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夏にまどろむ夢を見る  作者: 森川珂名
3/5

3 夕立(1)



 梅雨が明けた途端に、地中に眠っていたセミが一斉に目を覚まし、にわかに騒がしくなった。

 日差しは日ごとに威力を増し、熱気が優勢になりつつある。


 碧は先日奥の物置部屋で見つけた(とう)のカウチに寝そべっていた。

 足がはみ出てしまうが、寝心地はまあまあだ。

 長年使い込まれて、背もたれの網目が破れている。丁寧にカバーがかかっていたので埃が積もることからは免れていた。これを居間に据え、昼寝をするのがここ数日の日課になっている。


 扇風機が首を振り、微風を運ぶ。

 古い家の匂いがする。祖父母がいた頃を思い出す。

 子供の頃は夏休みになるとここへ遊びに来ていた。両親よりも数日早く来て、夏が終わる直前までいた。碧にとって走り回るだけでも楽しい場所だった。

 染みのある天井を見上げていると、今がいつで、いくつなのかわからなくなる。まぶたが落ちかけ、夢と現実の境も見えなくなる。

 風がそよぎ、首元から汗と共に熱を奪っていく。眠りに入る直前の鈍った頭で音だけを聞く。

 降るようにセミの声がする。


 玄関の扉が開いた。誰かが帰ってきたようだ。祖母が買い物に行っていたのだろうか。

 足音が近づき、離れ、しばらくしてまた近づくと碧にそっとタオルケットをかけた。碧はそれを胸元に引き寄せた。


 眠りに沈んでは浮き上がる。

 沈んで、浮き上がり、また沈み、さらに深く沈む。


 顔にやわらかい風が当たる。

 妹と並んで昼寝をするときに、祖母はゆっくりと団扇をあおいでくれた。ちょうどよい温度と微風が足元を通り、腕をすり抜け、また顔を撫でる。

 隣で寝息が聞こえている。寝返りを打つと、手の甲に別の手が触れた。その手が碧の手を探り、にぎる。気持ちの良い感触だった。碧もにぎり返した。

 そのまま意識がまた深く沈んだ。



 次に目を開けると薄暗い部屋の中、すぐ近くに佐良の顔があった。

「え?」

 碧は思わずのけぞった。

 佐良をうかがうが、起きる気配はない。

 ふと見ると碧の腰のあたりにはタオルケットが絡まっていた。佐良がかけてくれたのだろう。佐良はしっかりと碧の左手をにぎっていた。互いの手のひらが汗ばんでいる。夢ではなかった。

 どうしようかと、横になったまま佐良の顔を見た。

 佐良は気持ちの良さそうな寝息を立てている。

 微妙なバランスで、頭をカウチの座面にひっかけるように乗せている。

 閉じられたまぶたは白く、睫毛が長い。きれいに通る鼻筋と、その下で唇は軽く結ばれていた。

 こうして見ると、かなりきれいな顔だ。眠り姫ならぬ眠り王子か。王子ならば、姫のキスで目を覚ますのだろうか。でも、まだ目覚めないで欲しい。もう少し寝顔を見ていたい。

 甘い香りが漂う。誘われるように碧は顔を近づけた。

 胸が高鳴る。

 ゆっくりと佐良の唇へ向かって指を近づけた。もう鼻先まで届こうとしている。触ったら、起きてしまうだろうか。

 佐良が動き、碧はとっさに手を引いた。佐良の頭がカウチから落ちる。握力が緩み、碧はにぎられていた手も離した。


「いて」

 カウチの足に額を打った佐良が声を上げた。

「……やばい、寝違えた」

 寝起きの声だ。首をさすりながら身体を起こす。

「碧、どうしたの」

「なんでもない」

 佐良は状況がつかめない表情でカウチに横になったままの碧を見下ろしていたが、窓の外に目を移した。

「暗くなってきたね。夕立が来そうだ」

 碧も起き上がり、振り返った。たしかに雲がだいぶ厚くなっている。今にも降り出しそうだった。

 佐良はカウチに手をかけ立ち上がると、洗面所借りるね、と部屋を出て行った。


 碧はカウチの上で茫然と佐良が消えた廊下を見た。

 佐良がじわじわと侵食してきている。

 碧を好きだと言った、その言葉がただ気に入ったという意味ではないのはわかっている。佐良を避けるような態度を取りながら、拒まなかった。本気で追い返すつもりなら、そうできたはずなのに、しなかった。

 佐良が入り込むのを許してしまう。

 かと言って心を許すのは怖かった。

 全部奪われそうだったからだ。嵐に巻き込まれるように、佐良に傾き、最後には何もかもなくなってしまいそうな感じがした。だから近づきたくなかった。

 多分好きになりかけている。

 足音を聞き碧は顔を上げた。居間へ戻ってきた佐良が少し頭を下げ、鴨居を潜るところだった。

 ひとつふたつと雨音が立ち、一斉に大粒の雨が地面に落ち始めた。


「降ってきたね」

 窓の外を見ながら、佐良が居間に足を踏み入れる。

 稲妻が閃いた。

 間を置かず雷鳴が大きく轟く。

 とっさに碧は腕で顔を覆い、うずくまった。

 佐良は碧を一瞥し足早に居間を通り抜ける。縁側の窓とカーテンを閉めてまわる音がした。

 居間に戻ると蛍光灯の紐を引き、明かりをつける。碧の横に腰を下ろすと、うつむく顔を覗き込んだ。

「雷、嫌い?」

「……昔、この近くに落ちて」

「もう大丈夫」

 佐良は碧の頭を引き寄せ、碧は落ちるように佐良の胸に抱かれた。子供を落ち着かせるように背中を叩く。

「雷、落ちたら怖いよね」

 佐良の体温が熱い。

 冷静な声とは裏腹に、佐良の鼓動は早かった。

 膝を曲げ、もたれる碧の髪を佐良は抱きしめた。

「緊張しないで。……って言っても、するよね。俺がしてるから」

 佐良が静かに言った。そしてゆっくりと息を吐く。

 心臓の音が止まない。

 ふたたび雷が大きく鳴った。膝を縮める碧の身体を抱く腕に、佐良は力を込めた。





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