第一話 『どうやら神様はこの世界を捨てたようです』
帝紀294年長らく続いていた一つの戦争が終わった。
かつてこの世界には何もなかった。
かつてこの世界に何も存在しなかった。
かつてこの世界は戦火が絶えず、泥土と反吐をぶち込みかき混ぜた窯の底のような世界であった。
そこに一人の男が現れた、そこに神の御使いが下ろされた、そこに素性の知れぬ人間が姿を現したのであった。
男は類稀なる才、誰もが驚く智、皆が付き従う器と人の理論じゃ到底説明が叶わぬ神秘の技術を用い瞬く間に国を建国した。
卓越した戦術と優れた機動力、不可能を可能にする男の力によってその国は瞬く間に多くの国を吸収するのである。
かつて帝国は存在した。
かつて世界に誇る圧倒的な力を持った帝国は存在した。
かつて大陸の殆どの人間が幸せな生活を送れていた。
男は初代皇帝となり帝国は歴史上前例の無いほどの強大なものとなっていた。
初代皇帝は民草をより幸せに、より楽に、より穏やかな生活が送れるようにと、とある秘術の原理を公開した。
初代皇帝はそれを【魔法】と呼んだ。
皆はそれを【魔法】として受け入れた。
戦火の絶えない世界で初代皇帝は帝国の民全てに幸せになれる権利を与えた、戦火の絶えない世界で初代皇帝は皆の知らない平和という幸せを齎もたらした。
そして世界の皆々は初代皇帝の下で便利な便利な魔法を使いとてもとても穏やかな暖かい日常を幸せいっぱいに過ごしましたとさ。
おしまい、おしまい。
そこに帝国は存在する。
ここに強大なる力を持った帝国は存在する。
帝国は巨大すぎた、帝国はとても大きすぎたのである。
他者から嫉妬を買うほどに、皆に恐怖を植え付けれる程度には。
初代皇帝は自らの仁義を貫き通し何かしら帝国に利益をもたらした国、中立国、同盟国は地図から消すことは無かった。
初代皇帝はとてもとても甘いお方なのだ。
人々は平和を願う、紛うことなく誰しもが平和を願っている。
初代皇帝は全てを支配することは無かった。
初代皇帝は残してしまった、その自らが信じる平和のために、帝国外で戦争を知っている人を。
初代皇帝と言う名の平和はお隠れになられた。
圧倒的で絶対的な神にも等しい初代皇帝は文字通りにこの世界からお隠れになられた。
その瞬間にかつての皇帝の友たちは自らが皇帝に成り代わらんと牙を剥いた、まさに自己中心的な考えだけで帝国と敵対したのだ。
もはや当たり前となった魔術を使用して。
平和と幸せの為に公開された【魔法】を駆使して。
ただ帝国は絶対であり、圧倒的である、我こそが初代皇帝に成り代わらんとする者皆々を帝国として滅してきた。
人々は願った、人々は誰しもそう願っている。
帝国は平和のために、秩序となって君臨した。
皆は気が付いた、皆は悟った。祖父や父の独りよがりでしかない失敗を糧に拘りを捨て広い解釈で己の望みを見返した。
これまで初代皇帝に成り代わろうとしてきたものは妥協し皇帝を目指した。どこにでもある、大勢いる、歴史上沢山いた皇帝を目指した。
そして皆々は何者かに都合よく創作された御伽噺の登場人物となった。
帝国という邪悪な敵を消し去る為に人々は皆列国同盟の軍旗の下に集った。
皇帝皆々が互いに馬を並べ、各国の旗を風に靡かせ手を取り協力して帝国という名の悪に立ち向かう。とてもとてもよくできた御伽噺だ。
ただ帝国もそれほど柔ではない、帝国は大陸の7割を占めているのだから。
帝国は耐え凌ぎ、反撃の機会を窺った。残り3割以下の寄せ集めの連帯の綻びを徹底的に探し、そこに楔を打ち込んだ。
一度綻びの生まれた集団はその綻びを如何にかしない限りはいとも簡単に崩れゆく。
例えば治癒、例えば切除。
ただし寄せ集めの列国同盟には切除などは許されていない。尻尾を斬っても、尻尾が自走し帝国の方に行ってしまっては大問題になってしまうから。
彼らは彼らの関係を高めようと、楔により生じた癌を必死に治癒しようとした。
帝国は必死に己の内の病魔と闘っている列国同盟を外からじわりじわりと攻め上げる。
エルドレッド列国同盟 オストマキナ国 東方戦線 アドミラ
最早崩れかけの連合軍は威信も誇りも実力も連帯も全てを懸けての大博打。
玉砕・粉砕、覚悟の列国と帝国の狭間の小国を舞台に行われた天下分け目の合戦。
三年と七カ月にわたる大戦の最後の大戦。
