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小さな愛が動かした夢 / weeping may endure for a night その1



 開いた正門から明かりが差し込み、目を閉じた彼女の顔が鮮明に映った。

 毎晩隣で見せてくれた寝顔と変わらず穏やかな表情をしていて、肌は透明と見まがうほどに白く、儚げに輝いていた。



 これ以上壊れてしまわないように、ゆっくりと抱きかかえて立ち上がる。

 力なく折れた首が彼女の髪を垂らして、あらわになる顔の輪郭……



 本人は気にしていたが俺はこの丸顔がとても好きだった。

 笑った顔も怒った顔も困った顔も、全部大好きだった……。

 それなのに、なにがあっても守っていかなければならなかった彼女を、自分の浅はかな行動で取り返しのつかないところまで追い詰めてしまった。



 俺がもっとしっかり向き合っていれば避けられた悲劇……。

 愛おしさが募れば募るほど、後悔ばかりが胸に残る……。


「……苦しかったのは、お前のほうだったんだよな……」


 閉じられた瞼から滴る彼女の涙を掬い取った。

 指先には、柔らかな温もりが残っていた。



 最後に落とした思いの欠片が取りすがるように染み込んでくる。俺はそれを夜風から守ろうと懐に隠したが、あえなく冷えてなくなってしまった……。


「……結局、最後まで泣かせてしまった。……俺は、本当に情けないやつだ」


 まだ温かい彼女の頬に手を当てて、鼓動を確かめた。

 かろうじて息は続いている……。レインの言ったとおりだった。


「……お前には俺達がついている。だから、まだ諦めるなよ……」

 

 俺は駆け足でゾルトランス城の地下へと向かった。

 目指す場所は最下階だった。



 螺旋に伸びる広い階段を降りて、地下二階の開かれた扉を抜ける。

 女王の間と呼ばれる空間は暗闇に閉ざされてひっそりとしていた。



 部屋の奥に隠されている扉を開き、そこからさらに階段を降りる。

 直角に折れた段を進んでいくと、地下三階の扉の前で『二人』は待っていた。


「遅かったわね」

「……あの、メイル様、こんばんは」


 レインはこちらに一瞥するなりマーマロッテの瞼を開いてその奥を覗き込む。

 アザミは沈鬱な表情を浮かべたまま、床に目を落として唇をきつく噛んでいた。


「……眠っている、だけみたいね」

「おそらく、そうだと思う」

「現時点でほぼ五日が経過しているとなると、そろそろ『危険な状態』に入ってしまうわね。アザミ、すぐに取りかかるから準備して頂戴」


 レインは俺の腕に乗ったマーマロッテを強引に抱え上げてアザミが開けた扉の中に入っていった。アザミも一礼をしてから彼女の後に続く。


「説明は後でするわ。あなたはそこで待っていて。それと、なにがあっても中に入って来ないで。お願いよ」


 こちらの返答を待たずに勢いよく扉が閉まった。

 一人取り残された狭い足場に薄暗い照明が当たり、ほのかに熱を帯びる。



 ……俺が入ってはいけない理由。

 ……きっとそれも、レインは秘密にするのだろうな……。



 しかし、案外悪いものでもなかった。マーマロッテを救い出したいと願う仲間がいてくれただけでも俺にはありがたいことだった。



 ……こう思えるようになったのも、お前と出会えたからだ。

 ……本当に、感謝しているよ。



 床にしゃがみ込んで待つ。

 レインとアザミという謎に満ちた女性に希望を託して、ゆっくりと目を閉じた。



 ……あの笑顔を、もう一度見たい。



 頭の中をその思いだけで埋め尽くして、他のことはなにも考えなかった。

 彼女が助かってくれればそれ以上のことはなにも望まない。瞼の裏に元気だった頃の彼女を何度も映しながら、俺は静かに待ち続けた。



 ……。



 どのくらいの時間が過ぎただろうか……。

 まるで止まっていたかのような長い時が流れた刹那、閉ざされていた部屋の扉は、静かに開いた。


「メイル、いる?」

「……ここだ」

「大分待たせてしまったわね。いいわ。入って」




 部屋の中は青白い光で覆われた機械まみれの空間だった。リムスロットの医療室とはまるで別物と言わんばかりの物体が様々な色に光っていて、壁に張りついた機械の箱の上部からは太い管が何本も床に向かって伸びていた。

