第三話 『ごめんねすらも言えなくて』
――奴が来たぞ、また彼奴が俺達を殺しに来やがった、シネヨ、シネヨ、お前は即刻死ねべきだ。この人でなしがぁ。
――帝国はお前のような奴も兵士として雇ってやってるんだ、帝国に感謝し、そして帝国に尽くせ。健全な帝国兵の為にその身を捧げよと、きっと皇帝陛下もそう仰られるだろう。
目が覚めた。
きっとこれは夢。
きっと現実はもっと上手くいっていた筈だ。
目が覚めた。
きっとここはかつて見た俺の家で、外は願い通りに冷たいだろう。
布団だけが唯一俺を温めてくれる。
エドラル・アレキサンダーはすっと目を覚ます、知ってる、知ってる。あっちが夢でこっちが現実だってことくらい。
「おう、起きたか」
ジーク・ダグラスは敗北者にそっと言葉を投げかける。
「あれからどれくらい時間が経った?」
「授業は終わった、今から皆帰り始めるところだ」
あの実技試験がお昼前だったから、実質俺は二時間すっぽかしたというわけさ。
お嬢様は俺を見てあの列国同盟の奴らと同じ顔をしていた、そして散りゆく俺を冷ややかに蔑み、帝国兵と同じ眼をした。
俺はどちらも等しく恐れた。
少々気になっていた人から最も嫌な目をされた。
「それにしてもアストレアお嬢様はよくお前に突っかかってくよな、もしかしてお前好かれてるんじゃねぇ? もうお嬢様ったらツンツンデレデレなんだから」
初代皇帝は言った。
――私はツンデレが大好きだ。
初代皇帝の発言だ。
――私はツンデレを愛す、ついででツインテだったら尚良し。
初代皇帝の記録が残っている。
――自分の気持ちに正直になれない娘、特にいいとこのお嬢様……。大好きだ、萌であるかな、我が琴線に触れている。
ツンデレなお嬢様の姿……。
うぁ、考えられん、あれは確実に俺の態度の悪さに怒っていた顔だ。
「ないな、アストレアお嬢様が俺の事を好いている訳が無い」
「いや、分からんぞ」
意味あり気に笑う親友。
「まぁお嬢様が怒る理由も分からんでもないよ、きっと俺は要らない人なんだよ、きっと俺は此処に居ちゃいけない人間だったんだよ」
「文屋も辛いなー、成績が良くて実技免除で此処に入ったんだろ」
こくりと俺は頷いた。
俺は親友に嘘を付いている、正直心が痛いがこれはあまり人には言ってはいけない話だと思う、だから俺は一つの醜い嘘を付いた。
リリアは正直な俺が好きだと言った。
リリアは今の嘘に塗れた俺をどう思っているだろうか?
でも答えなんて帰ってこない、どれだけ聞いても、答えてくれるのは心の中の都合のいい事しか言ってくれないリリアに似た俺だけ。
「ああ、何処へ行っても俺は受け入れられない、何処へ行っても煙たがられる」
帝立魔道学園、ここは帝国中の優秀な魔導士しか入学が許可されない所。
いくら金があってもぼんくらには入学が認められない。完全なまでの実力主義の学園。此処に入るまでにきっと彼らは、お嬢様でさえも此処に入る為に血の滲むような努力を積み重ねて来たのであろう。
それに対して俺はこの様よ。
だから彼らの代わりに、彼らの音にならない声を代弁してアストレア・ステラスは怒った。俺の存在は彼らの努力を踏み躙っているのだから。
こんなへらへらした男は本当は此処に居てはいけない、此処にではなくこの世界自体に居てはいけないのかもしれない。
「それで勝機はどの程度あった?」
ふとした疑問が投げかけられる。
「ルールが悪いんだ、ルールがもっと違ったら俺はアストレアお嬢様に勝てたかもな」
ニヤリと笑う俺だが、ドン引きの親友。
えっ、待ってよ、何でそんな眼をするの。
ただ確実に言えることはあのルールでは俺に勝機は1も無いと言う事。
「ルールが違ったらか、聞いてましたかお嬢様」
えっ……。
親友は面白い顔をして入り口をガラリと開けた。
「いやいや~、立ち聞きなんて酷いですよー」
「何時から気付いていたの?」
刺すような眼でジークを睨むお嬢様。
「何時から立ち聞きしていたの?」
それに応じるジーク。
そこはもう一触即発の空気が満ち溢れている。
フーッと、ジークは目を反らし溜息を一つ吐いた。
「この部屋寒いからお前が大切にしているマフラーを持ってきてやったぜ、勝手に鞄を弄ったことは許せ、パンはサービスだ、昼飯食って無いみたいだし」
袋に入ったパンとマフラーを布団の上に投擲する親友。
「俺エドラルの鞄取ってくる」
約束忘れんなよ、と言い残し背を向け去っていくジーク。待ってくれ超気まずいんだけど、ねぇ逃げないでよ。
そんな思いも通じず簡単にそこは二人っきりの密室へと変わってしまう。
俺また雷撃魔法喰らうん……。
マフラーを巻きながら置き上がる自分。
首に巻かれたマフラーはとても暖かく、落ち着いた気持ちにさせてくれる。
もしかしたらほんのりとでも彼女の匂いが感じられるかもしれない……。
「どうしてここへ?」
「流石にやり過ぎたと思ったから様子を見に来たのよ」
表情を変えず此方を見下ろすアストレアお嬢様。
冷ややか視線により余計に体感温度が低くなる。
やり過ぎたか……。
「それでルールが違ってたら勝てるとはどーゆ―こと?」
