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偵察

 初音はひっそりと垣根の隙間を覗き込んだ。向こう側は祝勝会の会場で、大勢が宴席を楽しんでいる様子がうかがい知れた。


(どれが"彼"なの?)


 勢いで飛び出してきてしまったけれど、初音は夫である章継あきつぐの顔を知らない。着物や態度で割り出そうとしても、こう距離があっては誰も彼も同じに見える。

 その時、すぐ近くで高い笑い声が響いた。視線を向ければ、男女の一団が楽しげに騒ぎながら目の前を横切っていく。おもしろくないのは初音だ。


「……何よ」


 肝心の探し人は見つけられず、苛立つ気持ちをぶつけるように小さくつぶやくと、今しがた通り過ぎていった一団の中で男がひとり、振り返った。

 垣根越しに目が合ってしまい、初音は自分のうかつさを悔やむ。男は初音の姿に気づくと、へらりと笑った。深酒のためだろう、男の瞳の縁は赤らんでいる。


「おい、そこの。こちらへ来たらどうだ。一緒に飲もう」


 親切か下心がわからないが、酔っ払いを相手にするのは遠慮したい。


「いえ、結構です……!」


 初音は踵を返すと、一目散に駆け出した。足がもつれんばかりに駆ける。息が切れ、肺は痛み、胸が苦しい。

 石灯籠を追い越して、その陰に隠れるように背中をつける。肩を大きく上下させながら振り返ると、遠くにぼんやり宴の灯りが灯っているのが見えた。

 声をかけてきた男の姿はない。あんなに酔っていては走ることも難しいだろう。ともかく危機は去ったことに初音は安堵した。すっかり上がってしまった息を整えるために肩をあえがせながら、周囲を見回す。


 見覚えがない。どうやら行きに通った道筋とは違う方向へ来てしまっているようだ。一瞬戻ろうかと考え、すぐに思い直す。また誰かに見つかっては面倒だ。

 庭伝いに歩いていけば、どこかで知っている場所に出るだろう。そう考えて、初音は歩き出した。成果も得られずすごすごと帰ることになったのは悔しいが、あの場で騒ぎになるよりましだ。


 しばらく行くと、ふわりとぬるい風に乗って、甘酸っぱい香りが漂ってきた。独特の甘い香りを大きく吸い込む。故郷の屋敷の庭でもこの時期よく嗅いだ、なじみ深い香りだった。


「あった」


 小さくつぶやいて、匂いの発生元に近づく。杏の木。橙色の実が鈴なりに生って、ほの甘い芳香を放っている。目の前にどうぞ食べてと言わんばかりに大きな実が生っているのを見て、ひとりでに口の中に唾液がにじみ出す。

 左右に目線を走らせて誰もいないのを確認すると、初音は素早く実をもいだ。手のひらに乗る大きさのそれを袖口で軽く拭い、まん丸に太った果実にかぶりつく。

 ざらついた皮に歯を立てると、果肉は締まっていて酸味の中にほのかな甘みを感じた。


(まだ完熟には早いけど、おいしい)


 ふた口三口とかじり取り、最後に種まで口の中に入れてしまう。行儀が悪いと叱る人間がいないのをいいことに、種を口の中で転がす初音の背後にそっと近く影があった。

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