此処に今も尚帝国は存在する。
未だかつて長きにわたり帝国は玉座に座り続けている。
帝紀294年 またもや帝国は敵を打倒した。これまでも、きっとこれからも帝国は変わらない帝国でいるだろう……。
アドミラの戦いに敗れ撤退した結成約4年の列国同盟は連合軍を解散させ各々で帝国に講和を結び、出遅れた者達はかつての仲間と帝国によって一瞬によって滅ぼされた。
そして帝国に平和は戻った。
やっとのことで、多くの命を捨て、投げ打ちこの世に初代皇帝以来の平和が戻って来た。
また皆がワイワイと魔法で幸せに暮らせる時代がやってきてしまったのだ。
平和はいい。
人々は平和のために戦ってきた。
俺だって勿論平和の為に戦っていた。
間違っても俺は戦争狂でも戦闘狂でもない。
人々は誰しも平和を望む、人々は誰しも平和の為に間違える。
世界は平和で、より便利なより幸せになれる魔法を学者や導士は今日も探しているだろう。
人々は魔法によって楽をし幸せな気持ちになっている。
間違えなく魔法は人々の暮らしを楽にし、人々を助け、幸せな気分にさせた。
魔法が当たり前となってしまった世界。
魔法が使えることに誰しもが疑問を覚えなくなってしまった世界。
そうこの世界は魔法が使えて当然の世界。
この世界は魔法で全てが成り立っている。
戦場の様に剣や拳の需要が全くと言っていいほど無くなってしまった平和な世界。
ほんの少しだけ、ほんのちょっとだけ、思っても考えてもいけない事を考えてしまっている、俺がどこかにいる。
今この世界は俺にとっては最悪の世の中でちょっと昔の世の中の方が俺には少しばかり居心地が良かった。
勿論ちょっとだけ。
勿論俺だって平和を望んでいる。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
俺は平和な世界で目覚めた。
魔術が暮らしに役立てられたとても良き世界の朝を迎える。
俺の望む通りに。
外は一面の銀世界。そして部屋の中も男の望む通りに必要以上に寒い。
そして俺はベットから立ち上がった……。
思い通りに床は冷たく冷え切っていた。
緊張した面持ちで暖炉の前に立つ。
すうっと深呼吸し、俺はいつも通りに念を力強く自らの手に送る。
信じている、信じている。
【着火】
俺は涙した。
俺はとてもとても暖かい世界になったのに。とても良い所にいるのにあの場以上に嘆き悲しんだ。
俺は布団にくるまり喉を潰すほどに泣き叫ぶ、そうして疲れ果てて子供の様にスヤスヤと眠るのである。
俺には残念ながら何も存在しない。
戦争で得た階級も、地位も、名誉も爵位もまるで何も存在しなかった。
俺は全てを上官に奪われてしまった。
でもそれは納得したこと、俺はそんな事などに少しも嘆いていない。むしろ俺はその時は別の事への期待で心を躍らせていた。
昨日までは。
しかしそれもこの瞬間に見事に、無情にも、憐れにも、完全に打ち砕かれてしまった。
散々眠り俺は目覚めた。
何時だか分からない。
もうどうとでもなってしまえばいいと思った世界。
「あーあー、それでも俺はまた縋ってしまうんだろうな」
そんな事を口ずさみながら俺は頭を抱え立ち上がり机の上に置かれた用紙へと丁寧に字を書き綴っていった。
入学志願書……。
半ば諦めた様にだがこくりと頷き俺はペンを置いた。
幾たびも、幾たびも諦めまた挑戦する。
そしてまた諦める。
多分次も諦めることになるだろう。
でも俺は試してみる。
「まっ、受からんだろうけど受かったら、此方の誘いにも乗ってやるか」
先日家に届いたとある貴族からの誘いの書かれた紙を机の上にポイっと投げ捨てる。
正直言って俺はこの誘いに乗り気ではない、でもお世話になった人が俺の事を想い見つけてくれた仕事だ。
とても断り辛い。
それに乗り気ではないが揺れている自分もいる。
ベットの上にゴロリと寝転ぶ。
何もやることがない、何もやりたくもない。
しかし腹はそんな自分に文句を言ってくる。
夢を見た、夢を叶える為に散々努力してきた、それなのに、それなのに。
また俺は夢を見続ける。
覚めない夢を、興醒めな悪夢を。
「誰か見つけてくれ、これが夢なら俺がどこかで寝てるなら、だれか俺を起こしてくれ、誰か俺を見つけてくれ」
閑散とした部屋でまた泣いている自分が居た。
夢でも何でもなく、俺はこの世界に確かに居る。