姫と腹心
大広間での宴が最高潮に達している頃、後宮では一悶着起こっていた。
「章継様に抗議してまいります」
初音は今にも部屋から飛び出していきそうなみおの腕を慌ててつかまえた。
「みお、だめだったら。待って」
「姫様、お離しください。だって、あんまりですわ。章継様ときたらようやく戦から帰られたのに顔をお見せにならないで、祝勝会にも呼んでくださらないんですもの……」
顔を真っ赤にして今にも泣き出しそうなみおを前に、初音の方は逆に冷静になっていく。
「ねえ、みお。わかってると思うけど、私は今、すごく立場が弱い。だからもし、あなたに何かあっても助けてあげられる自信がないの。もちろんできる限りの事はするけど……」
初音は心を尽くして大事な腹心に語りかけた。
「みおの気持ちは嬉しいし、ありがたいと思ってる。でもだからこそ、危険なことはしてほしくないの」
「……初音様がそうおっしゃるなら、今日のところはこらえます」
悔しげな顔をしながらも、みおはあるじの意に沿うように憤りを引っ込めた。どうにか思いとどまらせることができて、初音は安堵の息をつく。
元々はおっとり気の優しい女なのだ。そんなみおをこれほど思い詰めさせてしまった自分自身を、初音は情けなく思った。
「でも確かに、このまま引き下がるのも癪よね。殴り込みとはいかないけれど、私ちょっと行って、顔だけでも拝んでこようかしら」
初音の思いつきに、みおは目を瞬かせた。
「何か対策を立てるとしても、相手の顔も性格もわからないままではどうしようもないでしょ」
重ねて言えば、みおも納得したようだ。なるほどと手のひらを打ち合わせた。
「では、お支度をお手伝いいたしますわ。ほら、国を出る前にたくさん着物を新調しましたでしょ。確か今の季節に合いそうな淡い百合の柄の…」
「呼ばれてもないのに着飾っていったらおかしいじゃない。今日は偵察なのだから、目立たない方がいいわ」
「そうでしょうか?」
「そうよ。だから小袖に草履で十分」
首を傾げて思案するみおを言いくるめ、普段着のまま部屋を出る。廊下に出ると、みおが庭に草履を揃えて置いた。
「姫様、私も一緒にまいります」
「いいの、ちょっと見てすぐ帰ってくるだけだから。私が隠密行動の達人なの、知ってるでしょ?」
「それは、まあ……姫様が足音を立てずにお歩きになるのが得意なのは存じておりますけれど」
歯切れの悪いみおの背中をひとつ叩く。
「みお、今更だけど私ももういい年なんだから、いい加減その姫様っていうのはやめてよ」
「私にとっては姫様はいつまでも姫様ですわ」
「でも、やっぱりねえ」
本当なら奥方様とか御台様と呼ばれて然るべきだが、実情の伴わない今の状況では虚しいだけだ。みおだってそのせいで呼び方を変えられないのだろう。
気を遣わせている。不甲斐なさに眉を下げかけて、初音は慌てて顔を引き締めた。情けないところを見せれば、みおが心配する。
「いってくる」
軽く笑みを浮かべると、はっきりとした声で言い切った。
「いってらっしゃいませ」
みおが軽く頭を下げるのを横目で確認すると、初音は勇ましく大股で歩みだした。