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ずっと、晴れるといいな / the ultimate moment of reversal その4



 洞窟を出ると青白く染まった寒空が目に飛び込んできた。雲は一つも流れておらず、こちらに向けて悲しい顔を見せているみたいだった。

 それは、私がたった今してきたことに対する嘆きの表情のようにも感じた。



 ……小さな容器に入れられた進化の薬。……カリスの血。

 この液体を飲み干せば私の運命が急速に動き出す。あれほど欲しいと思っていたものをいざ手にしてみると希望に溢れた感情が恐怖心に置き換わっていて、喉に流し込むところを想像するだけで寒気がした。

 捨ててしまおうかと思った。でも実際にそうしようと頭で命令しても、手の中にあるものは張りついたように動かなかった。



 私は結局、カリスの血を都市に持ち帰ることにした。



 外に出た時は撮影装置の死角を通ったが、今度はあえて映り込む位置を歩く。

 監視映像を見ていたのか、避難通路の扉を開けた先にメイルが立っていた。


「……ごめん。ちょっと、外の空気が吸いたくなっちゃって」


 彼は目を閉じて大きな溜息を吐くと、優しい笑顔を作ってゆっくりと抱きしめてくれた。

 何度も何度も謝って許しを請おうとしても、心の中に隠し持っている秘密が喉の奥で引っかかってしまい、自然な笑みを返すことができなかった……。




 あれからオントは毎日決まった時間にやってきた。

 メイルはたった一人で立ち向かい、その圧倒的な力の差を敵に見せつけて戻ってくる。

 全く手の出せない状況を知りながらも、相手は毎日欠かさず現れた。まるで不毛な戦争を見ているようだった。



 だが、そんな圧倒的有利な状況は一週間が過ぎた頃から徐々に変化していった。次第に彼の動きを的確に避けるようになっていったのだ。攻撃を当てることなく倒されるという結果は依然として続いたが、戦闘時間は日に日に長引いていった。



 ……そして、二週間が過ぎた頃、オントの攻撃は初めて当たった。



 尋常ではない一撃をもらった彼は防御していたもののかなりの距離を飛ばされて、地面が広範囲にえぐられた。

 即座に反撃に打って出るも、オントはその後、メイルが繰り出す全ての攻撃を的確にかわしていった。



 その映像を見ていた誰もが、終わりを確信した。



 彼はそのまま敗北してしまった。

 ぼろぼろに壊れた身体を地面に張りつかせてもなお、彼は戦う意思を見せていた。私はいても立ってもいられなかった。

 このままでは彼が死んでしまう。私のせいで彼を死なせてしまう。そう思う度にあの決心が不気味な音を立てて近づいてくるのが分かった……。


「……おいレシュア君、なんだか様子がおかしいぞ!」


 タデマルに言われて映像を凝視すると、倒れた彼をじっと覗き込んでいたオントがその耳元に顔を近づけてなにかを喋っていた。その状態が続く間、私達は固唾を呑んで彼を見守った。

 用が済んだのだろうか、オントは彼の耳からゆっくりと顔を離した。いよいよその時が来ると覚悟した私は外に飛び出そうとした。ところがオントは急に踵を返してそのまま飛び去ってしまった。



 私はすぐに負傷した彼を抱いて医療室に運んだ。

 タデマルの診断によって命に別状がないことは分かった。意識もあるみたいだったが、全身の骨が折れていたので会話はできなかった。



 彼の身体がもとに戻ったのはそれから六時間が経った後のことだった。本人は苦笑いをして次は負けないなどと格好をつけていた。もう二度と勝てないことは彼も分かっていたはずだった。それなのに、私の前では絶対に弱音を吐こうとはしなかった。

 希望を捨てないという彼の意思が、私の心をさらに前へと押し進めていく……。

 逃げ道はほとんど残っていなかった。



 次の日も、その次の日も彼は瀕死の姿で戻ってきた。たとえそれがルウス軍師の準備している直接攻撃の時間稼ぎなのだとしても、私にはもう耐えられそうになかった。

 でもみんなは戦い続けた。住民全員が彼の苦しみを共に背負ってなんとかしようとした。最後まで諦めない彼がここにいる限り、誰一人として戦争に負けた事実を口にする者はいなかった。

