6話
白い衣装を身にまとった男は怒声とともに、無数のツララを夕麻に向けて放った。
(ちょっ、いきなりかよ!アナナキの真空波の比じゃねぇぞ!)
夕麻は資料集を手に持ったまま両手を前に突き出し、可能な限り強固な壁をイメージした。
ズズ… ゴゴッッ!!
夕麻の前に赤い壁が一瞬にして現れ、
ガコッ!、ガキッ!、バリバリバリ…
その壁の向こうから、物騒な音が鳴り響くのが聞こえてきた。
「私の氷戟を防ぐとは、なかなか腕のある奴のようだな。この程度では王国民には生ぬるいということか?」
ぼそぼそと壁の向こうから聞こえ、再び魔法を放とうとしている様子が感じ取れる。
(この状況、どうすればいいんだ…。まだ魔法の加減が難しいし、下手するとこの辺一帯焼いちゃうかもしれないし…。あっ、そうだ!)
その時、夕麻は草薙の剣の存在を思い出した。夕麻は草薙の剣の鞘に左手を、柄に右手を置き、抜き放った。それと同時にあたり一面に霧が漂い始めた。
「何を企んでいるんだ貴様、こんな霧で逃げられるとでも思っているのか?」
男が何か言っているが、そんなものは夕麻の耳には入っていなかった。草薙の剣のオーラと美しさ、そして湧き上がる力の奔流に、夕麻はしばし動けなくなっていた。
人類が思い描いてきた理想・感情・憧憬から生み出されたその剣は、まさしく「最強」であった。
(すげぇぞ、てかやべぇぞコレ!チカラが、高まる…溢れる…!でも刀じゃないのがちょっと残念なんだよなぁ。)
夕麻は柄をしっかりと握りしめ、壁を見据えて構えた。戦う意気が整うとともに、剣からはさらなる力が漲ってくる。
「魔法に対して剣で挑むとは、貴様はこの私を侮っているのか?」
左から聞こえてきた声に夕麻が振り向くと、顔の横を大きなツララが掠めていった。
(剣道も何もした事ねぇけど、なんとかなるか…!)
グッと足に力を入れ、地を蹴って夕麻は走り出す。杖をこちらに向けた男を目掛け、草薙の剣を構えて突貫していく。
「そうか、私を侮辱しようというのか。ならば私の切り札の前になすすべなく死ぬが良い!」
そういって男は、夕麻に向けた杖を呪文とともに振った。
「氷獄!」
ゴゴゴ……バキバキバキッ!
夕麻の周りを囲う高い氷の壁が現れ、走っていた夕麻は危うくそれにぶつかりかけた。壁の表面には小さなトゲが無数に生え、少しずつ伸びているようだ。
(アイアンメイデンならぬ、フロストメイデンってか?このままハリネズミになるつもりはないぞ)
剣を右手に持ち、左手を刀身にかざし火を纏わせる様子を脳裏に走らせる。すると赤い炎が刃に宿り、壁から伸びるトゲを溶かし始める。その様子を見て夕麻は壁に向き直り、剣を両手で横に振りぬいた。
ジュウウゥゥゥ…
氷の壁は一瞬にして氷から蒸気へと昇華し、目の前にはおかしいものを見たという表情の男がいた。
「これが切り札なのか?今度はこっちの切り札でいくぞ」
柄を強く握りしめ、すべての力を剣へと流し込む様を心に描く。胸の内で像が鮮明になるにつれ、剣は光を帯び、纏わる炎は青く揺らめく焔へと変わり行く。
(これでよし… さっきまでのお返しといくか)
先ほどのように壁で行く手を阻まれないよう、自分が加速するイメージを浮かべて走り出す。すると、夕麻の体は急激に速度を上げ、一気に男の前にたどり着いた。
「そいや!」
軽い掛け声とともに夕麻は腕を振り、
ボォォッ!
