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歪、故に秘密 / lost in i mazes その2



 家の中は想像していたよりも簡素な作りだった。流し台があり、用場があり、食卓があり、椅子があり、寝台があった。

 余計な丁度は一切なかった。着る物は住民専用の上下が一式あるのみ。素材は木綿によく似ているが異常な弾力性がある。これも高度な前文明が残した欲望の結晶なのだろうか。自前の服を気に入っているので指摘がない限りこれを着ることはなさそうだった。

 洗濯はどうしているのか。さっきレインが口にした洗浄場がそうなのだろうか。明日行ってみることにした。早いところ、この臭いを取ってしまいたい。



 寝台の脇におかしなものを見つけた。これはもしかしたら鏡というやつだろうか。爺さんから聞いた覚えがある。これは本来の世界の反対を映し出すものだ。光そのものを反射しているので、それを見る側が逆を認識してしまう。

 顔や姿を手っ取り早く見る道具としては秀逸だが、俺には気持ち悪いものとしか見られなかった。自分の顔を見るなんて苦しいだけでちっとも便利なんかではない。



 ……大袈裟に太い眉毛、やや垂れ下がった目、自己主張の強い丸鼻、それに下品な口元……。



 全てが醜い。そしてみすぼらしい。こんな顔を持ったやつと会ったことがない。会いたくもなかった。

 笑った顔も大嫌いだった。並みのものでも持っていさえすれば、どれだけ気持ちよく笑えただろうかとその都度考える。己を不幸にして他人も不幸にするこの笑顔は、この世界になにも生み出さない。

 悪いのは全部自分だ。誰かのせいではない。だからこの笑顔は自分だけが傷つくように、最初からなかったように振る舞うことが適切だと知っているし、それで不自由なく今日までやっていけている。

 鏡を壊してしまおうかと思った。だがきっとこれにも高度な文明の細工が施されているだろうと考えて諦めた。

 今余計なことをしたら笑えないどころか泣きを見る羽目になる。適当に布でも被せておこう。



 寝台の上に寝転んで天井の模様をぼんやり眺めていたら、部屋のどこかから不快な音が鳴り響いた。対応に困ったので誰かに聞きに行こうと思い玄関を開けると、正面にレシュアが立っていた。


「よかった。いないのかと思った」

「まだ慣れていないんだ。入るか?」

「うん」


 レインのお下がりだという彼女の服は、いかにも女らしい飾りつけをされた淡い薄紅色の一繋ぎ物だった。髪の毛は二つ結びに分けられていて耳元がすっきりしている。きっとこれが楽な状態なのだろう。

 袖からわずかにはみ出している細い腕からは、固まりきっていない血の滲みがあった。


「これ、塗っとけ。少し外の空気吸ってくる」


 地上の家から出る前に持ってきておいた薬を手渡して玄関を出た。こくりと頷いていたので意味は理解しているだろうと思った。

 待つのは好きではなかったがそれほど苦痛でもなかった。誰かの役に立っている事実に高揚していたからかもしれなかった。このまま長い時間を待たされても文句は言うまいと決めていた。

 ところが、二分もしないうちに玄関の扉が開いた。


「あの、お願いがあるんだけど……」


 背中の傷に薬をうまく塗れないらしい。レインに頼めと言ったがそれは嫌だと断られた。

 一応塗れていることを本人の口から確認する。うまく塗れていなくても切り傷程度ならすぐに塞がるので問題ないと告げた。ありがとう、という寂しい声が返ってきた。

 こいつは俺を使ってなにをしたいんだと思った。召使いかなにかだと思っているのだろうか。城にいた頃のわがままっぷりが目に浮かぶ。とても不愉快だ。

 余程自分に自信があるのだろう。顔を見れば分かる。この顔は俺が抱えている苦しみを知らない。大勢の一部となれば日陰で一生を過ごさなければならない惨めさを知らない。この顔が気づくことは一生ないと断言できる。

 そんな不自由しない人間が、不自由な人間もどきを見ている。これに耐えられるかどうか不安だった。もうなにを言われても理解できないような気さえした。両者が納得する会話を成立させることなんてもっての外だ。


「あ、そうだった。これね、レインさんからメイルにって。使い方さっき教えてもらったんだけど、私にはなんだかちんぷんかんぷんだった。メイルって確か機械に詳しいんだったよね?」


 手渡されたものをよく調べてみると、どうやら交信機のようだった。機械兵飛来時の速やかな対応をこの道具を用いて行うのだろう。

 しかしなぜ俺が持たなくてはならないのか。ちんぷんかんぷんでも憶えようと思えば自分で使えるだろうに。

 露骨に嫌な顔をして見せたが反応は返ってこなかった。


「で、用は済んだか? レシュアにも家が割り当てられたんだろ?」

「あ、その、そのことなんだけど……」


 耳を疑った。一人で住むには確かに広いと感じていたが、まさか一緒に暮らす相手が爺さんではなく自分よりも少し若い女だったとは思いもしなかった。

 もちろん賛成もできない。どんな理由があろうともこれを考えたやつはどうかしている。よりにもよってこんな身分違いを同居させるなんて呆れてものも言えない。

 異星人との争い以前にこの家が戦場になってしまいそうだ。


「それで、お前は納得したのか?」

「……うん」

「本気か? 俺は男だぞ。この意味分かってるよな?」

「……うん。たぶん」

「レインとのほうが女同士で気楽だろ。しかも俺はアイテルを使えない。役に立たないやつを側においても効率が悪いんじゃないのか?」

「……あのね、メイル。ちょっと聞いて欲しいことがあるの」


 女の言い訳を聞かされるのかと思って憂鬱な気分になった。これが自分に課せられた使命だと分かるとさらに惨めな気持ちになった。ひとまず喉の渇きを癒して落ち着こうと思った。