 心を一つにした住民の思いが、さらに彼を苦しませていく……。

 だから私は、一人で戦い続ける彼をただ見ているわけにはいかなかった。


「……メイル。もう、やめよう」

「なに言ってんだよ。これからが本当の戦いだろ」

「……だって、苦しいよ。見ていられないよ」

「……じゃあ、見なければいい……」

「……そんなこと言わないでよ!」

「はあ? お前が言わせたんだろうが! やめて欲しいのはこっちのほうなんだよ!」

「……ねえ、ちょっと落ち着こうよ。これじゃあ、会話にならないよ」

「落ち着けだって? こんな状況でよく言えるな。それともなにか? 本気で怒らせたいのか?」

「……違うって。そういうことじゃ、ないんだって」

「俺は誰のために戦ってるんだ? おい! 答えろよ!」

「だから、怖いんだって! お願いだから、もっと優しく言ってよ!」

「ふざけるのもいい加減にしろ! そんなに俺のことが惨めに見えるのか? ええ? そうなんだろ! はっきり言えよ! おい! さっきから聞いてるだろうが! 質問に答えろよ!」

「……メイル。お願いだよ」

「やめろ! 俺に近づくな!」


 彼の肩に触れようとした瞬間、振りほどかれた片腕が私を突き飛ばした。

 壁に強く頭を打って痛みが走ったが、胸の痛みはそんなものではなかった。

 さすがにやりすぎたと思ったのか、少し冷静になった彼が様子を確かめようと近づいてきた。


「来ないで!」

「……おい」

「もう、気持ちは伝わったから、いいよ……」

「……マーマロッテ、あのな」

「私、今日はキャジュの家に泊まる。夜の監視当番、タデマルさんだったよね」

「……おい、ちょっと待てって」

「……あなたが感じている痛みは、こんなもんじゃ、ないんだよね」

「……」

「私ってほんと、駄目な女だよ……」


 家を出た私を追いかけてくる彼を無視して歩いた。

 何度も名前を呼ばれた。でも振り向かなかった。

 本当に愚かだった。全然進歩していなかった。

 彼の気持ちを理解していると勘違いした自分が馬鹿だった。

 いつ死ぬかも分からない恐怖を表に見せないでいてくれたのは、他の誰でもない私のためだったのに、そんな彼の思いを踏みにじってしまった。



 ……もう、進みすぎたのかもしれない。

 あと一歩で、『それは』私の中に入ってきそうだった。



 翌日、限界を迎えそうな私にさらなる追い打ちをかける報告が入ってきた。

 アレフが壊滅してしまったのだ。

 住民のほとんどは外で待ち構えていたオントの犠牲になり、逃げ延びた数名の人達はゾルトランス城に駆け込んだのだそうだ。

 一時的な安全を確保できた彼らは城の軍兵に温かく迎えられたが、二度目の襲撃という精神的な苦痛に耐え切れず憔悴しきっているとのことだった。

 レインもヴェインも戦意を喪失して城に閉じこもっているらしい。



 私は今日も死にかけの姿で運ばれてきたメイルを眺めていた。

 監視をしていたタデマルは、今日はもう現れないだろうと力なく呟いて医療室を出て行ってしまった。



 二人きりの部屋はとても静かだった。

 数万年にも及ぶ地球人類の種が絶たれようとしているのに、この星は未だ私達に優雅な世界を届け続けている。以前なら幸せを感じられる耳鳴りも、今では切なさを誘発させる雑音にしか聞こえなかった。



 ジュカの浜辺で見たあの海は、今も優しく波を打っているのだろうか。

 日光に照らされてきらきらと輝く水平線が脳裏に浮かんだ。

 大きすぎる世界。小さすぎる人間。

 私達はこの星を愛していた。それなのに、いくら呼びかけても星は沈黙を守るばかりで、遂には見放されようとしている。



 星に愛されていなかったのか、それとも私達の愛が足りなかったのか。

 おそらく、そのどちらでもないだろう。

 人間は所詮この世界に偶然生まれた生物の一つであって、特別な存在なんかではなかった。地球に人類が消えてなくなったとしても別の命がどこかで動き、繁栄する。ただその理由の判然としない営みの循環の中に私達がたまたま選ばれただけのことで……いなくなる瞬間は、いつか必ず来る。



