知ること、考えることを尊重した。思想を強要することもなかった。現に、配給された大量の本の内容は偏らず、バランスが取れたものだった。そして、教師代わりになったチビは、理想の先生であった。
チビは頭をくしゃくしゃと掻きむしった。
そもそも、敵兵に何かを求めていたわけではない。貪欲に知りたいと目をキラキラさせる人達の願いを叶えてやりたくなっただけだった。
いや、もしかしたら、この人達が国に帰れば周りの人を少しでも変えてくれるのではないか、という淡い期待を持っていたかも知れない。同じようにインフィニタも同じ人間の国だと気づいてほしい、という甘ったるい気持ちがあったかも知れない。
「まぁ、その将軍様と話してみろ」
今はそう言って逃げるのが、精一杯だ。
「それまで、俺達が生きていればだがな……」
トニーはニバリと目配せする。
「そうですね……」
ニバリは緊張した表情で同意する。チビはその2人のやり取りを見つめた。
「チビ、お前は早く収容所から出た方がいい」
トニーの言葉に、ニバリも同意するかの視線を向けた。
「多分、今日か明日には襲撃される」
チビは目を見開いた。
気づいていたのか……。
さすがと言おうか、当たり前だと言おうか。
「インフィニタの兵がいるだろ?誰に襲撃されるって言うんだ?」
これは確認に過ぎないだろう。この者達がどれほど精鋭としての力量があるのか。
「インフィニタも一枚岩ではないのだろう。内紛に巻き込まれる」
チビは心の奥底で微笑んだ。やはり、この者達は本当の精鋭部隊なのだ。
「それが本当なら、あんたらどうするわけ?監視官に言わないの?あんたら武器すら持ってないよ?」
ニバリはトニーを止めるかのような視線を投げかけたが、トニーは軽く拒絶した。
「監視官の周りの奴に内通者がいたとしたら?そもそも、俺達の言葉など信じないだろ」
トニーはマジマジとチビを見つめた。
「お前が将軍に話してくれないか?俺の予測を」
「……なんで………」
ニバリは驚いた顔をしている。上司がこの子供に信頼を向けていることに今気づいたからだ。
「お前なら託せる」
チビはポカンと口を開けた。どうして自分なのかという疑問は消えない。
「そして、お前の言葉なら将軍は信じる気がする」
「え?」
「伝え聞くこの地の将軍は、お前によく似ているからな」
チビは驚き、言葉を返さずにいた。それに構わず、トニーは話を続ける。
「俺の隊は、できる限りここの地を守る。その代わり願いが一つだけある」
この話は事前に打ち合わせていない話だ。ニバリは止めに入ろうとするが、トニーは目で威圧する。その覚悟をチビは静かに受け入れた。
「願いって、なに?」
トニーはとても美しく笑った。安堵の笑みであろうか?
「俺の部下の命を救ってほしい。生き残った際には、アイツらを国に帰してほしい。もっと我儘を言えば、この地に残りたい者を受け入れて欲しい」
そこにはトニー=ダウナーの命についての取引はない。そもそも、それは払うべき代償だと既に決まっている。
チビは複雑な表情を浮かべると、ポツリと言った。
「善処する」
ニバリは目の前の2人を不思議な気持ちで見ていた。子供に大将が協力を求める姿は滑稽に思えるはずだが……むしろ、大将同士のやり取りにも思えた。
不可思議な少年……。
ニバリはチビから目が離せなかった。




