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夏にまどろむ夢を見る  作者: 森川珂名
4/5

4 夕立(2)

 しばらく雨音と雷鳴が続いた。

 碧は佐良の腕に守られ、音が徐々に遠のくのを聞く。


「好きなんだ、本当に、碧のことが」

 ふいに佐良が言った。いつものような耳に触れるだけの言い方ではない。碧は目を開け、佐良の腕の隙間から部屋の向こうを見つめた。

「碧は俺のこと、軽い男だと思って警戒してるかもしれないけど、嘘じゃないよ」

 ひとつずつ選ぶような言葉が、佐良の胸を通して聞こえてくる。

「完全に便乗してるけど。しばらくこうさせて」

「……いいよ」

 碧が佐良の胸に向かってつぶやいた。

 佐良がみじろぎした。

「……本当?」

「だから、いいって」

「……やばい、抱いてしまいそう」

「そこまでは許してない」

 頭の上で佐良のひそやかな笑い声が聞こえた。

「好きだよ、碧」

 佐良の鼓動が耳に伝わる。

 嵐のように降り注ぐ雨音と、雷鳴が碧を迷わせる。

 佐良はどんな人なのだろう。

 碧よりずいぶん年上だ。多分十歳ぐらいは。こうして誰かを抱きしめることにも慣れている。ここを離れる時には、簡単に別れるのかもしれない。あっさりと、あっけないくらいに。碧にはそうできる自信はない。嘘じゃないという言葉を、どのくらい信じていいのかわからない。先がどうなるかもわからない。

 佐良の甘い匂いがする。

「碧」

 佐良の指が碧の頬に触れ、碧は顔を上げた。

 目にかかる前髪をかき分ける。黒い瞳が碧を見つめていた。長い睫毛が薄く伏せられ、顔が傾く。唇が近づく。碧は目を閉じた。

 だめだ。

 碧は佐良の胸を押し返し、腕から逃れた。はずみでカウチから転げ落ちる。佐良が腰を浮かせ、延ばした手を避けるように碧は立ち上がった。佐良の驚いた表情は、碧を見るなり寂しげな笑みに変わった。

「碧、ごめんね」

「……顔洗ってくる」

 背を向け、居間を出た。後ろで小さくため息が聞こえた。


 蛇口をひねり、勢いよく出た水を受けて顔を洗い流す。洗面台の横に下がるタオルで拭き、明かりもつけないまま暗い鏡を見た。自分の表情はよく見えない。

 碧は鏡に額を押し付け、ひとつ息をつくと居間へ戻った。


 佐良は縁側でカーテンを開き外を見ていた。いつの間にか夕立は去り、空は明るい。

「帰るよ」

「……うん」

 佐良はそのまま玄関へ足を向けた。碧はあとを追った。

「じゃあ、またね」

 スニーカーを履き、上がり框に立つ碧を振り返る。

 何を言えばいいかわからなかった。

「そうだ。プリン買ってきたんだよ。冷蔵庫にあるから食べて」

「餌付け?」

 佐良は目を開き、笑った。

「そう。餌付け。胃袋押さえようとしてんの」

 じゃあね、と佐良は玄関を出た。

 佐良の影は扉のすりガラス越しに遠ざかって見えなくなった。


 碧は台所に行き、冷蔵庫からプリンを取り出した。コンビニで売っている、どこにでもあるメーカーだ。

 居間に座ってフタを開け、一口食べる。甘い味が口に広がった。餌付けか。なんだか笑えてきた。

「佐良」

 さっきまでここにいた人の名を呼ぶ。

 胸苦しさが押し寄せる。スプーンを持ったままテーブルに頬をつけた。

 佐良が開けたままにしたカーテンの隙間に、夕立が去った空が明るく広がっていた。

 自分を見つめていた、佐良を思い出す。

 碧は身体の奥から湧くような息を吐いた。








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