 流し台の前に立って空の容器を手で持って水を入れる。簡単な作業だった。

 ところが水は一向に出てこなかった。俺は水の出し方が分からなかったのだ。

 こっちのうろたえている様子に気がついたレシュアは、嬉しそうな足取りで駆け寄ってきて魔法でもかけたみたいに小さな手をかざした。すると、吐水口からちょろりと水が流れてきた。


「あ、ありがとう」

「どういたしまして」


 王城の設備と同じものがこの地下都市にも導入されているので大体のものは扱えるのだという。なんとよくできたお嬢様だろうか。

 畳み掛けるような笑顔が無様な男に向けられた。侘しさが自分の居場所をさらに狭くしていく。一人だったらもう泣いているかもしれない。

 水が入った容器二つを食卓に置いて椅子に座った。角張った見た目にしては悪くない座り心地だった。

 真向かいに腰掛ける顔はかなり強張っている。さっきの余裕はなんだったのか。動揺するつもりはないが、やけに元気がない様子だ。もったいぶる調子がこの顔らしいとも思った。


「……あのね、今日メイルの家からここに移動する時、変な格好で運んでもらったでしょ? ヴェインさんに梯子ごと持ってもらってさ。もう聞いているかもしれないけど、私ね、普通じゃないんだ。アイテルを使えないのは前に話したよね。憶えてる?……そっか。でね、そのアイテルが使えないっていうの、メイルとは少し違うんだ。本当は私、アイテル使えるの。でも、そのアイテルが表に出てこないんだ。具体的に言うと、私の身体から半径五メートルの範囲にアイテルが発生しないんだよね。自分のアイテルが弾かれるのと同じように自分以外の人のアイテルまで弾いてしまうんだ。しかも時々自分の意思に関係なく他人のアイテルを跳ね返しちゃうことがあってすごく迷惑をかけてる。特に強いアイテル能力を持っている人は私が近くにいるのが不快みたい。……『アンチアイテル』なんだって。城の人がそう言ってた。なんでこうなったのか知らないけど、生まれた時からそうだったって聞いてる。ほんと、変だよね。なんかおかしくなっちゃう。……ねえメイル、あなたも私の近くにいるの、嫌?」


 震えた声で話しきった瞳には涙が浮いていた。

 ……どれだけの勇気を振り絞っただろうか。

 伝えようとしたことは全部受け取った。でも……

 俺にはまだ、その言葉の本当の意味を信じることはできない。


「要するにアイテルを全く使えない俺がレシュアに違和感を感じるかどうかだよな? それなら問題はない。他の奴等と感じるものは一緒だ。むしろあいつらのほうが近寄り難い雰囲気を出していて息が詰まる」

「……それって、ここにいてもいいってこと?」

「出て行けって言ったら言うとおりにするのか?」

「……うん」

「じゃあここにいろ。お前を追い出したりしたら次は俺がこの都市から追い出される。そうなったら今度はお前が都市を出てしまうんだろ?」

「うん……」


 零れ落ちそうだった涙が笑顔とともに流れ出た。

 なにが嬉しかっのだろうか。突き刺すようにこっちを見ている。

 戯言を抜かす俺の顔が滑稽で面白かったのだろうか。


「そのかわりなんだが……」

「なに?」


 一つ、いや二つにしよう。


「俺が今から言うことを守って欲しい。それができると約束してくれるならこの件についてもう余計なことは言わない。いいか?」

「どんな約束? 話して」

「お前のアンチアイテル? のこと、これからは自分の欠点だと思うな。そういう素振りを見せたり弱音を吐いたりもしないでくれ。それとあと一つ、寝る時だけは別々でいさせてくれ。もちろん、俺が場所を変えるから」


 言い終えてから少しの間黙っているかと思ったら、今度は声を出して泣きだしてしまった。くしゃくしゃの顔を隠すことなく、台無しになったその顔のままで。


「だから、そういうのをやめて欲しいって頼んだんだけどな。守れないのなら別にいいよ。その時は俺がレシュアを不快に思っているってだけだから。耐えられるんだったら、好きにしてくれ」

「……そうじゃないって」

「は?」

「……嬉しいから、泣いてるんだ。だから、これは約束破ってない」

「意固地なやつ」

「……だって、ほんとだもん」


 泣き止むのを静かに待つことにした。そして、会話がまともにできるようになってから彼女に了解の返事をもらい、この話は終わりにした。



 明日から本格的におかしなことになる。俺の立場は周囲の解釈次第であらぬ方向に肥大化していくのだろう。

 このみすぼらしい顔を嘘の仮面の中に隠して事実無根の言及に内心怯えながら平静を装い続ける日々。今のままでは到底生き残れそうにない。



 もっと強くならなければいつかこいつらに押し潰されてしまう。

 身体のことはどうでもいい。心をどうにかしておかなければ……。



 しばらくしてヴェインがやってきた。夕食の食べ方を教えてくれるというので俺とレシュアは外に出た。

 ずんずん進むヴェインに合わせて歩いていると、後ろからやんわりと袖を引っ張られた。もっとゆっくり歩いて欲しいのだそうだ。

 意味が分からないのをいちいち質問するのも野暮だと思ったのでなにも言わずに歩幅を合わせていると、なぜかまた袖を引っ張られてしまった。


「……手、繋ごっか」

「な、なんでだよ!」


 冗談だ。冗談に決まっている。

 そうでも思わなければ俺はたちまち勘違いしてしまう。



 ……この顔を好きになるなんて、絶対にありえないことだ。




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