歪、故に秘密 / lost in i mazes その1
シンクライダーという男はどうやら性に合わないらしく、機械弄りという共通の趣味を持っていながら話はなかなか弾まなかった。なんでもこの男は機械のことと古代文明についての知識は世界一なのだそうで、知りたいことがあったら是非とも相談して欲しいのだそうだ。
こういう類は一度調子に乗らせると聞いてもいないことを喋り出して止まらない。医療室を出ることも考えたがレインの言っていた手続きが済むまでは余計な騒ぎを起こさないほうがいいと考え、結局ここに残ることにした。
シンクライダーは暇なのか忙しいのかよく分からない男だった。他の地下都市の人と交信してくると勝手に報告してどこかに行ってしまったと思ったら、大急ぎで帰ってきて俺の近くをふらふらと歩きながらつまらない話をしだす。適当に相槌を打っていると今度は急患が部屋に入ってきてそれの診察をするのだが、患者がただの風邪だったらもういいと訴えているのに、顎に手を置きながらあれをしたほうがよいとかこれをしたほうが適切ではないかなどと独り言を呟いてなかなか帰さない。見ているだけで疲れる男だった。
やっとのことで患者が解放されると、今度は緑茶の入った容器と黒い液体の入った容器を両手に持ってこっちに近づいてきた。黒いほうの容器を手渡されたので仕方なくそれを口に含んでみる。冷たくて苦いだけの地味な飲み物だったが嫌いでもなかった。
シンクライダーは寝台に腰掛けてなにかを思い出したかのように話しはじめた。
「そういえば君は確かアイテルを使えないのですよね。もしよろしければ詳しく教えていただけませんか?」
「詳しくもなにも、使えない。それだけのことだけど」
「アイテルを感じることもできないのですか? 例えば『オープンとシャット』だけを感知できたりとか」
「悪い。実はアイテルのことあんまり詳しくないんだ」
まただ。なぜ俺はこうも相手の言葉の誘導に引っかかってしまうのか。お人好しなのだろうか。無性にいらいらする。このままではいつか弱みを握られかねない。本当に気をつけなければいけないと思った。
この部屋に余計なことを口走る癖を治す薬が置いてあるだろうか。今度この男がいなくなった隙を見て探してみよう。
シンクライダーはまたしてもあの得意げな笑窪を披露して、それでは説明しましょうと言い緑茶に軽く口をつけた。
「アイテルというのはこの星全体に溶け込んでいる形のない力の源みたいなものだというのはご存知ですよね。一言でアイテルと表現しているのはほとんど同じ抽出方法によって得られるからで、細かく分けると三種類あるんです。『オープン』アイテルと『シャット』アイテル、そして『ヴォイド』アイテルの三つに分類されます。各系統にはそれぞれ異なる効果があって、オープン系は主に物質的な空間制御のことを指します。物を凍らせたり燃やしたりするために使います。シャット系はオープン系と相反していて非物質的な空間制御を可能にします。身体や物を宙に浮かせたり風を起こしたりすることができる能力です。三つ目のヴォイド系ですが、前の二つの系統を熟知することで使用可能となる少し厄介な能力です。『非物質的な空間』に物質を実体化させるというのがヴォイド系のアイテルなのですが、分かりづらいですよね。例えば、そうですね。なにもないところに壁を作ったり自由に生み出したなにかを武器にしたりするために使用している人が多いです。ちなみに地下都市の住民達のほとんどはヴォイド系まで到達していません。余程の訓練をしない限り習得は不可能だからです」
「俺の爺さんはそのヴォイドってやつ、使えたはずだが」
「オゥ! アンビリバボー! 素晴らしいです。君のお爺さんはかなりの使い手なのでしょう。一度稽古をつけて欲しいですね」
「あんたも使えるのか?」
「レインさん達には遠く及びませんが、まあ、使えるには使えるって程度です。僕は戦士向きの人間ではないので彼らに任せているというわけです。それよりも、三系統の同時発生に伴う関係性について知りたくはないですか?」
知りたくないと答えたら話を止めてくれるだろうか。確かめてみようかと思ったが、ここで聞き逃すのは惜しい気もしたので素直にお願いした。
「系統の異なるアイテル、または同じもの同士がぶつかり合った時にどうなるのかというのが次の説明です。これをアイテルの浸透法則と呼んでいる人がいるので僕もそれに倣って使わせてもらいます。アイテル同士の衝突は人間の頭では明確に処理しきれない論理で構成されているので、実際に起こる現象をお伝えします。まず、オープン系とシャット系の二つは互いにぶつかっても特別な反応を起こすことはありません。それぞれは発せられた力量をそのまま通過します。ですので強いほうの力が弱いほうに効果を表します。シャット系同士も同じです。影響はありません。ですがオープン系同士になると効果が変化します。お互いが力を打ち消してしまうのです。不思議な現象だと思われるでしょうけど、そうなってしまうので僕も納得するしかありませんでした。次はヴォイド系について説明します。さっきの能力のときに話した内容と被ってしまいますが、他の二つとは少し考え方が違います。基本的にヴォイド系はヴォイド系同士でないとぶつけることができません。稀にオープン系が干渉すると唱える人もいますけどほとんど迷信みたいなものだと思ってください。それはなぜかと言いますと、実は今説明した浸透法則は全て『大きな力の差のないアイテル』を衝突させた場合の結果だからです。例えば凄まじく強力なオープンアイテルをそうでないオープンアイテルに当てたとします。すると打消しの法則は無視されて強力なアイテルのほうがそうでないほうに力量の差分の影響を与えます。他の法則についても同様です。つまり結論を言ってしまうと、物凄く強いアイテルを生み出せればなんでもかんでもやりたい放題というわけです」