 天井にも巨大な機械が配置されていたがそこから光るものはなく、緩やかな風が吹いているだけだった。



 女性二人が立っている場所の床に縦長の機械の箱のようなものが三つ置かれている。おそらくこの箱のどれかにマーマロッテが入っているのだろう。


「……ここは、なんだ? 女王の寝室か?」

「ある意味ではそうね。けれどここはもっと複雑なことをする場所なの。……そうね、あなたになら言ってしまってもいいわ。ここはね、『ゾルトランスの間』よ」

「ゾルトランス? この城の名前じゃないか」

「そう。もともとここはそこに置かれている箱、ゾルトランスを守るための城だったのよ」

「その箱は、一体なんなんだ?」

「……あなた、そんなことよりも結果を聞きたくないの?」

「あんたの声色でなんとなく分かるさ。……少し、ほっとしていたんだ」

「だったら私も遠慮なく話せるわ。もっと近くにいらっしゃい」


 つまずいて転ばないように足元を見ながら歩いた。

 レインが指定した場所は三つあるうちの真ん中の箱の正面だった。


「……あの、レイン様。私はそろそろ……」

「あなたにも『辛い思い』をさせてしまったわね。ありがとう、アザミ」

「……いいえ。こんな私でお役に立てるのなら、いくらでも……」

「疲れているのでしょう? 無理をしないで今日は休んで。明日からまた忙しくなるのだから」

「……はい。それでは、メイル様も、失礼します……」


 アザミは俺達に深くお辞儀をして、背中を丸めながら部屋を出て行った。

 王女の使用人だった女性の背中には孤独を含んだ悲哀が滲んでいた……。



 なんとなしに部屋の入り口をぼんやり眺める。

 どういうわけか、去っていくアザミを追いかけたい衝動に駆られた。

 ……。



 レインが囁くような声で俺の名前を呼ぶ。

 視線を戻して彼女を見ると、ゾルトランスの箱に手をかざしていた。


「……この中に、いるんだな?」

「ええ。見ることはできないけれど、近くにいたほうがいいでしょ?」

「……それで、どうだったんだ?」

「結論から言うと、命を落とすほどの状態ではなかったわ……」


 深い溜息が出た。

 ……彼女は、死なない。

 その事実を知れただけで、最高に嬉しかった……。


「……でもね、身体の損傷は大変なものだったわ。きっと、人間には耐えられない量のアイテルを放出したのでしょう」

「俺も間近で見た。あれはどう考えても普通じゃなかった」

「いずれにしても、この子は当分ここから出ることはできないわ。まともに生活できるまでは、……そうね、少なく見積もって五年、いや十年はかかると思う」

「……そうか。……でも、こいつが助かってくれればそれだけで十分だよ……」


 正直なところ発狂しそうだった。

 どんなに時間がかかったとしても待ち続けるつもりだが、それでも寂しさは拭えないだろうと思った。



 ……俺みたいなやつの側にずっといてくれた、もう一つの尊い命。

 ……そんな、世界に一人しかいない人の声を、十年も聞けないなんて……



 彼女なしでは、この先を生きていけないかもしれない……。

 そう言葉にしてしまう寸前の感情が、喉から溢れ出しそうになっていた。


「それにしてもよく頑張ったと思うわ。こんなに強い子になれたのはあなたのおかげよ」

「……あのなあ、レイン」

「なに?」

「……もう隠し事はやめにしてくれないか。戦争は終わったんだ。いい加減、話してくれよ……」

「カリスの血のこと? それとも、私のこと?」

「両方だ。ただし、あんたのことはもう分かっている」

「……みんなには、黙っていて、くれる?」

「当たり前だろ。それに、関係のないやつに喋ったところで誰も喜ぶようなことじゃないくらい見当はついているさ」

「……分かったわ。……なら、この顔で話すのは失礼になるわね……」

「……お、お、おい!」


 レインは両手をゆっくりと持ち上げて、仮面に触れた。

 内側で空気が抜けるような小さい音がして、静けさが戻り、白いものが顔から剥がされる……。

 そして、恐怖を誘うあの『形』が表に出てきた。


「……確か、前回はここまでだったわね」

「は?」


 外した仮面を床に落としたレインは、もう一度顔に両手を当てる。

 すると今度は顔の内側から大きな空気が漏れて、『二つ目の仮面』が外れた。


「……う、嘘、だろ……」

「……これが私の本当の『素顔』よ。はじめまして、で、いいかしら?」


 信じられなかった。

 まさか、こんなにも『似ている』なんて夢にも思わなかった。


「……だから、隠し続けていたのか……」

「この子は私の生き写しみたいなものだから、一緒に行動していたらいろいろとおかしくなるでしょ? 実際にあなたも今、混乱しているじゃない」

「……どうして、死んだことにしたんだ……」

「理由は単純。『女王』が前線で戦うなんて言い出したら元老院が機能しなくなるからよ。それと、彼らにはアイテル砲を撃ってもらうという重要な役割があったわけだし。まあ、残念な結果になってしまったけれどね……」