 でも、私は恋をしていた。

 この時代に生んでくれた地球への感謝を忘れることなく……



 メイルは疲弊しきった身体を一刻も早く元に戻そうと深い寝息を立てていた。

 私は、かろうじて人の姿を保っている戦士の生き様を間近に感じながら、彼と出会ってからのことを思い返していた。



 奥歯を噛み締める度に大粒の涙が落ちる。

 大切な人と過ごした忘れられない思い出とその時に交わした笑顔が克明に映し出されてきて、悲しみは果てのない闇まで膨れ上がっていった……。



 初めて出会った日に足を触られた無邪気な指の感触。


 生きることを諦めかけた自分に希望を与えてくれた澄んだ瞳。


 都市で暮らしはじめてからも真っ直ぐな姿勢で向き合ってくれた優しさ。


 どんなに酷いことを言われても守り続けようとしてくれた純粋な心。


 死を覚悟してまで瀕死の自分を救おうとした男としての意地。


 わがままをなんでも聞いてくれた温かい笑顔。


 誰に対しても躊躇しない思いやりが込められた厳しい言葉。


 どんなことがあっても離れないことを誓ってくれた大きすぎる愛情。


 子供の頃からずっと輝いていた青い石のついた思い出の首飾り。


 ――私のために流してくれた涙。


 ――私のために味わった苦しみ。


 ――私のために投げ捨てる人生。


 ――私のために生き続ける執念。


 ――私のために耐えている、絶望の言葉……



『……戦争が終わったら、地上で暮らさないか? 小さな農場を作ってさ、そこでいろんなものを育てるんだ。子供は最低でも二人は欲しいな。俺達の子供だからさ、きっと寂しがりやだと思うんだ。自然を心から愛せる、強くて優しい子にしよう。それでさ、俺達が愛した子供達が幸せに生きていける世界を、これから二人で作っていこう。だからさ、今を心配することなんてきっとないはずだよ。俺が信じ続ける限り、お前も信じていてくれるだろ? 俺達はさ、前を向いて歩き出したんだ。離れるんじゃない。同じ道を並んで行くんだよ……』




 ……必ず、迎えに行く。


 ……ちょっとだけ寂しくなるけど、少しの間だけ、我慢してみないか?




「……もう一度、あの頃に戻りたいよ。メイル……」


 時の流れは止められなかった。

 夢は音も立てずに風に乗り、遠い空の彼方へと飛ばされていく。

 安らかに眠る彼の顔が私達の未来のようにぼやけて、視界から消えていった。



 幾度となく思い描いた暖かい日々。

 ……そして、二度と掴み取ることができない彼との人生。



「……でも、もう無理だよね。こんなに素晴らしい人と出会えたというのに、ほんと、悔しいよ。あなたにはもっと幸せを感じて欲しかったし、二人でもっと笑い合っていたかった。……ごめんね、メイル。約束した未来、ちょっとだけ変わってしまうかもしれないけど、私はあなたの思い出の中でいつまでも生き続けていたいと思っているから。……だから、今度はもうちょっと優しく怒ってくれると、嬉しいな。……へへへ。それもたぶん無理だろうね。うん、覚悟しておくよ。……じゃあ、私、先に帰るから。……みんなのことを最後まで守ってあげて。明るい未来、あなただったらきっと作れるから……」




 苦しみ続ける彼を一人にして医療室を出た。

 流れるものを無視して家路を走った。

 前進する一歩が、意思として着実に積み上がっていく。

 玄関の扉を開けて駆け込んだ。

 そして、そこにあるはずのものを一心不乱に探して、取り出した。



 ……小さな棒状の容器と、その中の液体。



『……でも、本当は全く違うものでした。彼女はカリスの血を飲み込んだ六日後に意識を失ってしまったのです……』



 私は、なにかに急き立てられるように、その全てを、喉に、流し込んだ。




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