結果なんて知っているだろうに、お嬢様は意地悪に笑う。
「ごめんな」
素直に俺は謝罪した。そして素直に自らの運命を呪った。
「ごめん、きっと貴方は俺なんかが此処に居ることを許せないだろう、なら見ないでくれ、空気として扱ってくれ、頼むからまだ此処に居させてくれ」
マフラーが顔の大半を覆う。
辛いよ、辛い、リリアどうか俺に力をくれ……。
「俺はそうまでしても叶えたい夢があるんだ、誰に悪く言われてもいいから叶えたい夢があるんだ、それにここが一番近い、だからまだ此処に居させてくれ」
俺は泣いた、きっとアストレアは何で泣いているか分からない、分からないからこそ俺は情に訴えかけているのだ。
「待って一体何を貴方は謝っているの」
「全てだ、全部、何もかも全てを謝っている」
「いっ、意味が分からない」
冷たさの中から温かみを感じる、でもこれは嘘だ。
困惑にも似た何か分からないモヤモヤしたキモチを抱えているお嬢様。
「謝るのは普通は私なんじゃないの? 流石にあれは誰の眼から見てもやり過ぎだったし」
「それくらいに俺の事が気に入らないってことだろ」
「いいや違う、私がやり過ぎてしまった理由はそんなんじゃない。でもあの一瞬で確信したわ。どうして貴方は本気でやらないの? 何、私達のやっているのは貴族の御遊びだとでも言いたいの?」
怒り交じりに美しく輝く銀髪を揺らしながら彼女は俺を見下す。
「違う、全部全く違う。それに俺は貴方が思っているような人間なんかでない。俺には何もない、俺には皆が最初から普通に与えられるべき物すら無かった。それなのに身の丈に合ってない夢なんて見て、ごめん、ごめん、ごめん……」
最早謝り倒す事しか、同情でも許してもらうしか出来ない俺であった。
全ては俺が悪い、全てが全て俺が謝らなければならない。
お嬢様は正しい、そして俺は間違っている。単純明快な変わる事の無い答え。
目が見えない、彼女はどちらの眼をしているだろうか。
怖い、辛い、悲しい。
「怪我人は寝てなさい、ほらそのボロ布を貸しなさい、其処らに掛けといてあげるから……」
お嬢様らしからぬ存外優しい声……。
でも、でも。
俺はこんなにもどうしようもない奴だ。
たった一言にも寛容になれないなんて。
きっとお嬢様の気持ちもこうなんだろう、きっと一人にだって自分を否定する者を見過ごすことは出来ないように。
「帰ってくれ……」
大きな声で俺は拒絶した。
俺は怒った、怒りに怒った、彼女が俺を許せないように、俺も彼女が許せなかった。
「ボロ布か、お前にはそう見えるかもな、もういいよありがとう帰れ」
「どうしてそんな事言うの折角やり過ぎたと思ったから優しくしてあげようと思ったのに」
優しくしてあげようと思ったか。
「帰ってくれ、これ以上お前といると心底嫌いになる」
自分が……。
こんな運命の自分が。
リリアが褒めてくれてやっとちょっとだけ近づくことが出来たのに、お嬢様といるとまた今までの逆戻りになってしまう。
「嫌いになる……」
何かを堪える様な顔で問いかけられる。
「ああ、とっも嫌いになりそうだ」
「馬鹿っ」
そうしてそうしてお嬢様は雷撃魔法を怪我人にぶっ放して勢いよく保健室を出ていきましたとさ。
俺は泣いた、去り際の彼女も何故だかキラキラと光ったいた。
あの時と変わらず、俺は嘆いた、いつも通りに。
痛い、痛い、痛い。
体も心も痛い。
ポロリポロリと流れる涙。
きっと俺には嘆くことさえも許されていない。
それでもエドラル・アレキサンダーという糞みたいな夢を持った少年はマフラーに包まれ、亡き彼女に思いを馳せて泣きました。
魔法が当たり前となった世界。
誰しもが多少なりとも魔法を使えるようになった世界。
それはとても素晴らしいと思う。
でもそんな世界は……。
魔法が使えない、魔法が使うことが許されない身の上であるエドラル・アレキサンダーにとってはただの悪夢でしかない。
それでも俺は。
そんなモノでも俺は。
自らの運命に抗うように魔導士を目指した。
魔導士に憧れたから、俺は目指してはいけない魔導士を目指した。
――そこで沢山のモノを失い、沢山のモノを奪ってきた。
どんなに貧弱でも下位魔法しか使えなくてもいい、帝国最弱でも構わない。
俺は今でも魔導士に憧れそれに成ろうとしている。
俺は俺が奪った者の為にも、リリアの死を無駄にしないためにも魔導士になる義務がある。魔導士にならなければ本当に彼らがこの世から消えた意味が無くなってしまう。
俺は魔導士になる為に、使えない筈の魔法を使えるようにする為に恥を忍んで此処に来た。この学園の生徒の努力の全てを否定する気でここに入った。
パンの端を千切り口の中へと放り込む。
親友がくれたパンはパサパサしていてなんとも言えない、美味くも不味くも無い味であった。
ダメだなこのままじゃ、まるで何も変わりやしない。
顔を叩き、そしていつもの自分へ。
無理にでも嫌にでも笑ってた方がいい。
きっとリリアもそう言っているだろう。
クヨクヨするのはもう止めだ、クヨクヨしないって決めたんだ.