 やはりレインが、『先代女王』だった。


「……カリスの血についてはどうなんだ。どうしてあんたが知っていたんだ?」

「あれは、初代女王が提唱する新たな政治に端を発した『ある男』が作り出したものなの。と言っても、意味が分からないわよね」

「ああ、全然分からないな」

「つまりね、あれは女王を殺して権力を奪い取るための兵器だったのよ。作った本人はもうこの世にはいないけれど、それを生み出す装置は未だに動き続けているってわけ。……私は、シンクがカリスの血を追いかけていることを知っていたから、この子が地下都市ジュカに行くと決めた時に嫌な予感がしたの……」

「……だから、機嫌が悪かったのか……」

「あとのことはあなたに任せようと思って気持ちを切り替えた。私よりも信頼している人の言葉だったら、きっとこの子も踏み留まるだろうと思ったの。……でも、結果はこうなってしまった。あなた達を苦しめてしまったことに責任を重く感じてるわ……」

「もういいんだ。あんたのせいじゃないよ。それに、こいつは助かったんだ。どういう理由で助かったのかは分からないけど、とにかく、あんたが塞ぎ込むことはない」

「……ええ、そうね。……でも、そのことなんだけれど……」

「どうした?」

「この子が助かったのはね、身代わりになってくれた人がいたからなの……」

「身代わり?」



 レインの言葉に首を傾げながら、自分の顔が引きつっていくのが分かった。



 ……彼女が眠る箱の中で、閉じられた時間が通り過ぎていく。



 事実を想像することに耐えられなかった。この思考を早く否定してもらって楽にならなければ、自分が自分でなくなってしまいそうだった。




「……この子のお腹の中に、いたの。赤ちゃん……」




 湧き起こった感情は、悲しみだとかそういうものではなかった。

 それは、我が子の未来を奪ってしまったことに対する、自分への怒りだった。




 ……親の腕を掴み、


 愛をもらおうと必死に泣き、


 言葉を覚え、将来を夢見て、


 楽しいことや苦しいことを積み重ねて、


 最も大切なものに出会い、生まれてきた意味を知り、


 次の世代へ、愛を伝えていく……




 叶えられなかった現実を思うと悔しくてたまらなかった。

 代われるものなら、今すぐにでもそうしてやりたかった。



「……お母さんのこと、守ってあげたかったのよね、きっと」



 ……ごめん。ごめんな……



「……その子の気持ち、無駄にしちゃ駄目よ」



 ……俺達のために、大切な未来を……



「……頑張って生きるの。それが、あなた達に託した思いなのだから」



 ……この世界に残してくれた愛は、絶対に忘れない……

 ……マーマロッテを救ってくれて、本当に、ありがとう……



「……今日だけは思いっきり泣いてしまいなさい。そして、明日から笑顔を届けるの。いいわね?」



「……ああ。そうだよな……」



「……もう、泣き虫なお父さんだこと」



 こんなに声を出して泣いたのは生まれて初めてだった。

 レインは優しい声で愚痴をこぼすと、俺の身体を柔らかく包んだ。



 母のような温かい手に背中をさすられながら、俺は子供のように泣きじゃくった。何度も何度も大きな声を出して、小さな愛に詫びながら、枯れるまで泣いた。



 ……心が落ち着いた後も、いなくなった姿をずっと思い続けた。

 笑顔が可愛らしい、マーマロッテに似たその子のことを……。



 そして、成長する姿を見ることはできないけれど、俺はこれからも心の中でゆっくり育てていこうと思った。



 いつか『再会』できる日が来ることを信じて……。

 笑顔で抱きしめられるように、もっと強い心を持って……。

 大きく、逞しく、家族を温かく包み込む男になる……。



 ……それが、『彼女達』にしてあげられる、俺の人生なのだから。




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