5話
世界樹の影から突然現れた、明らかな「強キャラ」オーラを放つライオンに対し、夕麻はゲームオーバーの危機にあった。
(あー、やばいなー。しょっぱなから裏ボスに出会っちまったよ…)
徐々に近づいてくるライオンを前に、夕麻はやけくそ気味に杖を抜き、構えた。
「ほう、その杖が源泉だったか…」
スッと、周囲に充満していた威圧感がなくなり、ライオンから発せられていたオーラが引いていった。なんとか生き延びたと、夕麻は肩をおろす。そして何気なくライオンの頭上を見ると、【古代ヘブル語】と表示されていた。夕麻は、視界の端にある翻訳機能のカーソルをそれに合わせた。
「我がこうして顕在化したのは何年ぶりであろうか。」
なぜか杖を見るなり牙を収めてくれたライオンは、何かを懐かしむようにあたりを見渡していた。流れについていけない夕麻は、とりあえず杖を収めた。もたつきながら資料集をカバンから取り出し、最初の方のページをパラパラとめくると、「樹暦2680年」とあった。
「えーっと、2680年みたいだな」
「お主、我の言葉が分かるのか?不浄な者ながら博学なようだな。…そうか、もう130年も立つのか」
ライオンは、遠い日のことをを思い出すように空を見上げた。夕麻は状況を把握するべく、資料集に小声で問いかけた。
「樹暦2550年の出来事は?」
パラパラとページがめくられ、ヨルドで起きた出来事の年表が表れた。
"樹暦2550 : ムー侵攻(2545~)終結。"
(戦争かぁ。魔法世界での戦争なんて、想像もつかないなぁ…)
「若いお主は知らないのだろうな、我の力を求め、世界中の数多の人が争った歴史を」
「世界中が求めるって、あんたはいったいどんな力を持っているんだ?」
夕麻はそういいつつ、索引から世界樹を探し、ページを開いた。
「我は世界樹、名をアロンという。世界樹はこの『ヨルド』上すべての生命そのものだ。それ故、我には命を司る力がある。生老病死の苦、すべての与奪を握っていると言えよう。この力に惹かれ、己が欲のために争うものが絶えぬのである。」
ライオンはアロンと名乗ったが、どこかおかしい。世界樹と言っているが、喋っているのはライオンなのである。
「ちょっと待ってくれ。じゃあ、喋っているあんた自身はなんなんだ?」
「この獅子の体か?これは、我が意識が顕在化した姿だ。この姿として現れたのは寸刻前に行った通り、実に130年ぶりだ」
「どうして長い間顕在化してなかったんだ?」
アロンは空を見上げてしばし考えた後、困惑気味に話し始めた。
「実態のない、木の意識の状態が本来のあり方なのだ。顕在化はやろうと思ってできること、というわけではないのだ。本当にごく稀に、我が身の内から力が湧き上がるような時がある。その時にのみ、顕在化することができるのだ。」
「あっ、そういうことか…」
夕麻は顕在化の詳細を聞き、あることに気がついた。腰に収めてある杖に目をおろし、悟る。
(この杖の影響だな〜。そういえばさっき、【源泉】とかなんとかって言ってたなぁ)
「そう、そういうことだ少年よ。久方ぶりの顕在化、礼を言うとしよう」
「あ、どうも…。それよりも、最初に言ってた不浄な人間って、どういう意味なんだ?」
「我の敬虔な信者ではない、ということだ。敬虔であると我が認めた信者ではない時点で、不浄なのだ」
手元の資料集になんとなく見ると、先程開いたページに、「世界樹の信仰」についての記述があった。
『アロン世界樹は、世界中の人々から熱い信仰を集める、樹齢約2600年の大木である。
この世界樹に対する信仰は【アロン教】と呼ばれており、現実世界における3大宗教を凌ぐ規模を誇る。教徒たちはこの世界樹に認められるべく、アロン教の名の下での善行や奉仕活動等を行う。それにより名声や人徳を集め、世界樹に敬虔さを訴えるのである。』
(認められることがそんなに大事なのか?それで何になるんだ?)