説明し終えて満足したのか液体を美味しそうにちびちび吸いながら自分の世界に浸っているみたいだった。こっちの反応がないのを明確に察知したのか、遠慮がちに感想を求めてきた。複雑な説明だったので分からなくなったらまた聞きにいくと言ったら、嬉しそうに笑窪をへこませた。
「ところで、レシュアもアイテルを使えないと言っていたが彼女が強い理由をあんたは知っているか?」
「どきっ」
「なんだそれ」
「……直接ご本人から聞いたわけではないので確証を得ておりませんが、僕が感じたものから推測するに補助的な力を操れるからではないでしょうか」
「補助的な、力?」
「とにかく君はレシュアさんの護衛なのですから、あとでその件について語り合ってみてはどうです? ご本人が真実を話すかどうかは分かりませんが」
そろそろ息が詰まりそうだったので特殊医療室を出た。右の方向には封鎖された出入り口があり、左のほうには居住区域があった。
ここに来た時よりも周囲が若干暗くなった気がした。外の明るさと都市内部の照明が連動しているのかもしれない。
地上で生活していたときよりも随分居心地がよいと思った。空気がやけに澄んでいる。外気をそのまま循環するだけでは味わえない処理済の空気だ。
こんなものを吸い続けて人類は退化しないだろうか。環境がいくら整っていても耐性をつけなければどうしようもない。現に風邪を引いた奴もいた。異星文明が未知の細菌を持ち込んできたら地下住民はあっという間に病人だらけになってしまいそうだ。
だがそれも余計なお世話と言われれば口を閉ざさねばならない。俺には全く関係のないことだからだ。
この環境に身体が喜ぶ反面、精神を慣れされるにはしばらく時間を要しそうだった。自然と人間を切り離すための交換条件にしてはやりすぎのような気がしたが、前時代の人間の欲深さを量るには丁度よいとも思った。
爺さんのことが気になったので居住区域を歩いてみることにした。不審者とみなされてもシンクライダーに顔を憶えられただろうから大事にはならないだろう。
居住区域は建物の集合と色分けされた固い床、それを照らす光で構成されていた。家の外観は地上で暮らしていた三角屋根のものはなく、全てが味気のない大きな箱という印象だった。高さは大体三メートル程度あった。おそらく一階建てだろう。地上にはありすぎる自然の植物がここには一つも見当たらなかった。
適当に歩いていると四つ奥の住居に爺さんを見つけた。声をかけようと思ったがどこか様子がおかしい。いつも穏やかで締りのない油断だらけの顔が、知らない奴等の前で真剣になにかを話している。
あんな顔は見たことがない。話しかけている奴等は爺さんをヴォイドアイテルの使い手だと知って弟子に志願でもしているのだろうか。おそらくはそんなところだろう。ひとまず無事でいたので安心した。
あとで爺さんと一緒に住めるかどうか確認しておかなければならない。俺はせっかくの師弟関係に水を差すのも悪いと思い声をかけずに通り抜けた。
「メイルさん。探しましたよ」
知らない男が俺の名前を呼んだ。逃げる必要はないだろうが一応警戒して待ち構えていると、俺とレシュアの住民登録完了を知らせに来たと男は言った。家まで案内するからついてきて欲しいというので、とりあえず言われるがままについていった。
特殊医療室から五十メートルも離れていない場所に連れてこられた。そこにはシンクライダーも待っていて、一応信用に足る情報と結論づけて胸を撫で下ろした。
住民との信頼関係を築くこともこれからの課題になりそうだった。
「あなたのような方の入居を想定していなかったのでまとめ書は用意していませんが、たぶん『あなた達』ならすぐに使いこなせるでしょう。操作方法等不明な点がありましたら私かどなたか分かる方に相談してください」
「メシアス君、メカのことは僕にお任せですよ」
暇なら簡単に教えてくれてもよさそうなのに、あの人らは家の開錠方法を説明したきりいなくなってしまった。
一人取り残されて空虚に佇んでいると、親切なのかぞんざいなのかはっきりしない歓迎を意外にも楽しんでる自分がいた。
「はっきりしねえのが一番良くないぜ。そういう場合は目の前にあるものを一気に畳み掛ける。忘れんなよ」
「私はあいつにこれ渡してから洗浄場にいくから。あなたはヴェインと先に行ってて。入り口で合流しましょう。ついでに着替えも準備しておくから手ぶらで行っても大丈夫よ」
「あ、メイル……」
三人が無事に帰ってきた。しかし酷い汚れようだ。特にレシュアが酷い。全身は切り傷だらけで見ているこっちが痛くなる。高貴な衣服も土や砂で台無しだった。
一体外でなにが起こったのだろうか。歩調から察するに機械は撃退したと思われる。脳裏に壮絶な死闘の光景が浮かんだ。すると急に自分が彼らの世界から切り離された気分になった。
よくよく考えてみればかなり前から切り離されていた。この都市に住む人達ともそうだった。認めたくはなかった。それでも惨めな自分と向き合うことには慣れていた。
ただ、俺が持っている『能力』を丁重に扱う奴等のありありと見て取れる対応に怒りともとれる困惑を感じていた。
……あいつらは、相当考えて動いている。
「だいぶ張り切ってきたみたいだな。大丈夫か?」
「うん、平気。ちょっと気合入れすぎちゃった。へへへ」
「ここが俺の住む家なんだそうだ」
「……あとで、お邪魔するね」
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