剣は青い尾を引きながら、男の「杖」を消し炭にした。そして夕麻は鎮火する像を剣に重ね、軽く振って鞘に収めた。それとともに、 周囲に立ち込めていた霧が晴れていった。
武器を失い呆然と立ち尽くす男に対し、夕麻は翻訳器のカーソルを『東部ムー語』に合わせて語りかけた。
「この程度で許しておくか。アロン様の従順な教徒を、その目の前で燃えカスにするのは気が引けるしな…」
そう言いつつ夕麻は、透明化したアロンの方に視線を向けた。
「なぁ、隠れてないで出てきてくれ」
「我のことか?」
夕麻が登場を促すと、世界樹の陰から透明化を解除したアロンが歩み出てきた。男はその姿を見た瞬間、驚愕の表情を浮かべるとともにサッと地面にひれ伏した。そしてややおかしな敬語でアロンに尋ねた。
「あ、あ、アロン様で、あらせられますでしょうか?」
「うむ、我こそは全生命の主である世界樹、アロンである。先の戦闘、しかと見ておったぞ。お主は何が故、そこの少年の命を奪おうとしたのだ?」
「そ、それはもちろん、この聖域で愚かにも炎を放ち、アロン様に危害を加えようとした不浄なる者だったが故です」
いつの間にか『東部ムー語』を話しているアロンだったが、その男の回答を聞くと顔をしかめ、『西部ムー語』で男に問いかけた。
「本当にそれが理由であると、お主の敬虔にかけて誓えるか?」
「!? なぜアロン様とあろう方が裏切り者共の言葉を話されるのですか?」
男は、夕麻が間違えて『西部ムー語』で喋ってしまったときのように、憤怒の表情を露にした。アロンは言葉を『東部ムー語』に戻し、男に諭すように語りかけた。
「敬虔なる者である以上、すべての生命に対して平等でなければならない。これは我が敬虔なる者と認めたすべての教徒に課された使命でもあると、お主も熟知しているはずであろう?」
「はい!八方が魂、主とともにあり。もちろん存じております。しかし…」
「たとえそれが、かつての争いで我を支配しようとした国の者であっても、それは変わらぬぞ。かつてのその国の指導者が犯した罪を、今を生きる国の民が償う必要はないであろう?」
男はそれを聞き、突然顔を上げて語気を強めていった。
「アロン様はそれで良いのですか!?」
「もう一世紀以上前のこと、我は寛大に許そうと思って居るぞ」
「もしかしてその恩赦のために、わざわざ姿を現されたのですか?」
うむ、という風にアロンは頷いた。男は少し納得いかないといった様子で、しばらくそのままひれ伏していた。
(はぇ~、男の様子からしてよっぽど凄惨な戦争だったんだろうなぁ。っていうか顕在化したのは俺の、というよりこの杖の影響のはずじゃ…)
夕麻がなにかを言おうとすると、アロンは目線をちらりと夕麻に向け、無言の圧力を放った。
(言わない方が神秘性を保てるってことか?教徒を従えるのは大変だな〜)
「ところでお主、その顔はもしや、シャドラクではないか?」
「えぇ!そのとおりで御座います」
「やはりそうか、昔と変わっておらんようだな」
「…ん?どういうこと?」
シャドラクと呼ばれた男とアロンとが互いに面識あることに、夕麻は混乱した。もし、自分が考えていることが正しいなら、男はとんでもない長寿ということになるからだ。
「なぁ、あんた何歳だ?」
「150歳だ。次からは口を慎むんだな、少年」
(おじいちゃんだったか〜。それにしては若すぎるよなぁ。)
どう見ても20代にしか見えないシャドラクを見ながら、自分の考察が正しかったのだと確信する。男は『ムー侵攻』の時、顕在化したアロンの姿を見たのだ。
「どう見ても20代の見た目じゃないか?」
「それはもちろん、アロン様の力のおかげだ。さっき、お前が消し飛ばした杖を覚えているだろう?」
「あ〜、なるほど」
少し嫌味げにシャドラクは返答したが、夕麻はそれを聞いてただ納得していた。
「お前は自分がしたことをわかってないようだな。アロンの杖という尊い物を、この世界から一つ失ったのだぞ?」
「いや、また頼んだらもらえるんじゃないのか?」
「そういう問題ではないのだがな…」
二人がやり取りをしているところへ、アロンは静かに近づいてきた。
「ところでシャドラクよ、この少年はネルガルからの使者だというのだが…」
「使者、ですか?歴史書でしか見たことがない存在ですし、羽も見当たらないようですが…」
それを聞いていた夕麻は、見せつけるように羽をバサッと出現させた。
「大きくて場所を取るから、普段は仕舞っているんでね」
「ええぇっ!!?本物の使者様で御座いましたか、これは大変な無礼を働いてしまいました。それで、どのような使命ではるばるこの地まで降りてこられたのでしょう?」
(えっ、どうしよう。ここまでは考えてなかったなぁ〜。アナナキの言葉をそのまま話そうか)
「ヨルドに降り立って、文化や技術を体験して来ること、だな。具体的には、現地の人々と交流、生活、あるいは探索といったことをして報告するという具合だ」
「私達のことをもっと見てもらえるチャンスというわけですか。
しかし、なぜ最初に西部ムー語で私に語りかけたのでしょう?私が帝国民であることは、全知全能であるはずの天からの使者様であれば、分かっておられるはず」
シャドラクは胸中に生じた疑問を素直に投げかけたのだろうが、夕麻にとっては嫌味にしか聞こえなかった。
「使者といっても、さっきアロンの言ったとおりネルガルから来た使者だからな。ヨルドのことはよく知らないんだ。
どうして言葉が通じているか、とかその辺りはちょっと言えないが、理解してくれ」
アロンへの説明の時より、夕麻は少し言い訳多めに返答した。
「それなら仕方がないかもしれないですね…」
「まぁ、そういう訳だ。良ければ近い街か都市か、どこか人のいる場所に連れていってくれないか?」
案内してくれる人がいたほうが、現地の事情とかが分かりやすいと思い、夕麻はついでに依頼した。
「お言葉に答えたいとは思うのですが、私はこの聖域を警備するという任がありますので…。私の知り合いを代わりに遣わせましょう」
そう言うとシャドラクは右手を天に向け、固まった。
「杖がなかったか…」
そう言ってシャドラクは手をおろし、気まずそうな顔をこちらに向けた。