「なあ、あんたが認めるってのは、一体どういうことを表すんだ?」
「我が認めるという事は、我の【生命を司る】という使命と、それを果たすための力を任せる、という事を意味する。敬虔な者、清らかな者にこそ、任せられる使命なのだ。」
(なるほどなぁ。認められれば、永遠の命も夢じゃないってことか)
「その力って、具体的にどんなものなんだ?」
「我の一枝に力を注ぎ、杖として与えるのだ。この杖こそ、我に対する献身の証であり、生きとし生ける物を救う使命の証【アロンの杖】なのである。
しかし、お主の持っているその杖は、アロンの杖を凌駕する力を持っているようだ。お主、いったい何者だ?」
不審なものを見る目で尋ねてくるアロンに対し、夕麻の胸中は穏やかではなかった。
(やべぇぞ、一番聞かれちゃいけないやつだ。どう切り抜けるかねぇ…)
冷や汗が背中を伝い、ごまかせない状況に目が泳ぐ。己を偽るために、脳が海馬を漁り、シナプスが火事を起こす。
刹那の間に、脳は自分の起こした火柱を思い出していた。
(そうだ!あの火柱で下り立ったとか、そんな感じにしよう。どこからにしよう……。月にするか)
夕麻は、実にコンマ1秒ほどの間に下された解によって、アロンという神聖な存在を欺き始めた。
「あんた、さっき近くに火柱が立ったのが見えたか?」
「ああ、しかと見たぞ。誰かは知らんが、我が聖域で火遊びをするとは、愚かなことだな」
「あれ、俺が降り立つときの天のハシゴだったんだ。許してくれ」
アロンはそれを聞いた瞬間、更に困惑した表情を浮かべた。
「天からの使者、という訳か。しかし羽がどこにもないようだが?」
「羽なら仕舞っているからな。ちょっと待ってくれ」
そう言って夕麻は杖を腰に収めたまま、ヨルドの上空から落ちてきた時のように、羽を生やす像を強く描いた。
バッサアアァァァ!
ギアの関係で、落下時ほどの大きさではなかったが、十分に立派な羽が夕麻の背中に現れた。
「どうだ、これで信じてくれるか?」
「…もう一つ聞こう。天の使者であるお主が、なぜ我を知らなかったのだ?」
「俺は天、といっても赤い月から来たからな。地上のことはよく知らないんだ」
「赤い月…。ネルガルのことか。」
どうやら、赤い月はネルガルと呼ばれているようだ。再びアロンが考え事を始めたため、夕麻はとりあえず羽を消し、月の情報を集めるべく、資料集に小声で問いかけた。
「月の情報をだしてくれ」
ページがパラパラとめくられ、4つの月の写真が現れる。それらとともに、ヨルドの人々による月の信仰に近い価値観が綴られていた。
『ヨルドの空に浮かぶ4つの月は、世界樹に次ぐ信仰を集めている。しかし信仰といっても、宗教的なものではない。ヨルドの人々は月を【魔法の源】と考え、信仰しているのである。また、
赤い月は火を司る【ネルガル】、
青い月は水を司る【トト】、
黄色い月は土を司る【イシュタル】、
白い月は風を司る【マルドゥーク】
と呼ばれている。』
(なるほどなぁ。月が魔法に関係あるってことは、なんとなく分かっていると…。)
「そうか、月の使者ならばその杖の存在もおかしくはないな。では、降り立った理由を聞くとしようか」
アロンがそう言い終えたとき、夕麻の後ろから何者かの声が聞こえてきた。
「アロン様!アロン様!ご無事ですか!」
夕麻が振り向くと、声が聞こえてきた方向の林から、白い衣装を身に着けた若い男が息を乱しながら現れた。そして夕麻を見るなり、男は手に持っていた杖を構え、キッと睨みつけた。
「貴様だな、さっきの火柱は!」
「ちょっと待ってくれ!確かにさっきの火柱は俺が原因だが、話を聞いてくれ」
夕麻はそう言いつつ、徐々に男から後ずさる。杖の効果が男に及ばないようにするためである。
「貴様何を言っている、よくわからない言葉を使って!さては、帝国民ではないな!?」
その言葉にハッとなり、男の頭上を見てみると、【東部ムー語】とあった。夕麻は焦りながら言語のカーソルをそれに合わせた。しかし、慌ててカーソルを動かしたため、実際は【西部ムー語】となってしまっていた。
(こいつ白い服着てるし、アロン様って言ってたし、たぶん敬虔な教徒ってやつだよな…。それなのに、アロンが喋る古代ヘブル語もわかんないのか)
アロンに助けを求め夕麻は後ろを向くと、そこにはライオンの姿はなかった。慌てて鑑定をフル稼働させて探してみると、世界樹の陰に【アロン(透明化)】と表示が出た。
(俺を試すっていうのか!?まだ信用されてないってわけか…仕方ない、俺自身で場を収めるしかないか)
「なぁ、ちょっと落ち着いてくれよ」
夕麻が喋ったとたん、男は目をクワッと開いて顔を真っ赤にし、憤怒の表情を露わにした。
「貴様ァ!王国民かァ!!」
男は怒声を上げるとともに杖を振りかざし、無数のツララを出現させた。
「アロン様の前で死ねぇ!」
強烈な殺意のこもった咆哮とともに、男は夕麻に向かって杖を振り下ろした。